第三章「水の神殿と十字架と曼荼羅(マンダラ)の杖」
(無償の愛って何だろう?)
しばらく手を繋いで歩いていたが、自然なタイミングで手は離して、今は普通に二人並んで歩いている。
愛姫子が死んでしまうかもしれないという不安に
土を踏みしめて、森の中を歩いていく。門が立っている丘までは、もうすぐだ。
大地に足を下ろす時に伝わってくる感触は、力強い。地球と同じだ。
足裏から繋がる星の中心に想いを馳せると、しばしの忘我が由々に訪れる。
そうだった。愛姫子のこと、自分だけのことじゃないんだ。あの人からも、託されていた。ありし日の、カッコいい大人の女性との会話を思い出す。
◇◇◇
声が聴こえる。
いつかのことだ。由々はそのロックスターみたいな女性と、話をしたのだ。
「俺は大事な人を殺すために剣を磨いてきた男です。どうしようもない人間ですよ」
「そう、だろうか?
「そういった捉え方は、したことがありませんでしたね……」
「今の自分が思いつく程度の判断材料で、勝手にマイナスな評価をしてしまわないことさ。もっと、元気出していこうよ、若者!」
女性は由々のことを想ってくれていた。
彼女は眩い光を帯びているような人間で、比する由々は影だった。
明るい側から応援の言葉をかけられたとして。すぐに積極的に立ち上がれるほどに、由々は前向きな人間ではなかったけれど。
思い出の中の対話は、由々の中にある大事な想いの輪郭を、優しくかたどってくれていた。
◇◇◇
愛姫子は守る。大地の中心まで掘っていったら見つかりそうな。強い確かな熱源のような。根源。心臓。中心。由々の真ん中にある想いは、とても長い間それだけだ。
忘我から帰還する頃、丘に辿り着いていた。
ありがたいことに、丘には道が整備されていた。それほど体力を消耗することなく、丘の上に立つ門の前までたどり着く。
石造りの門である。それほど巨大なものではない。
構造上の特徴はさておき、まず気を引いた事柄がある。
門の上部に、文字が刻まれているのだ。
「『水の神殿、南の門』か」
刻まれた文字列を読み上げたところで、由々ははたと気づく。並んで門を見上げていた愛姫子に確認する。
「字、読めるよね?」
「あ、そういえば」
文字列は、日本語ではない。アルファベットを崩したような印象の文字で、その文字が現実世界にもあるものなのか、はたまたこの異世界特有の文字なのか、由々には判断できるだけの知識がなかったが、まず、「知らない文字が読める」という事実が気にかかる。
「神様だって言ってた和が、私たちに翻訳機能みたいなものもつけてくれたんじゃないの?」
「うーむ。衣服をサービスしてくれたくらいだからね。そういうこともできたりするのか?」
続いて、感じていた印象を愛姫子の方が言葉にしてくれた。
「この文字、なんか懐かしい感じがするよね?」
「愛姫子も?」
「うん。どこかで見たことがあるような? いや、でも知らないし? みたいな? あ。またフワっとした話でゴメン」
「いや、うん。僕も、そんな感じなんだよ」
さて、文字に関する考察はいったん一区切りとして。
「じゃあ、入ってみようか?」
「だよね。ここまで来たんだし」
「邪気みたいなものは感じないけどね」
「
愛姫子の方も彼女なりの、普通の人間にはない人魚としての直観のようなものを持っていたりする女なのだ。
「よし」
覚悟を決めて、門の扉を押してみる。
すると、思っていたよりも、門は軽々と開いた。
この門自体が、たとえば何らかの神事に使われる意味合いがあるというよりは、何か、この奥にある大事な何かを
由々が、抜刀する。
「念のために、ね」
「そうだね。警戒、大事だよね」
刀を片手に、気を抜かないように二人で並んで門をくぐる。
門を抜けると、丘の向こう側の風景が目に飛び込んでくる。丘をくだった先に、大きな湖が輝いていたのだ。
「綺麗、だね」
愛姫子が、感想をこぼす。
「ああ」
愛姫子に同意しながらも、警戒を解かずに、冷静に眼前の風景を分析してみる。
湖の中心に円形の足場が浮かんでいて、そこまでは、東西南北から四つの道が伸びている。泳がなくても、道を歩いていけば湖の中心には行けるようだ。この南門からも、道は一本通じている。
加えて、四方の道の先には、四つの門がある。ここが「南の門」と記された門であったわけだから、残りはそれぞれ北の門、東の門、西の門ということになるのだろう。
「なんか、宗教的な意味合いを感じる配置だね。たぶん、この湖自体が、『水の神殿』ってことなんだと思うけど」
「杖が、刺さってるね」
「杖?」
湖の中心の足場に、何かあるのは由々にも見えたが、愛姫子が「
「ここまで来たんだ。行ってみるか」
「そうだね」
てくてくと「南の門」から丘をくだり、南の方から伸びている、湖上の道を歩いていく。
「水の匂い。イイ匂いだよ」
(愛姫子がそう言うのなら、何か危険が潜んでいる湖ではないのか?)
念の為に刀を握ったまま、歩いていく。十分ほど歩いただろうか。やがて、湖の中心の円形の足場にたどり着いた。
「なるほど。杖だね」
円形の場のさらに中心に、杖が刺さっている。
「なんか、神々しい感じの杖だよね」
白を基調として、うっすらと白銀の光を帯びているような杖である。
杖の先は、まず中心に十字がついている。そして、その十字を囲むように大きい黄金の円が形作られており、円の中には、さらに複数の大きさの円のが形成されている。円の数は、全部で七つである。そして、その七つはそれぞれ、淡く、赤、青、緑、黄、紫、白、黒の七色を帯びている。
「なんて言うんだっけ、こういうの?」
「十字架と
「うん」
「懐かしい感じがする」
「由ちゃんも?」
「抜いてみろってことなんじゃないか?」
「私が? 由ちゃんじゃなく?」
「僕はもう刀を持ってるからね。杖を持つなら、愛姫子の方かなって気がするんだけど」
愛姫子はしばし、無言で考え。
「そうだね。魔法の杖、みたいな。なんか、世界を救うのに役立つ杖かもしれないわけだし?」
愛姫子が、杖に向かって近づいていく。
「じゃあ、いっちゃって、いいかな?」
「ああ。抜いてみよう」
愛姫子が、引き抜くために杖を握り締めた時だった。
杖が光を放ちはじめ、湖がこの中心の足場を起点に、外に向かって円形に波打った。波は、一定のリズムで、一度、二度、何度も穏やかにエネルギーを外側に放ってゆく。
「由ちゃん」
「大丈夫か?」
愛姫子の言葉は、由々としても予想外のものだった。
「あのね、なんか……」
愛姫子は杖を握り締めたまま、美しい声でこんなことを言った。
「声が、聴こえる」
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