第3話

 ――場所は変わって、王城の敷地内に設けられた王族の邸宅。


 帰宅したエレインは浴槽で汗と汚れを落とし、王女らしい装束に着替えて、来客を迎えるための応接室に足を運んだ。


 そこにいたのは、一人の少女。

 年齢は十歳を越えたかどうかで、赤らんだ湯上がりの顔をしきりに動かしながら、ソファーにちょこんと腰掛けて縮こまっている。


「やっぱり女の子だったんだ。最初はどっちか分からなかったけど、綺麗にしたら一目瞭然ね」

「お、王女様!? す、すみません! わざわざお風呂に入れてもらって……」

「着替えの服、私のお古でごめんなさいね。サイズが合うのがそれしかなくって」

「めめめ、滅相もありません! こんなに上等な服、生まれて初めてです!」


 慌てふためく少女の正体は、つい先程エレインとアビゲイルの前に現れた、薄汚れた服に身を包んだ子供である。


 エレインは性別すら分からない有様の子供を放っておけず、詳しい話を聞く前に邸宅へ連れて帰り、従者用の大浴場で体を綺麗にさせるようアビゲイルに指示を出した。


 その間にエレイン自身も、お忍びの変装から王族としての格好に戻り、改めて事情を訊ねる場を設けたのであった。


「さっそくだけど、詳しい事情を話してもらえるかな」


 エレインは少女の対面側のソファーに腰を下ろし、優しい声色で説明を促した。


「は、はい! えっと、僕はジーナって言います。ブラックウッドの村から来ました」


 ジーナと名乗る少女は、緊張のあまりぎこちない口調になりながら、自分達が置かれている状況を少しずつ語り始めた。


「ブラックウッドは田舎の村で、大きな事件なんか何も起こらない場所でした。それなのに、何ヶ月か前から様子がおかしくなってきたんです」


 事の始まりは、家畜が立て続けに行方不明になったことだったという。


 最初は狼や泥棒の仕業だろうと思われていたのだが、すぐに只事ではないと分かった。


 行方不明になっていた牛の一頭が、見つかったのだ。


 しかも刃物で切断されたわけでもなければ、肉食動物に食い荒らされる過程で上半身が先になくなったわけでもない。


 体の前半分を一口で食いちぎられたとしか思えない有様であった。


 更に、現場付近には大きな足跡が幾つも残されており、巨大な怪物が家畜を襲ったことは間違いないと思われた。


 発生頻度は月に一回程度。規則性はなく、次にいつ起きるのかも予想できない。


 どうして期間が開くのかも分からず、考えれば考えるほどに謎が深まる一方だという。


「だけど、怪物の正体が分からないんです。被害が出てるのは間違いないのに、原因が分からないせいで、まともな対策も取れなくって……」

「冒険者に依頼してみたりは?」

「しました。でも、あんまり上手くいかなかったみたいです。高ランクの人を雇うお金なんてありませんから」

「手掛かりなしじゃ、低ランク冒険者には荷が重いか。とりあえず、事情は分かりました。それで、ジーナさん。私に頼みたいことというのは?」


 エレインは真摯な態度でジーナに問いかけた。


 子供の言うことだからと軽んじるような発想は、エレインの頭の中には最初から存在しない。


「王女様、お願いします! 『怪物』の正体を突き止めてください!」


 ソファーから転げ落ちそうな勢いで頭を下げるジーナ。


「ブラックウッドにも王女様の噂は届いています! でも、村の皆は王女様が話を聞いてくれるわけがないって……だから僕、一人で村を飛び出してきて……!」

「そうだったの……本当によく頑張ったわね。分かりました、私に出来ることなら力を貸しましょう」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」


 ジーナは涙ぐみながら、感謝の言葉を繰り返した。


 王族としての使命。博物学の知識で誰かの助けになりたいという決意。


 エレインがこの二つを行動指針として掲げている以上、ジーナの願いを拒絶するなど絶対にあり得ないことだった。


 周囲の人々はもちろん反対するだろう。

 だが、エレインにとってそんなのは些細なこと。


 もう既に、エレインの思考回路は『どうやって国王ちちおやを説得するか』『あるいはどうやって気付かれずにブラックウッドへ赴くか』だけを考え始めていた。


「あの、手掛かりになるか分かりませんけど。実は『ドラゴンが空を飛んでいるのを見た』っていう人がいるんです。さすがに何かの見間違いだとは……」

「ドラゴン!?」


 ジーナが零した『ドラゴン』という一言を耳にするなり、エレインは目を輝かせて勢いよく身を乗り出した。


「本当? 本当にドラゴンが!?」

「ひゃあっ! そそそ、そう言ってた人がいるのは、本当です! でも、ドラゴンなんて実在しないんじゃ……」

「とんでもない! ドラゴンは実在するわ!」


 エレインはまるで踊るように回りながら立ち上がり、恍惚とした表情で天井を仰いだ。


「人間が暮らす領域なんて、この大陸全体からすればほんの一部、西の果ての端っこでしかないの! 東に広がる大森林や大山脈には、数え切れないくらいの魔獣がいる! もちろんドラゴンだって!」

「お、王女様は、見たことあるんですか?」

実地調査フィールドワークの一環で、冒険者パーティーと一緒に大山脈を探索したことがあってね。そのときに、竜使いの一族の里のお世話になったことがあるの。懐かしいなぁ」


 エレインが書物だけから知識を得ていたのは、病と虚弱体質が治る前のこと。


 人並み以上の健康を得てからは、室内で本を読むばかりでは我慢しきれなくなり、積極的に外へ出ては貪欲に知識と経験を吸収し続けてきた。


 そもそも王城からの脱走の常習犯になったのも、この知的欲求を満たしたいという衝動を抑えきれなかったせいなのだ。


 そんなエレインが、ドラゴンと聞いて我慢できるはずなどあるわけがない。


「百聞は一見に如かず! ブラックウッドの村に行って調査してみましょう!」

「ええっ! いいんですか!? せめて知恵だけでも貸して貰えたら、なんて思ってたんですけど……王女様が、村に来ていただけるんですか?」

「お父様の許可をいただけたらね。何も言わずに遠出なんかしたら、また大騒ぎになっちゃうから」

「……また?」


 前科があるのかと訝しがるジーナをよそに、エレインはソファーを離れて応接室の扉に手をかけた。


「少し待ってね。今からお父様とお話をしてくるから」

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