第四章「蜘蛛の魔獣との戦い」

 杖を握り締めると声が聴こえてきたので愛姫子あきこは戸惑ったが、すぐに冷静になり、自分のするべきことに意識を向けた。

 由々よしよしとも、情報を共有しておいた方がイイだろう。頭に響いてきた声を、言葉にして発してみる。


「『七色の杖プリズム・ロッド』、それと、マー、メイヤ?」

「『プリズム・ロッド』はこの杖の名前かな? 『マーメイヤ』? は何だろう?」


「声」は、どうやらこの二つの単語でいったん落ち着いたらしい。

 そして、愛姫子の中で、いよいよこの杖を引き抜かなければならないという気持ちが強くなってきた。直観が、そう告げているのだ。

 力を使わなくても、抜ける気がした。

 だから本当に、窓を開けると新鮮な空気がスっと入ってくるような、そんな自然な感覚で簡単に抜けた。


「抜けた、よ?」


 しげしげと、杖を眺めてみる。何だか、既に手に馴染んでいるような感覚もある。

 その時だった。

 それまでにはなかった怖気おぞけが、愛姫子の背筋を走った。


よしちゃん!」


 殺気を感じた愛姫子は、危険なオーラが発せられている方角を見やる。北の門の方だ。

 かくして、ソレは門を破壊して現れた。

 大きな、蜘蛛くも型の魔獣である。

 由々が、刀を構える。


「番人とか、そんな感じのヤツか? やっぱり、抜いちゃいけない杖だったとか?」


 4メートル四方ほどはあろう大蜘蛛の魔獣が、北の門から続く道を走って、この湖上の中心部の足場に向かってくる。


「速い。逃げるのは難しい。撃退する」


 由々はそう告げると、表情が戦士のものに変わった。刀を握り締めて、迫りくる魔獣に向かって、駆け出してゆく。


「由ちゃん!」


「気をつけて」と愛姫子が声をかけ終えるまでかからない、まさに電光石火の早業だった。


「大城一刀流・かげの型・半月剣」


 由々は独特の中段の構えで大蜘蛛に向かって突進すると、まず最初の一太刀で、複数ある魔獣の前足のうちの一本を切断した。

 大蜘蛛がバランスを崩すやいなやである。続けて由々が放った返しの強力な斬撃は魔獣の胴体の中心を斬り裂き、刃の勢いは大蜘蛛の本体を通り抜けて、空まで届くかのごとくであった。

 大蜘蛛は体液をまき散らしながら、地面へと突っ伏し、沈黙する。

 愛姫子も驚きはしない。由々が剣術の達人なのは知っているからだ。


「よ、容赦ないんだね。由ちゃん」

「僕、しばらく、愛姫子の命を脅かすやつには容赦しない」


 二人の間に、安堵の空気が流れかけた時だった。

 天から、神々しい声が響いてきた。

 降り注ぐ声は由々と愛姫子には日本語として認識され、こう告げていた。


──イカリノホノオガ、キエナイ。


 直後である。遥か、島の中心の山の方から、黒い閃光が弧を描きながら飛んでくる。


「なんだ!?」


 黒い光が、先ほど倒したはずの魔獣に直撃すると、魔獣は炎に包まれ──。

 より巨大な火炎蜘蛛へと変化を遂げて、再び由々の前に立ちはだかっていた。

 先ほどの斬撃でダメージを受けた箇所は再生しており、また、炎をまとったことにより、大蜘蛛はより勢いに満ちている。

 火炎蜘蛛の炎の前足による攻撃を、由々は刀で受けて、力を逃がしながら身をひるがえす。続けて由々が放った胴体への斬撃が──


──今度ははじかれる!


(体が硬くなっているの?)


 あるいは、由々の左腕が肩より上がれば、上段からの強い斬撃で斬れるのかもしれないが。現在の由々は左腕を肩より上に上げることができないのだ。


(何か、援護をしなくちゃ!)


 由々は連続でくり出される、火炎蜘蛛の炎の前足をなんとかかわし続けているが、このままではいつか直撃を受けてしまう。

 愛姫子の気持ちが乱れる。何か、自分も行動を起こさなくてはならない。でも同時に思うのだ。また・・失敗したらどうしよう、と。


(失敗。そう、あの時みたいに……)


 その時である。湖が光り輝くと、水の中から小さな球がスーっと愛姫子の方に近づいてきた。

 球は浮遊しながら人型へと姿を変え、澄んだ青色を宿して眼前に現れた。


「僕は、ウェンディゴン。水の妖精です」

「え。何?」

「あなたは、マーメイヤ様と同じ匂いがします」


 由々が眼前で決死の戦いを繰り広げる中、水の妖精はおっとりとした口調で愛姫子に言葉を伝えてくる。


「マーメイヤ様は、世界の危機に備えて七つの石板を準備していました。そのうちの一つ、『水の石版』をあなたに託しましょう」


 水の妖精の胴体の部分から、現実世界の文庫本一冊分くらいの大きさの石版が出現すると、次の瞬間、石版は七色の杖プリズム・ロッドの青色の円の部分に吸い込まれていく。

 その時だ。

 時間が逆流するような、時空を超越するような、ある、強烈な体験に愛姫子は包まれた。

 見せたくなくて、傷をヴェールで隠していたのに、エイっと覆いを剥がされてしまったような。

 愛姫子の意識が、過去へとさかのぼっていく。


(ああ。私は罪人だ。本当は、私なんて死んだ方がイイんだ)


 過去。罪の意識に苛まれ続ける。白泉しらいずみ愛姫子あきこのハジマリ──


 ◇◇◇


【この世界・現実歴:2009年――愛姫子、15歳の時。】


 白泉愛姫子と大城由々は、控え目に言って「なかよし」である。

 だが愛姫子はこの日、この居心地がいい「なかよし」という関係を、粉々にぶっ壊してやろうと思ったのだ。

 一世一代の告白。

 子どもの頃のおままごとの好きじゃなくて、本気の好き。大人の好き。愛してるってこと。ずっと一緒にいたいってこと。伝えたいんだ。

 人魚だけど、人間の男の子──幼馴染の由々に恋をした。

 高校生になる前に、決めてしまいたい。春の香りが漂い始めたある日。愛姫子は由々を河原へと呼び出した。「Sエス市」の一級河川である空瀬からせ川は、二人がいっしょに幼い時間を過ごした、思い出に包まれた場所だから。愛が成就する日を、ドラマチックに演出したいのだ。

 愛姫子は人魚モードへと変身し、川に飛び込む。

 由々は慌てた素振りをみせた。分かってる。人魚の姿が普通の人々の目につかないように気をつかってくれるのは、彼の優しさだ。

 でも、ありのままの自分を、好きになってほしい。好きだって言ってほしい。

 頭がおかしくなりそうなくらい。求めているのは、それだけ。「愛してる」って、言ってほしい。

 さあ、いくぞ。


よしちゃん、私、あなたのことが──」

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