第2話

「すみませーん! 何かあったんですかー?」


 エレインは人垣を強引にかき分けて、二人の男の言い争いに割って入った。


 言い争っていた男達は、唐突に現れたフードの少女が王女だとは夢にも思わず、不審者を見る目を揃って向けた。


「あん? ……って、エレイン王女!?」

「またお忍びですか! いやぁ、恥ずかしいところを……」

「わわっ! 『また』とか言わなくていいから! それより、薬屋さんと薬草売りさんですよね。どうして喧嘩なんかしているんですか?」


 エレインはアビゲイルの無言の圧力を背中に感じながら、男達から喧嘩の理由を聞き出そうとした。


「酷い話ですよ! こいつから買い付けた薬草で薬を作ったら、全然効かねぇって苦情がきたんだ! 偽物を掴ませやがったに決まってる!」

「俺の目が信用できないってか! 正真正銘、注文通りの薬草だっての!」

「まぁまぁ落ち着いて。とりあえず、薬草の現物を見せてもらえます?」

「す、すみません。どうぞ」


 薬屋の男が乾燥した薬草の束を差し出す。


 エレインはそれを受け取るなり、まじまじと観察し、匂いを嗅ぎ、手触りを確かめた。


「なるほど、パナケア草ですか」

「ええ、こいつでポーションを作ったんです。パナケア草のポーションは飽きるほど作ってきましたから、作り方を間違えたとかはありえませんよ」

「薬草売りさん。これはどうやって調達を?」

「……冒険者に依頼しました。ここ最近、ずっと忙しかったもので」

「ふむふむ……となると、効かなかった原因は多分……はむっ」


 おもむろに葉っぱの一枚を齧り取るエレイン。


「姫様!?」


 アビゲイルが慌てるのも構わず、エレインは目を閉じて干し薬草を噛み砕き、その残骸を舌の先に乗せて口から出した。


「……やっぱり。薬が効かなかった理由、分かりました。誰か一人のせいじゃなくて、きっと関係者全員が『少しずつ間違えていた』んだと思います」


 不意に、エレインの纏った雰囲気が一変する。


 緩さすら感じる空気は鳴りを潜め、真剣な面持ちで淡々と言葉を紡いでいく様は、まるで大衆を前に研究成果を発表する学者のようだった。


 薬屋も薬草売りも、それどころか野次馬達も押し黙って固唾を呑み、エレインが次に発する一言を待っている。


「単刀直入に言いますね。これ、やっぱりパナケア草じゃないです」

「ええっ!?」


 周囲にどよめきが駆け巡る。


 特に薬屋と薬草売りの驚きは大きく、口をあんぐりと開けて顔を見合わせることしかできなかった。


「もっと正確に言えば、パナケア草の変種です。亜種と言ってもいいかもしれません。独特の甘みがあるのが特徴で、薬効は普通のパナケア草とほぼ同一。甘みのお陰で飲みやすいポーションが作れるんですけど、従来の手法だと有効成分を抽出できないんです」

「あ……ああっ! 聞いたことあるぞ! 最近そういうのが増えてきてるって! なんで気付かなかったんだ!」


 薬屋の男が悔しげに頭を抱える。


 誤った材料が納入されていたのを見過ごしてしまった――製薬を生業としてきたこの男にとって、それは言い訳のしようもない凡ミスだった。


 エレインは薬屋に対してそれ以上の追求をせず、もう一人の薬草売りの方に視線を移した。


「薬草売りさん。さっき『冒険者に依頼して採集してもらった』って言いましたよね。だけど冒険者ギルドを通していたら、変種の方を間違えて納入することはないと思うんです」

「す、すみません。簡単な仕事だと思ったので、知り合いの冒険者に直接……」

「そして冒険者の人は変種の存在を知らなかったか、どちらでもいいと思って報告もしなかった、と。やっぱりギルドを通すのは大事ですね」

「……お恥ずかしい限りです」


 薬草売りも気まずそうに顔を伏せる。


 こちらも内心では薬屋と同様に、自分の調達ミスに気付きもせず、他人の責任を追求していたのを恥ずかしく思っているのだろう。


 先程エレインが指摘した通り、事の真相は小さな判断ミスの積み重ね。


 もしも誰かが『これは変種の方だ』と気付いていれば、公衆の面前で醜く言い争うことはなかったはずである。


「でも薬草としての効果は変わりませんから、一手間かければ普段通りに使えますよ。もしよかったら、やり方もお教えしましょうか?」

「あ、ありがとうございます!」

「さすがはエレイン王女!」


 四方から飛び交う称賛の声。


 エレインはすっかり表情を緩ませて、色白の顔を赤らめながら


 先程までの知的な雰囲気はどこに行ってしまったのやら。


 掛け値なしの称賛を浴びて恥ずかしがる様子は、年相応の少女の反応そのものだった。


◇ ◇ ◇


 エレインとアビゲイルが再び帰路についた頃には、すっかり日が暮れて空に星が浮かび始めていた。


「いやぁ、すっかり暗くなっちゃった。ごめんね、アビゲイル」

「騒動を収拾させるだけでなく、その後の技術指導までなさるとは。いくら王族の務めだと申しましても、姫様直々にそこまでなさる必要はなかったのでは?」

「確かに必要はなかったかもしれないけど……」


 エレインが駆け足で数歩ほど先に進み、それからくるりと振り返る。


 魔石照明の街灯の光の下、エレインはプラチナブロンドの髪を揺らして微笑んだ。


「私が元気になったのは、お父様がくれた博物学の本のおかげでしょ? 色んな人達の研究の積み重ねに助けてもらったんだから、今度は私が博物学で誰かを助なきゃ」

「博物学……自然界に存在するありとあらゆる物について、その種類や性質を徹底的に記録、分類し、研究する学問……あまりにも壮大過ぎて、私のような者にはとても理解が及びません」

「私だって全然駆け出しだよ。分かんないことだらけ。それが面白いんだけどね」

「ご謙遜を。本職の学者が脱帽するほどではありませんか」


 そのときだった。


 エレインとアビゲイルの進行方向の暗がりから、小さな人影が飛び出してきて、二人の行く手を塞ごうとする。


「姫様!」


 すかさずエレインの前に出るアビゲイル。


 だが、その殺気すら感じさせる気迫はすぐに薄れ、代わりに困惑の色が滲み出てきた。


 人影の正体は、薄汚れた服に身を包んだ子供だった。


 その子供は何やら思い詰めた様子だったが、エレインの姿を見るなり泣き出しそうな顔になり、石畳の道路に膝を突いて頭を下げた。


「王女様! お願いします! どうか村を助けてください!」

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