王女殿下の博物学的事件簿
@Hoshikawa_Ginga
第1話
ミトラス王国の第三王女、エレイン様は生まれつきとても体が弱く、子供の頃からずっと病に苦しんでいました。
屋敷の外に出ることもできない娘のために、国王は国中から珍しい本を集めさせ、エレイン王女が退屈せずに過ごせるように心を砕きました。
可哀想な王女様は来る日も来る日も本を読み続け、いつしか立派な学者に負けないくらいの知識を身に着けました。
そして遂に、自分の体を健康にできる霊草の存在を突き止めたのです。
王様は大喜び。すぐに探索隊を派遣して、一年と経たないうちに伝説の霊草を探し出させました。
こうしてお嬢様は元気になって――
「エレイン様が逃げたぞ! 追え!」
「また脱走!? 一体どうやって抜け出したんですか!」
「回を重ねるごとに、脱走の腕前が上がっておられるな……いやいや、感心することではないのだが!」
――体が弱かった頃の反動で、すっかり元気になり過ぎてしまいましたとさ。
◇ ◇ ◇
首尾よく王城を脱走した王女エレインは、城下町を巡回する兵士の目を掻い潜り、裏路地に店舗を構える怪しげな商店を訪れていた。
店内はガラクタ置き場と見紛うほどに混沌としていて、目付きの悪い年老いた店主以外に従業員の姿はない。
「ふぅ、危なかった」
エレインは変装用のフード付きの外套を脱ぎ、プラチナブロンドの長い髪と、透き通るように白い肌を露わにした。
見た目は十代半ばをやや過ぎた程度。
その儚げな美しさは、もしもここが舞踏会の会場であれば、周囲の視線を独り占めにしていたに違いない。
だが、今エレインがいるのは華やかなダンスホールではなく、正体不明の商品に埋め尽くされた裏路地の個人商店だ。
唯一の観客である老店主も、エレインの容姿にはさほど興味のなさそうな目を向けている。
「ジャックさん。注文したのは届いてる?」
「届いてるよ。ちょっと待ってな」
老店主は気だるそうに小箱の山を漁り、分厚い書物をエレインに渡した。
「ほらよ。ご注文の『魔法生物目録』の初版だ。セプテントリオン魔法学園の教授の名義になってる奴で間違いないな?」
「ああっ! ほ……本物っ! ひゃあああっ!」
本を受け取るや否や、豪華な装丁の表紙に頬擦りをするエレイン。
顔がすっかり緩みきっていて、王族の威厳など欠片もない。
老店主は呆れ顔というか、興味なさげな様子でその様子を眺めている。
「初版で良かったのか? 事典の類なら最新版の方がマシだろうに」
「普通はそうなんだけど、これは例外! 第二版で思いっきり検閲されちゃって、内容が一割も削除されてるから! これにしか載ってない項目が幾つもあって……!」
「へぇ、そうかい。おれみたいな一介の調達屋にゃよく分からん世界だな。そんなことより、支払いはいつも通り現金で頼むぞ」
「分かってるってば」
「毎度あり。代金さえ貰えりゃ文句はねぇよ」
エレインは硬貨の詰まった小袋を老店主に渡し、分厚い目録を大事そうに抱えたまま、鼻歌交じりに裏路地の商店の外に出ていった。
そこに突然、若い女の声が投げかけられる。
「やはりここにいらっしゃいましたか」
「わっ! アビゲイル!?」
店の前でエレインを待ち構えていたのは、黒い髪をしたメイドの少女だった。
年齢はエレインと同程度だが少しばかり背が高く、エレインとは対照的に目付きが鋭くて髪も短く整えられている。
アビゲイルと呼ばれたその少女は、エレインが抱えている分厚い本に目をやると、凄まじく機敏な動きでそれを取り上げてしまった。
「なるほど、いつもの
「あわっ!? か、返してー!」
「お屋敷に戻ったらお返しします。くれぐれも寄り道はなさらないように」
「はぁい」
エレインは観念した様子で、フード付きの外套を被り直した。
「……それにしても。この程度の用件でしたら、私共にお申し付けくださればよかったでしょうに。従者とは雑務を押し付けるためにいるのですよ?」
「雑務なんてとんでもない! 魔法生物目録の初版なんだよ!? 雑な扱いなんか絶対できないってば!」
「曇りなき
裏路地を後にして大通りに出る二人の少女。
そのまま王城へと向かおうとした矢先、大通り沿いに軒を連ねた商店の方から怒声が響いた。
「言いがかりも大概にしやがれ!」
「ふざけんな! テメェが騙しやがったんだろうが!」
見ると、二人の男が激しく言い争っている。
どちらも引く様子はなく、今にも取っ組み合いに発展しそうな剣幕だ。
大通りで騒ぎ立てているものだから、周囲に野次馬がどんどん集まって、すっかり人混みができてしまっていた。
「揉め事のようですね。火の粉が飛んでこないうちに……って、姫様!?」
エレインはアビゲイルが何か言うよりも先に、自分から人混みに向かって駆け出していた。
「寄り道はなさらないようにと……!」
「それはそれ! これはこれ! 城下町のトラブルを無視するなんて、王族のすることじゃないでしょう?」
「……まったく、元気になりすぎですよ」
呆れたような口調でそう言いながらも、アビゲイルの表情はどこか嬉しそうだった。
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