第十五章「人魚の尾鰭と打ち明け話」

 宿でヒーリアと一緒の部屋に入ると、愛姫子あきこは何かムズムズとしたものを感じた。

 無性に、自分を解き放ちたい。そんな夜もある。


「ねえ、ヒーリア。人魚になってもイイ?」

「どうぞどうぞ! どーんと、なっちゃってください」


 ノリが軽い子である。不気味に思われたりするよりは、ずっとよいのだけれど。


「じゃ、お言葉に甘えて」


 愛姫子はぴかーんと光ると、人魚モードへと変身した。そのまま、ベッドにダイブする。


「だばばー」


 枕を抱きしめて、体が動きたいように任せて、上半身から下半身までしならせる。びたんびたんと、愛姫子のうちの魚の部分の尾鰭おびれがのたうった。


「近くで見ると、けっこう迫力ありますね。触ってみてもイイですか? 尾鰭」

「イイけど。そんな大したものじゃないよ?」

「気になりますよ〜。感触とか」


 愛姫子がうつ伏せになって、下半身の尾鰭だけクイっと上にあげると、ヒーリアは興味津々といった様子でベッドに乗り込んできた。

 ヒーリアが、ペタペタと愛姫子の尾鰭を手で触る。


「ど、どう?」

「こ、これは!?」


 ヒーリアは右手で尾鰭を触ったまま、左手をワナワナと振るわせるという大袈裟なリアクションをとった。


「ぬたぬたしてますね!」


 褒められているのか何なのか、微妙な表現だ。

 ただ、否定的ではないのは分かるから、愛姫子の方も心を開いてみる。


「ねえ。ヒーリア」

「はいはい!」

「ヒーリアのところには、『生存券』はきたの?」


 その問いに答える前に、ヒーリアは愛姫子のベッドに彼女も身を投げ出して、愛姫子と並んでうつ伏せになった。

 瞳をつむって、ヒーリアが告白する。


「いいえ。きてません」


 ヒーリアは、ゆっくりと膝から下を曲げて、天井に向けて上げたり下げたりした。愛姫子の尾鰭が上下するリズムに合わせるように。


「それじゃ。『奪還作戦』でアスガルってやつの側が勝ったとしても、ヒーリアは『避難所』に入れない?」


 ヒーリアは瞳を開いて、愛姫子の方には視線を送らないまま、虚空に映る何かを見つめるようにして言った。


「未来で死ぬことが濃厚なのに、こうして由々君や愛姫子さんと楽しい一日を過ごしている私が、奇妙に映りますか?」

「ううん。むしろ、ちょっと分かるかも」

「ねえ、愛姫子さん。人間は、みんな死にます。生命は、みんな死にます。でも、だからって自分の心が感じる楽しいことや幸せなことに、忠実であることをやめるのもおかしなことだと私は思います」

「ヒーリア、真面目な子だったんだね!」

「フッフ。真面目ですとも。なに、一日一日が楽しい先に最高の楽しい人生があって。一日一日の楽しいが、未来をよい方に変え得る。私は、そう思ってるってだけですよ」


 ヒーリアが口にした「楽しい」という言葉が心に染み入っていくと、再び愛姫子の左眼──「人魚のマーメイド天眼・サファイア」が淡い光を放ちはじめた。


「この瞳、おかしいと思う?」

「なぜ? 綺麗だと、思いますよ」

「ロビホンさんが、言ってた『タケフミ』って人。私のお父さんの名前も『タケフミ』なの」


 そのことが何を意味するのかまでは、まだ愛姫子には分からないが。

 ヒーリアには明日の戦いの前に伝えておくべきだと思ったから、言った。


「私とよしちゃんは、違う世界から来たの」

「はい。知ってました」


 事もなげにヒーリアが返答したので、愛姫子は目を丸くした。


「あなたは、いったい?」

「それは、まだ言えません。私の中の『禁則条項』に抵触してしまうのです。でも、しかるべき時がきたら、私のことも愛姫子さんと由々君にお伝えしようと思ってますよ」

「そう」


 なんにせよ。父の名前のことを持ち出したのは、母にまつわることを告白しておきたいと思ったからだ。


「私ね。お母さんの方が人魚なんだけど。人魚は、『無償の愛』を探しているの」

「『無償の愛』?」

「『無償の愛』を手に入れた人魚は、どんな願いでも叶えることができる。お母さんとお父さんのこと、私は『無償の愛』だったんだって思ってる」

「愛姫子さんのお母様は、どんな願いを叶えられたのでしょう?」


 愛姫子は首を横に振った。


「それを、ついに教えてくれなかったの。あんまり、中身のない話でごめん」

「いえいえ。そうですね。そこまで打ち明け話をしてくれたのなら、私の方も現時点の『禁則条項』の制約に当てはまらない範囲の、秘密を打ち明けましょう。私の属性は『風』だと言いましたが……」


 愛姫子はヒーリアの方を向き直った。近い距離で、瞳と瞳が合う。


「私の隠し属性は『時』なのです」

「『時』、か」


──時間とは、何だろう。


 秘密を告げたヒーリアの瞳に吸い込まれそうになる。美しくて、見るものの心の奥に入ってきて、深い場所にしまっていた大事なものに、優しく触れてくるような。


(え。もしかして今、ヒーリアに『時』の魔法を使われてる?)


 お父さんとお母さんのこと。


(そうだ。私、現実世界のあの日のことを思い出さなくちゃならない)


 この異世界にくる前の、愛姫子が意識を失った日のこと。

「分岐の日」の、愛姫子と由々と、そしてのどかに何があったのか。愛姫子の中でボヤけていた一日のことが、明瞭にかたちを帯びて意識の表面に浮かび上がり始めた。

 愛姫子の心が、「時」をさかのぼりはじめたのだ。


 /第三部「風の街へ行こう、この三人で」・完


 第四部へ続く

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