第5話

 数日後、エレインは北へ向かう馬車に揺られていた。


 王族所有の四頭立ての大型馬車で、客車は定員の四人が乗ってもまだ余裕があり、最新式のサスペンションのお陰で揺れの少ない快適な運行を実現している。


 エレイン以外の乗客は三人。


 まず一人はメイドのアビゲイル。

 長旅ということもあって、いつものメイド服ではなく動きやすさを重視した服に身を包んでいる。


 これは隣に座っているエレインも同様で、服装だけ見ても王族だとは思われないことだろう。


 二人目は少年と見間違えられてもおかしくない風体の少女、ブラックウッド村のジーナ。

 こんなにも上等な馬車に乗ったのは生まれて初めてとのことで、エレインの向かいの席で可哀想なくらいに縮こまっている。


 エレインはそんなジーナの緊張を解そうと思ったのか、何気ない雑談を切り出した。


「そうだ! アビゲイルとマルティナの紹介、まだしてなかったよね? この黒い髪の子はアビゲイル。私付きの侍女で、よくフィールドワークも手伝ってもらってるの」

「国王陛下からはお目付け役も仰せつかっています。姫様が暴走なさったときには強硬手段を取る許可も頂いておりますので、どうかご安心を。ブラックウッドの村には迷惑をおかけしません」

「は、はぁ……」


 ジーナは遠慮気味に相槌を打った。


 気さくな王女と無遠慮な従者。この二人に調子を合わせてフレンドリーに振る舞えるほど、ジーナの肝は太くなかった。


「次に、君の隣の赤毛の人がマルティナ。普段は城の警備をしてくれてる近衛兵で、物凄く強いの! 私が百人いても絶対勝てないくらい!」

「よろしくな、お嬢ちゃん。あたしのことは、ボディーガードなり用心棒なりだと思ってくれ。ドラゴン相手は分が悪ぃかもしれねぇが、人間相手ならそう簡単には負けないつもりだ。頼りにしてくれ」

「こ、こちらこそ!」


 博物学を修めた王女とその腹心の従者、そして王族の護衛を任されるほどの兵士。


 人数としてはたったの三人だったが、これだけでもジーナが期待していた援助の規模を何百倍も上回っている。


 兵士を何人か送り込んでくれたら御の字だと思っていたのに、まさか王女自らが足を運んでくれるなんて、一介の村娘の想像を遥かに越えていた。


 ……もっとも、エレインをよく知る者なら、口を揃えてこう言うだろう。


 あのエレイン王女のことだから、自分で現地に行きたがるに決まっているじゃないか、と。


「見て! カズラジカ!」


 突然、エレインが車窓を開けて身を乗り出す。


「えっ? な、何ですか?」

「見えるでしょ、森の端っこ! おっきな鹿! ああ、なんて立派な角……標本なら見たことがあったけど、本物はあんなに雄々しくて瑞々しいんだね……」


 ジーナもエレインに釣られて窓の外に目を移す。


 エレインの視線の先には、立派な角を持つ一頭の雄鹿。


 それが普通の鹿ではないことは、誰の目にも明らかだった。


「ほら、角をよく見て。普通の角じゃなくて、太いつるが絡み合って、角みたいな形になってるでしょ。だから葛鹿カズラジカっていうんだ。ああ見えて『魔獣』の一種なんだよ」

「魔獣!? でも、魔獣ってもっと凄そうというか、凶暴そうというか、これこそモンスター! っていうイメージが……」

「有名な魔獣はそういうのが多いかもね。だけど学術的には、魔力を取り込んで栄養にしたり、身体機能の一部として魔力を使う生き物は、全部ひっくるめて魔獣って呼ぶの。学説によっては植物も魔獣に分類されるし、その説だと薬草も魔獣なんだよ」

「えええっ!? 薬草が魔獣!?」

「かなりマイナーな説だけどね。普通は『魔法植物』って呼んでるかな。魔獣の方もそれに合わせて『魔法動物』とするべきだ、とも言われたりしてるし」


 薬草は魔力を養分の代わりにするだけでなく、吸収した魔力を使って再生力を高めることで、草食動物に食べられてもすぐに回復することができる。


 人間の傷や病気の治療に薬草が役立つのは、この性質を応用して再生力の向上を人体に作用させているためである。


 しかし薬草を有効活用する生物は人間だけではない。


 カズラジカを始めとする草食性の魔獣も、薬草を始めとする魔法植物を積極的に食べていると言われている。


 この食性のメリットは二つ。


 第一に、魔獣は魔力までも栄養源にできるため、食事量が普通の草食動物よりも少なくて済む。


 第二に、余剰の魔力を体内に溜め込むことで、人間の魔法に近い特殊能力のエネルギー源として使うことができる。


 そしてカズラジカのような草食性の魔獣を、今度は肉食性の魔獣が餌食とすることで、魔獣の食物連鎖が繋がっていくのである。


 ……という主旨のことを、エレインは心の底から楽しそうに、ジーナに語って聞かせていた。


 エレインは本で知識を得ることも、現地に赴いて実地調査をすることも好きだが、それと同じくらいに知識と経験を他人に教えることも好きなのだ。


 人によっては煩わしく感じさせてしまうかもしれないが、幸いにもジーナは興味津々に目を輝かせ、エレインが語る未知の世界の知識に聞き入っていた。


「……なぁ、アビゲイル。姫様っていつもこうなのか?」


 マルティナがこそこそとアビゲイルに耳打ちをする。


「いつもこうですね。お陰様で私も、使い所のない知識が貯まる一方です。姫様が楽しんでおられるなら、それに越したことはありませんけどね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る