第一部「愛の冒険のはじまり」

第一章「神様を名乗る妹に送り出された異世界で愛する人魚(おんな)が目覚めて最初に口にした一言」

 次に気がつくと、由々よしよしは広間の中央に人魚あきこを抱えて立っていた。

 女は、まだ泡にはなっておらず、体のカタチを留めていた。

 それだけではない。呼吸が穏やかになっている。眠っているだけのように思える。

 周囲を見回して状況を確認する。


(何だろう、ここは。城のような?)


 その時、凛とした声が場に響いた。


狭間はざまの城へようこそ、お兄ちゃん」


 声の方に目を向けると、玉座に一人の少女が座っていた。

 少女の顔には見覚えがある。だが、すぐに違和感にも気づく。

 知っている少女にしては装いが高貴で、自分よりも上位の存在である──そんな畏敬の念を覚えてしまう。

 少女の装束は優美であるが、どこか奇妙なおもむきを携えていた。

 上半身は、和装であろう。いわゆる着物というよりは、よりいにしえに宗教的な意味合いで女が──そう巫女みこが着ていたような神秘的な衣である。

 一方、下半身は、こちらは西洋のドレスのような形状をしている。和洋わよう折衷せっちゅうといえば使い古された言葉だが、異なる性質のもが全体としては調和している佇まいである。

 右手には錫杖しゃくじょうを握っていて、透徹な双眸そうぼうで由々を見下ろしている。

 その存在の核心コアから放たれている強いイメージは、「黒」である。漆黒の様式モードで統一された衣装に、綺麗な黒髪を流している。

 伝わってくる暗黒のオーラは、どこか通常の人間の領域を超えているようで、悪魔という言葉を連想させる。


のどか、か?」

「確かに、私はお兄ちゃんの妹の和です。が、今はそう。神です」

「な、なんだって?」

「私は、神様ですと言ったのです。ごめんなさい。今は、そうとだけ理解してください」


 冗談を言っているようにも思えない。


「この場所に、お兄ちゃんと愛姫子あきこさんを呼び寄せたのは、私です。今日が『分岐の日』だから」

「ぶん……なんだって?」

「さて」


 いもうとを名乗る神は、錫杖の先端を床から少し浮かしてから、トン、と静かに降ろした。


「知ってのとおり、愛姫子さんは人間と人魚のハーフですから、半分は空想の存在です。空想が許容されなくなってきた世界では、存在することができないんです」

「死ぬ、ということか?」

「同義です。このままの世界では、もう間もなく命は終わりをむかえ、泡となって消えてしまいます」

「どうにか、ならないのか?」

「ええ。そのために、ずっと私はここで待っていたのですよ。『分岐の日』の先程の瞬間に時間を止めたのも私です」


 時間を止めた? 流星が降ってきた時であろうか。いったいどういう成り行きで妹の和がそんな力を手にしたというのか。由々には見当がつかない。


「結論から言って、お兄ちゃんと愛姫子さんの頑張り次第では、愛姫子さんがこの先も生きてゆくことは可能です」


 本当に? 覆せるものなら、覆したい。愛する人が死にゆくとしたら、きっと誰もがそう思うだろう。


「どうすればイイんだ」

「歴史を分岐させるんです。このまま空想の力が弱くなっていく愛姫子さんが生きられない世界を『現実歴』と呼ぶとしたら、そこから愛姫子さんが生きられるような空想に満ちた歴史・『空想歴』へと世界を分岐させます。

 ですが、これはまさに神の領域の行いでして、膨大な空想の力を必要とします。空想の歴史一つを創造してしまうって、そういうことなんです」


 だいぶスケールが大きい話になってきている。歴史を新たに創造する? 本当にこの和は神様なのか?


「二つ、お兄ちゃんと愛姫子さんにやってもらいたいことがあります。私の力だけでは、世界を分岐させるのに、まだ足りないのです」


 由々は神の言葉を拝聴する。


「一つ。愛姫子さんの一番の願い事を、お兄ちゃんが叶えてあげてください。愛姫子さん自身に、強く生きたいと思って頂かなくてはなりません」

「ちょっと待ってくれ。その言い方だと、愛姫子は今、あんまり生きたいと思ってないってことなのか?」

「察しては、いなかった感じですか? 愛姫子さん、繊細な人ですよ。うまく空想の力に満ちた世界のルートへと分岐できたとしても、愛姫子さん自身がその世界を生きたいと思ってくれないと、やっぱり彼女は消えてしまうんで」


 言葉を紡ぐ少女からは神聖な雰囲気オーラが伝わってくる。神託メッセージは、由々の心の奥に直接響いてくるような不思議な重みを宿している。


「二つ目です。空想世界にある異世界の一つ、ある島を救ってください。間もなく『厄災』がやってきて、滅びてしまう島です。その島は、空想世界の要衝ようしょうなのです。世界の空想の力が弱まってきていたのは、我々の世界げんじつの無関心、現実主義、エゴイズム、などなどといった要因だけでも無いのです。空想世界の方にも、危機が迫っている。特にこの島は、重要です。空想世界は繋がり合っているから、要衝の一つが崩れると連鎖的に沢山の世界が滅んでしまうんです。空想世界の全てが破滅した暁には、私たちはそもそも『想像する』ということができなくなってしまいます。その時にはもちろん、空想の力で歴史を『空想歴』に分岐させるなんてこともできなくなります」


 ここまで述懐すると、和を名乗る神は再び錫杖で床をトンと叩いた。


「やってもらうことの説明は以上です。どうしますか?」

「どうしますかって。その問いは、無意味だろう」


 和は、片方の眉をつり上げた。


「覚悟が、決まってるって顔してますね。わりに合わないことですよ。空想なんて手放して、現実とはこういうものだと、したり顔で生きていく方がきっと楽だから。

 それでも、世界と愛姫子さんを救う旅に出る困難を、お兄ちゃんは引き受けますか?」


(確認してくれるんだ。この気遣いは、本当に和っぽいかな)


 由々の、答えは決まっていた。


──愛姫子を守る。最後の瞬間まで。たとえこの世界がどんなに汚れていたとしても。自分で決めた、自分との約束なんだ。


「ああ。僕、行くよ」

「そう。お兄ちゃん。そんな優しい顔で言うのね。バカなお兄ちゃん。もっと色んなことに、目をつむって生きればイイのに」

「そうは言うけど。人魚あきこがいない世界なんて、面白くないよね」

「面白い、ね。そうやって、本当の気持ちを誤魔化して」

「べ、別に誤魔化してなんか」


 何かを見透かされてるような。もともとさとい妹であったが、この和はさらに知力が上がっているような印象を受ける。


「ええ、でも。そんなお兄ちゃんが、私は好きです」


 和がはにかんだ。この時だけは、神聖な雰囲気が薄れて馴染みある人間の|

のどかのような気がした。


「イイでしょう。覚悟は受けとりました。では、さっそくですが行ってみましょうか」


 和がくるくると錫杖を回転させると、彼女を中心に風が巻き起こる。

 ただの風ではない。直感的な解釈となるが、何らかの神秘的な波動のようなものを帯びている風だ。

 風が由々と愛姫子を通り抜けると、二人と玉座との間──広間の中心部に大きなホールができる。

 和が近寄ってくる。

 穴を向こう側から和が、こちら側から由々が覗き込む。

 すると、穴の中、というよりはるか下といった方が正しいが、一つの島が見えた。

 ちょうど、島の遥か上空から、由々たちが島の全容を見下ろしているといった状況である。


「リルドブリケ島です」


 和の凛とした声が響く。

 大海の中心に、ぽつんと島が浮かんでいる。海には、他に大陸らしきものも島も見当たらない。

 どれくらい上空からこの島を見ているのか定かでないが、日本でいうなら四国くらいの大きさの島であろう。という印象を由々は持った。


(なんだか、寂しい島だな)


 儚い。そんな心象を抱くと、自然と愛姫子を抱きしめている腕に力が入った。


「それでは、旅立ちの時です」


 和が錫杖を振るうと、由々と愛姫子は光に包まれた。


「衣装は二人分、サービスしてあげる!」


 和が錫杖を天にかざすと、光に包まれた由々と愛姫子は、宙へと浮遊し、やがて眼前のホールへと吸い込まれていく。


「ありがとう!」


 何に対する感謝かは、自分でもよく分からなかったが、由々は和に謝意を伝えて、グっと視線に力を込める。これから向かうリルドブリケ島を強く見つめる。その島の姿を、心の奥深くに刻みこまんとするように。

 光とともに、落下していく。

 旅立つ由々の背中に向けて、最後に和からこんな言葉が贈られた。


「健闘を、祈ってるよ。本当に」


 これが、「狭間の城」での由々の記憶の終わり。


──冒険が、はじまる。


 強い使命感を胸にしながら、どこか少しだけワクワクとした気持ちも抱えていた。二律にりつ背反はいはんした心を静かに握りしめながら、大城由々の意識はここで途切れた。


 ◇◇◇


 次に由々が気がつくと、森の中にいた。

 片膝立ちとなり、地面に近いところで愛姫子を抱きかかえたままである。

 腕の中の彼女は先ほどまでの人魚の姿ではなく、人間の姿となっている。

 愛姫子は厳密には人魚と人間のハーフで、もともと人魚の姿にも人間の姿にもなれる。

 今回いつもと違っているのは、先ほど神様を名乗った和がサービスしてくれると言っていたものだろうか。現実世界で着ていた衣服とは異なる、独特の衣装を身につけた姿となっている点である。

 まず、金色の髪が変則的なツインサイドテールのかたちでまとめられていて、長く流した左側が見慣れぬリボンでまとめられている。

 リボンの色は七色で、赤、青、黄、緑、紫、白、黒だ。

 一方で短い右側はシンプルな赤いゴムでとめられている。

 愛姫子はもともと整った顔立ちの女子だが、今回身につけている装束全般に気品があることもあり、姫、という言葉を思い出す。

 もといた世界の女学生の制服を連想させる、シックな雰囲気の上下。

 上衣部からスカートの上半分まで続く一繋がりワンピースは、神に捧げる類の音楽が流れているような静けさを纏う流麗さで、しかも一定の様式モードを調和させている。深緑色で統一されながら、草原が風に吹かれて優しくなびいているような波紋を形成しているのだ。

 スカートは膝丈くらいの長さである。あり様はチェック柄じみていて車ひだを形成しているが、正確には見たことがない、これまた宗教性を感じさせる趣がある。こちらも緑系の色で上衣と色調が統一されているが、スカートの方が色は淡い。

 スカートから健康的な太腿太ももが伸びていて、足に沿って目線をおくるとやがてたどり着く足先は茶系の皮のブーツで覆われている。


「ん、んん」


 愛姫子が閉じたまぶたをわずかに揺らす。どうやら、目を覚ますようだ。

 由々は、ものすごく嬉しい自分にビックリする。


(オマエな、本当に死んじゃうのかと思ったんだぞ)


 まずは、なんと声をかけたものか。伝えないとならないことが、かなりある状況だ。


(でもそうだな、まずは和が言っていた一つ目の方、「愛姫子の一番の願いを叶える」──か)


 この点に関しては、まず愛姫子が何を願っているのか、本人に聞いてみるしかないと思い至る。


よし、ちゃん?」


 愛姫子が言葉を発した。良かった、ちゃんと生きているんだ。

 ゆっくりと開いた瞳がまだおぼろげな彼女に問うてみる。


「愛姫子、おまえの一番の願い事って、なんだい?」


 愛する女はまだ目が覚めきっていないようなボーッとした様子で僅かの間考えると、やがて静かな声でこう言葉を零した。

 人肌に触れて消えてしまう雪のような儚さで、消え入りそうな音が、せかいに響いたのだ。


「私、無償むしょうの愛が欲しい」

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