8.襲撃の里
その日、ゼツナは狩りの当番だった。本来ならば日が沈む前に里に戻るのだが、里の子で十歳の誕生日を迎える男の子がいたので、お祝い用に大鹿を狙いに少し遠出をして帰りが遅くなってしまった。しかし、その甲斐あって立派な大鹿を狩ることが出来た。
血抜きをし、前後の脚をそれぞれ縛って肩に担ぎ意気揚々と里に戻る最中、異変に気付く。
「――ッ!?」
里までもう少しという距離。魔除けの結界が張ってあるはずなのにその結界が――ない。
さらに。
ガサガサと廻りから何か大きな物が近づく気配。
「魔蟲だとッ!? 馬鹿なッ! こんな里の近くで!!」
夜の森で真っ暗ではあるが、ゼツナは――里の者は夜目が効く。
女の身ではあるが、里の中でも男たちと身長がそう変わらないゼツナよりも倍近くの大きさの蜘蛛が三匹、長い脚を素早く動かしながら迫って来る。その挙動は明らかに獲物を狙うそれだ。
ゼツナは担いでいた大鹿をその場に捨て置くと、腰の小太刀を抜く。
その時、森の奥、里の方から巨大な禍々しい気配が爆発的に立ち昇るのを知覚した。
「今度は何だッ!!」
答える者は当然いない。
ゼツナの叫びが合図になったかのように一匹の大蜘蛛が飛びかかって来る。
ゼツナはバックステップで詰められた分だけの距離をとる。
森の中、背後には木々が並ぶが背後を振り返ることなく避けて移動するゼツナ。
この森は幼少の頃から駆け回った里の森。眼をつむっていても移動出来る。
大蜘蛛といえば、その巨体が災いして木々が邪魔になり方向転換も容易にはいかない。身体が引っかかり、一度後ろに下がる。
今度は逆にゼツナが前へ出て大蜘蛛との距離を縮めると、大蜘蛛の脚へと小太刀を一閃、二閃と振るう。と、そのたびに蜘蛛の脚が飛んだ。
「ギギギギ」
魔蟲に痛覚があるのかどうかわからないが、耳障りな音を立てて後退する様子は、自らが襲った相手が単なる獲物ではないことが理解出来たのだろう。
と、横合いから別の一匹が近づき、白い液体のような物をゼツナに向けて飛ばす。
身体を捻るように横にずらしてそれを避けるゼツナ。
白い液体は木の幹に当たると、大きく広がって幹を包み込むように張り付いた。
その様子から粘着力の強さが伺い知れる。両足に受けてしまったらまともに移動出来なくなるだろう。口元に当たれば最悪、呼吸が出来なくなるかもしれない。
「――太刀の
逆手に持った小太刀を下から逆袈裟に振り上げる。
地を削り、斜めに奔った斬撃は白い液体を飛ばしてきた大蜘蛛へ向かい、近くの木々ごとその身を切断した。
間髪入れず、順手に持ち替えた小太刀を脚を斬り飛ばした蜘蛛へ向けて振るう。
届くはずもない距離。
手元の操作で刀身を押さえていた
しかし、手元の柄から突き刺さった刀身まで鉄線が伸びていて――。
柄を握る反対の左手の人差し指と中指を揃え立て印を結ぶ。
「【
鉄線を伝って青白い光が大蜘蛛の口元へと向かって行く。
「ギギギギッギ!?」
光が口元に触れた瞬間、大蜘蛛の全身を雷光が包み、夜の森を激しく照らす。
雷を受けた大蜘蛛は体内の体液を沸騰させて絶命した。
残りの一匹は、仲間の末路を見て敵わないと悟ったのか、後ずさるように逃げていく。
「里に急がねばっ!」
手元の柄のスイッチで飛ばした刀身を戻し、腰の鞘に納めながらゼツナは脇目もふらず走り出した。頭の後ろで乱雑に束ねた黒髪を激しく揺らしながら。
◇
「なっ――!?」
その光景に絶句する。
今朝、里を出た時とは一変していた。
「一体、何が……はっ! おいッ!」
呆然とした状態から我に返ると、目線の下の畑に倒れている里の者を見つける。
里全体が少しだけ周りより地盤が沈んでいて、森との境目からすり鉢状になっている斜面をゼツナは勢いよく滑り下りながら横たわる者へと駆けて行った。
「おい、どうしたッ!? しっかり――うっ!」
うつ伏せに倒れていた者の近くへ駆け寄った時、すでに絶命していることがすぐにわかった。首を飛ばされて生きていられる者などいない。
「――なんてことだ……」
あちこちに倒れている者に駆け寄ってみたが、全員が息絶えていた。
ある者は腹を破られ、ある者は首をねじられ、手足が欠損している者も少なくない。胴体だけの者もいた。
その時、一つの家屋から爆発のような轟音と共に人影が飛び出てくる。
「――ッ!?」
あまりのことに気が動転していたのか、その轟音で我に返る。と、同時に凄まじく禍々しい気配に肌が粟立つ。
何事かと見てみれば額から血を流し、地に片膝を立てて身構える者と、崩れた壁をくぐりのっそりと姿を現す影。
「兄上ッ!!」
里長でもあるゼツナの兄――ラセツの姿を認めて、絶叫にも似た声を上げる。
「気をつけいぃ!! 化け物ぞッ!!」
姿を見せたその者を見てゼツナは一瞬で人間ではないと理解する。
まっさきに目に入ったのが蒼白を通り越して死者のように青い
頬はこけ頭蓋が浮き彫りになるほど肉付きが薄い。
全身を晒したその化け物は、長身痩躯を襟の高い黒のコートに身を包んでいることがわかった。
その貌がゼツナに向く。
「――!?」
と、同時に気が付けば目前までその化け物が迫っていた。
「がはッ!」
何が何だかわからぬうちに腹部に強烈な衝撃を受けたかと思うと、痛みを感じる間もなく肺にあった空気を吐き出し真後ろに吹っ飛ぶ。
その勢いは凄まじく、里を囲う土手まで飛ばされ背中から激しく打ち付けられた。
「ごはぁぁッ!!」
今度は空気ではなく吐血し、遅れて全身を激しい痛みが包み込む。
化け物は先ほどの位置で、地面から水平に伸ばした脚を元の位置に戻していた。ゼツナはどうやら蹴り飛ばされたらしい。
バラバラになりそうなほどの痛みは、もはやどこがどう痛いのかわからない。
無意識にとった『浮き身』で衝撃を逃がしていなければどうなっていたことか。
「ぐぐぐっ」
叩きつけられた土手からなんとか身を剥がす。と、視線の端に何かが。
視線を向けると自分よりも一回り小さな体躯。見覚えのある衣装。まるで強烈な勢いで叩きつけられた蛙かの如く、土手に張り付いた人型。
世に生れ出でて十年の祝いの日。
「あ――、あ――、あぁぁぁぁがががぁぁぁぁぁ!!」
およそ人間が発するとは思えぬ
ゼツナの絶叫を聴いた四ツ目の化け物は。
「良イ、良イゾ。ンー、心地好イ。雑種ガ叫ブ絶望ノ声ノナント甘美ナコトヨ。三百年ブリノ美味。貴様、気ニ入ッタゾ。ユルリト味合ワセテモラウトシヨウ」
驚くべきことにその化け物は人語を介した。しかし、今のゼツナにはどうでもいいこと。
「
咆える。
「よせッ! ゼツナ!! 我らでは敵わぬッ! 逃げるのだっ!! 退け、ゼツナ!!」
「退けませぬッ!!」
膝をつき腹部を押さえたままのラセツの制止を無視して、ゼツナは四ツ目の魔物に仕掛ける。
「
里の一族に伝わる秘術の一つ、
ゼツナの体内にアドレナリンが巡り痛覚を遮断。それによりダメージ無視、肉体の疲労、損傷に影響を受けずに行動出来るようになる。
「ゼツナッ!!」
ラセツの叫びと共に地面を抉るほどの勢いで四ツ目に向かって飛び出すゼツナ。
「【
四ツ目の前に小太刀を抜いた三人のゼツナが現れる。
単なる分身ではなく、三人が個々に攻撃を仕掛けていく。
「ホゥ。ナカナカ面白イ技ヲ使ウ――ガ」
三人のゼツナが振るう小太刀はどれも当たらない。強化されたゼツナの動きを軽く凌駕する四ツ目の動き。そして。
一人目には抜き手の手刀を喉元に。
二人目には首に廻し蹴りを。
三人目には腹部に正拳突きを。
「ぐごぉっ!」
一人目、二人目は煙のように霧散したが、三人目のゼツナはその場で崩れ落ちそうになるところを四ツ目が首を鷲摑みにして目の前に吊り上げた。
「げふっ」
吐血が四ツ目の貌を朱に染める。
口元まで滴り落ちて来たその血を――舐める。
「フハハハハ、旨イ、旨イナァ。怒リ、憎悪、苦痛、恐怖、絶望ノ味。美味、美味ダゾ、小娘。貴様ノ血ノナント旨キ事ヨ」
まるで世に誇るが如く、さらに高くゼツナを掲げる。
ゼツナは動けない。
武装暗技によって痛覚や疲労などを無視出来るとはいえ、肉体の構造自体が変わるわけではない。腹部へのダメージで運動神経の伝達が遮断されれば動くことは叶わない。
「デワ三百年振リノ
「ぐ……が……」
強く首を絞められゼツナの口から呻き声が漏れる。その喉元をある種、うっとりと見つめながら四ツ目がその口を大きく開くと、まるでサメのように鋭い牙が並んでいて――。
「!?」
突然、すぐそばから何者かの気配が現れゼツナを掴む四ツ目の腕を肘の辺りから斬り飛ばした。
「貴様!? 何処カラ!」
見下ろす足元、ゼツナを抱きかかえるラセツに驚きの声をあげるが、瞬時に片方の腕を爪を立てて振り下ろす――が、ラセツを切り裂く直前、その姿が消えた。そして数メートルほど離れた場所に忽然と姿を現す。傍らにはゼツナを抱えたままで。
「超速移動デハナイナ――ナルホド。空間ヲ繋ゲル入口ト出口ヲ作ルコトガ出来ルノカ。我ラガ扱ウ
納得したと頷きながら、斬り飛ばされた腕を拾い切断面を合わせるとピタリとくっつき、何事もなかったかのように元通りとなった。
"次元渡り"
視認する空間内での二つの座標を繋げゼロ距離にすることで一瞬で移動する長の血族のみに伝わる口伝秘技。
魔術や聖術的な術式での現象ではなく、肉体に宿る
生涯に数度しか使うことが出来ないと言われている秘技を一日で二度も使えばどうなるか。否。ラセツは三度目を使う。今度は出入り口を繋げるのではなく、己が命の全てを使って一分、一秒でも長く空間が開かないようにする。
「生きよ、ゼツナ」
つぶやくと同時に目の前に空間の歪みが生じ、すぐさまゼツナの身体をその歪みに投じる。
「あ……に……」
空間の歪みが消えると同時にゼツナは意識を失った。
(さらば……だ、ぜつ……)
その思いを最後にラセツは息を引き取った。
「フム。空間ノ狭間ニ隠シタカ。引キズリ出ス事ナド造作モナイ事デハアルガ――ソレモ興覚メカ。楽シミハ取ッテオクトシヨウ。ソレヨリモ此奴ノ身体ヲツカウトスルカ。ナカナカ素体トシテハヨサソウダ――」
四ツ目はそうつぶやくとラセツの死体に手を伸ばすのだった。
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