4.結社"明けの明星"

 チェルシルリカ・フォン・デュターミリアは自由人を自負している。食べたいときに食べ、寝たいときに寝、やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。

 何事にも縛られることを嫌い、彼女には誰であろうと命令も指図もすることは許されない。

 様々な依頼を受けるも受けないも興が乗るか乗らないかの違い。

 情に流されることもなく、報酬の大小で決めている訳ではない。

 今回、自称巫女が言った『報酬の良いお仕事』という口説き文句に落ちた訳ではない。


「――ないんだからねッ!」

「急にどうしたのチェシカ? 空に向かって叫んだりして」

「え? ううん、気にしないで。ただちょっと、あたしの本当の気持ちを知って欲しくて」

「??」


 ヒュノルは『どこの誰に?』という疑問が一瞬浮かんだが、電光石火の速さでその思いは消えていったので口にはしなかった。

 チェシカ相手にあまり深く考えても仕方がないという、悲しみに満ちた悟りの境地である。

 時刻は昼下がり。

 行きつけの酒場で飲んでいたところを、目の前を歩く趣味で巫女をやっているという女性に声をかけられ、チェシカとヒュノルの二人はどこかへ連れられている最中なのだが。


『――申し遅れました。わたくしは"お館様"にお仕えする者の一人、ミヤミヤ・アークと申します。以後、お見知りおきを』

『あぁ。そういや包帯男ミイラが言ってたわね。使いの者を寄こすって。あなたのこと?』

『はい』

『――あなたが何をしに来たのかだいたいの想像はつくけれど、最初に言っておくわ。あたしが魔族退治してるのは、あくまでビジネスなの。、ね』

『……』

『だからって報酬おかねを積まれたからって、何でもかんでも引き受ける訳じゃないわ』

『――参考までにどういった依頼ことなら引き受けていらっしゃるのか伺っても?』

『そうね。内容もある程度吟味するけど、一番重要なのはあたしの心が動いた時――かしらね』

『心……ですか』

『そう、心よ。お館様だろうが王様だろうが関係ないわ。会いに来るならともかく、呼びつけようってことなら相応のことを用意してもらわないとね。どう? あたしの心を動かすような何かをあなたは持っているかしら?』

『……とりあえず、ここのお代はわたくしがお出ししますので、よろしければ追加ちゅ――』

『マァァスタァァァァァ!!! エール大ジョッキとサイコロステーキを岩塩しおでッ! あとバラエティ焼き鳥セットとミックスサラダもッ!』

『僕にはハニーレモンスカッシュとミックスフルーツケーキをッ!!』


 と、いった一幕が酒場であって今に至っている。


「――ずいぶんなところへ連れていくのね」


 酒場を出て雑多な建物が並ぶ、いわゆる下町を抜けて閑静な区画へと向かうミヤミヤに声をかける。

 先ほどまでいた猥雑とした下町然とした区画と比べて、同じ街なのかと思うほどにまったくの別世界。

 これから向かうだろうその場所は、街の住人から"凪区カーム"と呼ばれていて楽園フォーリングタウンでも特に治安の良い区画だ。それ故に住人の多くは凪区そこに近寄らない。それはなぜか――。


「デュターミリア様でしたら、凪区ここにお住まいになられる資格は十分におありになるかと存じますが」

「冗談でしょ」


 資格云々うんぬんではなく。


「こんなバケモノの巣窟なんてお断りよ」


 その地面を踏んだ瞬間、肌がチリつくような圧迫プレッシャーを感じる。

 特に明確な仕切りや境界線がある訳でもなく、魔術的な結界が張られてる訳でもない。しかし、目には見えずとも一歩踏み出した前足と残った後ろ足の場所では、はっきりとした差がある。

 凪区ここに住んでいる――否。棲んでいる者たちの存在感がこの辺り一帯の空気に染み入っている感覚。しかし、チェシカは歩みを緩めることなくミヤミヤの後をついていく。


「それにしても"明けの明星"ほどの結社のお偉いさんが、こんな街に住んでいるなんて知らなかったわ」

「いえ、お住まいではなく拠点の一つとお考え下さい。あぁ、支部と言い換えた方が正しいかもしれませんね」

「支部……ねぇ」

「着きました。こちらでございます」


 案内されたのは周りを城郭で囲まれた白亜の城館。その荘厳さはどこかの貴族か領主の住まいと遜色ないだろう。

 立派な鉄扉門が閉ざされているが、ミヤミヤが小さく何かを唱えるとスルスルと門が内側に開いていく。


「では、中へ。"お館様"がお待ちです」





 通されたのは応接室。

 まず入ると正面に暖炉があり、その前には長方形のテーブルを挟んで二、三人はゆったりと座れそうなソファーが向い合せで置かれている。

 部屋の左は大きなガラス壁でその向こうにはウッドチェアと丸いテーブルが置かれたテラスも見える。

 くだんの"お館様"はチェシカたちに背を向ける恰好で、テラス越しの景色を見ていた。

 

「――デュターミリア様とヒュノル様をお連れ致しました」 

「ご苦労だった。ミヤミヤ」


 恭しくこうべを垂れるミヤミヤに労いの言葉をかけながら"お館様"が振り返る。

 まず目につくのは目元から鼻頭までを覆うフェイスマスク。当然ながら表情かおは分からないが、物腰と声を聞く限り"お館様"という言葉から想像するほどに年かさではないようだ。

 着込む衣装は黒のタキシードスーツで赤みを帯びた金ブロンドの髪を映えさせている。

 左右の襟元から半ばまでの蔓模様は金刺繍で施されているが、嫌みさは無くむしろ気品を漂わせるのに一役買っているだろう。


「不躾なお呼びたてに応じて頂き感謝する、デュターミリア殿、ヒュノル殿。まずは掛けてくれたまえ――ミヤミヤ、お二人に何かお飲み物を」

「エール――」

「いや、お構いなくッ!!」


 図々しくもエールを頼もうとするチェシカに、慌ててヒュノルが遠慮の言葉を告げる。


「ふん」


 そう鼻を鳴らすと、チェシカは薦められたソファーへ、どすんッと座った――つもりだが、実際にはチェシカの小柄な体重ではぽふっという表現になるだろうか。それほどにふかふかのソファーだということも言える。

 ヒュノルもチェシカの隣にちょこんと正座する。


「改めて挨拶を。この館の主、ギリアス・ファーンだ」


 向かいのソファーに腰を下ろした男は自らの名を告げた。


「――マスクは取らないんだ」

「チェシカ……」


 チェシカの言葉をやんわりと窘めるヒュノル。


「ほら、顔に何か傷があるとかそういう理由が――」

「いや、無いぞ。着けたままの方がカッコイイし、雰囲気出ると思ってな」

「外しなよッ!!」


 ここ近年で最速のツッコミを入れるヒュノルだった。


「――失礼致します」


 一度応接室を退出したミヤミヤが戻って来た。

 湯気が立ち上るティーカップを乗せたお盆を手に、テーブルまで来ると「お待たせ致しました」とティーカップを三つ並べていく。驚くべきはヒュノルの分。


妖精人族フェアリー用のティーカップなんてこの世に存在してんのね」

「僕も初めて見たよ」


 小さな女の子が遊ぶミニチュア玩具にありそうなサイズのティーカップとソーサーがヒュノルの前に置かれている。


「まずは温かいうちに喉を潤してくれ。なに、君たちには毒なんて入れないから安心してくれたまえ」


 じゃぁ、誰になら入れるんだと思わなくもないが、藪をつついて竜が出てきても困る。チェシカもヒュノルも流すことにした。


「あ、美味しい」


 つい素の感想を漏らすチェシカ。


「そうだろう、そうだろう。私は紅茶には目がなくてな。フォルトム&メルソンという店が降ろしている物でね。私の一番のお気に入りなのだよ」


 チェシカの素直な感想を聞いて嬉しそうに口元を緩ませながら自分もカップに口をつけるギリアス。

 ちなみにヒュノルはチェシカの隣からテーブルに移動して、フーフーと紅茶を冷ましている。猫舌なのだ。


「さて、と。キミのことについてはいろいろと聞き及んでいるのでまずは先に報酬じょうほうを一つ渡すとしよう。ここまで足を運んでくれた礼だ。今回の件には"異界文明の欠片オーパーツ"が絡んでいる可能性があると思われる」


 口元に運びかけたティーカップを途中で止めたチェシカは、口をつけることなくテーブルへと戻す。


「――聞くわ」


 そう告げるとチェシカはソファーに深々と背を預けた。












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