第六章「水の魔法と今でも一番大事な人」
◇◇◇
時間の感覚が乱れているが、
(
引き抜いた時から、
ならば、力を使う時は今なのだ。
血が出るほど唇を噛み締めて、火炎蜘蛛に焼かれる危機に瀕する由々を助けようと、杖を振おうとした時だった。
水の妖精が、ふわっとした口調で愛姫子に言った。
「姫君、ネガティブな感情で杖を使っては、いけません」
(姫君? 私のこと?)
「マーメイヤ様なら、こう仰るでしょう。『心よ、ありのままであれ』と」
(ありの、ままで?)
瞬間、心に新鮮な風が吹き込んでくる。なんだか、砂漠の中でコップ一杯の水を貰ったような?
その時だった。
愛姫子の精神世界に変化が訪れた。
心の中で乱れて散らばっていたパズルのピースが、一定の秩序の元に組み合わさっていくような、初めて体験する感覚。
(分かる!)
切断されていた大事なものと、もう一度つながり直していく感覚。
あまりにもバラバラになってしまっていた愛姫子の心が、叶うなら、もう一度元のカタチに戻りたいと言っているような。
(私は今から魔法を使う)
心の内に浮かび上がってきた思念は、確信に満ちていた。
一気に、火炎蜘蛛に向かって振るう。
「七色魔法・一色目、水の
杖の中の青色の円が光り輝くと、愛姫子の眼前に、巨大な水の塊を出現させた。
愛姫子はもう一度、杖を振るう。
「変転! 水は氷に!」
巨大な水の塊は氷の大岩へと存在のあり方を変えると、さらに無数の氷の刃へと分裂した。
「
愛姫子の掛け声と共に、氷刃は一陣の吹雪となって火炎蜘蛛へと向かっていく。
無数の氷の刃に貫かれ、火炎蜘蛛は動きを鈍らせる。大きなダメージを与えた感覚が愛姫子にも伝わってくる。
しかしだ。愛姫子の魔法の攻撃により、由々に意識を向けていた火炎蜘蛛は、愛姫子に向かってターゲットを変えた。
火炎蜘蛛の口元に、炎のエネルギーが集中し始める。
(ヤバイ。避けられない)
次の魔法の発動も間に合わない。
かくして、火炎蜘蛛の口から大火炎が愛姫子に向かって吐き出された時だった。
上空より、旋風が舞い降りる。風は冷気を纏っていて、火炎蜘蛛の炎のブレスを一気に斬り裂いて愛姫子を守る。
由々の、跳躍からの斬撃であった。
由々の刀が、先ほど愛姫子が放った氷の刃の一部を「
(助かった? 由ちゃん、いつも私のために危険をおかして)
「由ちゃん、どうして!?」
涙が、零れている。笑顔の裏で、ずっと泣いてる。
(あなたの優しさが、私の胸の内の罪に刺さり続ける)
「おまえ、また泣いて」
「ごめん。でも、私、どうしても泣きたくなってしまう時があるの」
「そういう時は、あるよ。そんな時、僕にはいつも、僕の真ん中にある『確かなもの』を練ることしかできない」
その話は愛姫子も以前聞いたことがある。
「僕の胸にある、強くて温かいもの。
「前から言ってるけど、由ちゃんが追い求めている『なかよし』って、何なの? 優しさ?」
「それはまだ、言葉にできないんだ。でも、確かに僕の中にあるものなんだ」
「ふぅん?」
「落ち着いた?」
不思議と由々と言葉を交わしているうちに、悲しい気持ちは治まっていた。
(分かってる。がんばる時だぞ。愛姫子!)
愛姫子は自分を奮い立たせて、
「愛姫子、なんかさっきのやつ、僕の刀に纏えるみたいだ。もう一度、できる?」
「できるわ。氷じゃなくて、水のやつもできる」
「なおイイ!」
頭脳が明晰になってゆく。思考が光を放っているような感覚。ちょうど現実世界で数学で数の仕組みや規則を理解するように、この異世界における魔法というものが愛姫子の中で腑に落ち始めていた。
愛姫子は
「水の
杖から飛び出した水色の光が、由々の刀に向かって飛んでゆく。
由々は、青い光を刀で受け取ると、グっと前かがみになって跳躍の体勢に入る。
「水が鳴って。音は風が受けとって──」
由々が
「善が運ばれ。龍が呼び起こされる──刃よ、魔を断ち世界を
手にした刀には、水流が渦巻いていた。水の力を纏った武装が、火炎蜘蛛をロックオンする。
由々が、天に向かって舞う瞬間だった。彼の両の瞳が、澄んだ青色で光った。
「大城一刀流自在剣・第一奥義・
その時、由々は昇龍となった。爆ぜるように大地を蹴ると、およそ現実世界ではあり得ない力の跳躍力でジャンプし、加速する。火炎蜘蛛の下腹部から、背中へと貫いてゆく。由々自身が斬撃と化し、天へと抜けてゆく。
愛姫子と由々を焼き殺さんとした炎は、水龍と化した由々の水のエネルギーの前に無効化され、また極大の斬撃は火炎蜘蛛を体の内部から斬り裂き、臓腑を四方に爆散させた。もう、いかようにも蘇ることなどできない。由々の完全な勝利であった。
しかし、奥義を繰り出したまま天に抜けた由々は、勢いあまって、一気に湖の中心にあった足場の遥か遠くまで舞い上がってしまい、そのまま湖に落ちてしまった。
「由ちゃん!」
愛姫子は湖に飛び込みながら人魚モードに変身して、水中を由々の元へ泳いでゆく。
由々は泳げないわけではないけれど、何があるとも分からない。水の中なら、人魚の自分が近くにいた方が安心だ。
愛姫子は水の中、由々のところまで移動すると、彼を背中から抱きしめた。
──私が、傷つけてしまった人。
そして。
──今でも私にとって、一番大事な人。
愛姫子には、人魚式のライフセーバー的な技術がある。由々の背後から脇の下を通すように彼女の両腕を回し、由々の両腕を彼の胸の前で組ませてから愛姫子が掴んで固定する。
あとは、
程なくして、愛姫子も由々も、元いた円形の足場の上まで辿り着くことができた。
由々はゴロンと仰向けに寝そべって、胸を上下させて呼吸を整えている。愛姫子の魔法を纏って奥義を放つというのは、かなり気力と体力を消耗する様子である。
愛姫子は人魚モードのまま、由々の胸に額をあてて、祈りを捧げていた。
どうか、この男が無事にやりたいこと、やれること、やるべきことを全うできますように、と。
(私の一番の願いを叶えるって、じゃあ、由ちゃんの一番の願いって?)
その点は、まだ愛姫子には分からないのだけれど。
「愛姫子、助けてくれてありがとう」
愛姫子の背中に優しく触れて、由々が言った。
幼い頃から変わらない。彼が愛姫子に触れると、どこかこわばっていた愛姫子の体と心は、本来の調子を取り戻してゆく。これが、彼の言う「なかよし」の力なのだろうか。
そう。何だか異世界にまで来てしまって、この先何があるのかはまだ全然分からないけれど。
一人ではない旅路であるのなら、「なかよし」で一緒にいった方が、きっと楽しいこともあるはずだから。
前向きな予感を世界へ放てば、きっと未来は良いものになる気がした。
愛姫子は両腕で由々の両肩を押さえて正面から向き合うと、大事な幼馴染に向かって満面の笑みでこう答えた。
「どういたしまして。由ちゃん!」
/第一部「愛の冒険のはじまり」・完
第二部へ続く
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