9.四ツ目の魔人

 日は暮れて夜。

 空には星灯り、地には赤い揺らめき。

 不規則でありながら一定の間隔でパチパチと鳴る焚火の音に交じって微かな声が聞こえた。


「――ここ……は」


 掠れてはいたが痛みなどの不快さを伴っていないように感じられる覚醒の声。


「気が付いた?」

「――!?」


 チェシカが声をかけた途端、横たわっていた黒髪の少女――ゼツナは掛け布を払いのけ、一瞬にして身体を起こして距離を取り片膝立ちで構えを取ろうとして――ゆらりとうつ伏せに崩れ落ちる。


「いけません、無理をしては。傷は癒えても体力は戻っていないのですから」


 ミヤミヤが近寄ろうとすると体を無理やり起こして腰に手をやると「くっ、剣が――」とこぼす。


「気を静めて落ち着きなさい。まわりに危険はないわ。わかるでしょ?」

「奴は!? 四ツ目の化け物はどこへ行った!! 兄上! 兄上は無事なのかッ!?」

「奴? ――いい? あなたも訊きたいことがあるんでしょうけど、こっちとしてもあなたには訊きたいことがあるの。でもね。あなたが落ち着いてくれないと話しが進まないのよ」

「――――」


 チェシカをじっと見つめるその姿は手負いの獣のそれ。わずかでも身に危険が及ぶことがあれば、全力をもって抗おうとする肉食の獣と何ら変わらない。

 チェシカは目をそらすことなく話しを続ける。


「あたしの名はチェルシルリカ・フォン・デュターミリア。知り合いからはチェシカって呼ばれてるから、良ければあなたもそう呼んでくれてかまわないわ。それで? あなたの名前は?」


 緊迫した状況ではなく危険がないことをわかってもらう為に、なるべるゆっくり名前を名乗ってから彼女に尋ねる。

 ちなみにミヤミヤにも「チェシカでいいわ」と言っているのだが一度もそう呼ばれたことはない。


「――イサナキ・ゼツナ」


 いつでも飛びかかれる、あるいは逃げ出せるように踵を浮かせ重心を低く構えたまま答えるゼツナ。

 チェシカよりは年上に、ミヤミヤよりは年下に見える少女はその見た目の若さよりは思いの外、低く通る声で自らの名を名乗った。


「そう。じゃ、ゼツナさ――」

「ゼツナでいい」

「――わかったわ、ゼツナ。で、こっちの妖精人族フェアリーがヒュノル、こっちがミヤミヤよ。彼女があなたの傷を癒してくれたの」


 周りの気配を感じ取ったのかどうかわからないが、ゼツナは少しずつ落ち着きを見せ、緊張感はそのままで臨戦態勢の構えだけは解いた。


「――そうか。そのような淫靡いんびなりをして下賤な者かと思ったが助けてくれたならば礼は尽くさねばな。かたじけない」


 そう言ってゼツナはミヤミヤに頭を下げる。


「……いんび?……げせん? ――いえいえ。お気になさらずに剣士様。ご無事でなによりでございました」


 細い目をさらに細め、満面の笑みに💢を浮かべつつ「田舎育ちの剣士風情が、ブチ殺してさしあげましょうか」とつぶやくミヤミヤに「まぁ、まぁ、彼女も状況がわかってないんだから」と諭すヒュノル。


妖精人族フェアリーとは何だ? の一種なのであろうか?」


 そのヒュノルを見て不思議そうに首を傾げるゼツナ。

 今度はヒュノルが「っちゃっていいよ、ミヤミヤ。僕が許す」とつぶやく。


「それで? 一体、何があったのか訊かせてもらえるかしら?」


 ヒュノルとミヤミヤの物騒なつぶやきはとりあえず無視して、チェシカはゼツナに改めて問い掛けた。


「――ッ!?」


 瞬間、両の拳を握りしめ、軋む音が聞こえるほど何かを堪えるように歯を噛みしめる。

 小刻みに震えるほど握りしめられた拳は微かに赤く滲み始めた。


(――余程のことがあったみたいね。まぁ、この状況からはだいたいの想像はつくけど)


 そんなことを内心で思いながらも、チェシカは黙ってゼツナが話してくれるのを待つ。


「フッー」


 荒れ狂う感情を無理やり抑え込むように大きく息を吐くゼツナ。


「化け物が……四ツ目の化け物が里を襲ったのだ。奴がなぜ里を襲ったのかはもちろん、どうやってこの里に来たのかもわからん。私はその時、里の外れまで狩りに出ていたのでな」


 これから話すことの光景が思い浮かんでくる。


「――里に戻る途中で異変に気付いた。魔除けの結界が消えていて里の近くで魔蟲が現れたし、突然湧いたように巨大で禍々しい気配を感じた。私が戻った時――」


 言葉が詰まる。

 あちこちで倒れていた里の者。そして――。

 そこでゼツナは唇を噛む。


「もっと……もっと早く戻っていれば……」

「……」


 無念と後悔の入り混じった表情を見せる彼女をチェシカは黙って見つめる。

 今の彼女にかける言葉などない。

 結果は変わらなかった。むしろ、あなたも殺されていた――などと言ったところでどうなるというのか。慰めなどなりはしない。


「――奴と戦っていたのは兄上一人だった。すぐに私も加勢しようとしたが、先に奴の方から仕掛けて来て。奴は……強かった。強過ぎた。何も……何も――出来なかった」


 その後の事はよく覚えていないとゼツナは言う。

 四ツ目の化け物に敗れ、掴み上げられたかと思ったら気を失う最後の瞬間、兄の顔が見えたような気がする――と。


「そう――」


 訊き終えたチェシカは焚火を挟んでゼツナの前に腰を下ろす。


「その四ツ目の魔族ばけものは外見以外ではどんな感じだった? 魔術は使った?」


 訊く限りかなりの強さを有する魔族のようだ。少しでもその力の一端を知っておくに越したことはない。戦うかどうかは別にしても。


まじないのことか? 兄上との戦いで使っていたのかどうかは、わからない。少なくとも私の時は何かの術は使っていない。単純に蹴りや突きだけだった。武器らしき物も持っていなかった」

「――やっかいね」


 腕の立つ剣士を軽くあしらうほどの相手。それも何十人と同時に相手出来るともなれば、魔術師のチェシカでは近接戦闘は絶望的に思える。


「――あとは随分とよく喋っていたな」

「!!」

「!?」

「――喋った……の? その魔族」


 信じられない、否。信じたくないという思いを込めてヒュノルはゼツナに尋ねた。


「? あぁ、少し抑揚がおかしかったがちゃんと聞き取れる言葉だったぞ?」

「――確定ね」

「――確定ですね」

「――確定だね」


 チェシカ、ミヤミヤ、ヒュノルの三者三様の口調、しかし『最悪』という思いは同じ。


「何のことだ?」


 ゼツナだけは自分の発言がどういう意味を持っていたのかをわかっていなかった。


「あなたが相手をした魔族はとんでもない化け物だってことよ」


 反応からして魔族に関してあまり詳しくないと思われるゼツナにチェシカは軽く説明レクチャーすることにした。


「魔族にはその強さに応じて階級分けされているの。といっても人族が勝手に付けたものだけどね。まずは低級魔族。これは魔蟲や粘着生物スライムなんかの本能で行動するような魔族や、特定の決められた行動パターンしか出来ない魔法生物なんかのことよ。自分の意思を持って行動する魔族が中級魔族に分類されるわ。小鬼ゴブリンとか角犬顔コボルト食人鬼オーガー亡霊ゴーストなんかがそうね」


 時折、集めて来た小枝を火にくべながら説明を続ける。


「さらにその上に上級魔族というのがあって、狂人牛ミノタウロスとか蛇頭女メディーサなんかがそう呼ばれてるんだけど、上級魔族でも特に強力な魔族は魔人として別格の階級カテゴリーとして区別されるの。で、そういう魔人は大抵、人族の言葉を話すことが出来るのよ」


 チェシカは揺らめく炎に魅入られたかのようにじっと見つめながら「あと魔族は『人型』に近ければ近いほど強い傾向があるわ。例外もあるけどね」と付け加える。


「――では私が戦ったのは」

「まず間違いなく魔人でしょうね。三百年前の天魔戦争以来、魔人が現れたなんて噂話程度しか聞いたことないんだけど」

「どうやったら……殺せる?」


 殺意と怨念に満ちた瞳をチェシカに向けて尋ねるゼツナ。

 そんな視線を向けられても特に気にすることなく、チェシカは肩を竦めてみせる。


「『滅国』という書物によれば 不死者の魔王ロード・オブ・ナイトメアという魔人は当時の近隣諸国が連合して騎士団、魔術師団が総出で対処しなんとか封印したって書いてあるわ」

「――――」

「つまり魔人クラスの魔族を相手にするなら軍隊レベルの戦力を考えなくちゃいけないってことね」


 そう言ってチェシカは「考えたくもないけどね」と付け加える。


「さて、と。それじゃ今後のことも踏まえてもう少し話をしましょうか。今度は座りながらゆっくりとね。個人的にあなたたち――あなたに訊きたいこともあるし」












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