自信と自己愛

久々に文章を書く。今日は吐露した感情の思いがけない毒素の強さに悩まされ筆を取った。その感情があることも知っていたし、たびたび彼氏にも話していたから理解はできているはずだ。ただその感情の強さはちゃんとわかっていなかった。

自分を信じること、私に今欠けていることだ。自分に何ができるか、それは知っている。そうあくまで知っているだけなのだ。イコール自信ではない。自分が賢い方であること、聡い方であること、他の人にはない世界観や才能を持っていること、人とは違うこと、顔が整っている方なこと、愛嬌があること、他者から好かれていること、彼氏に愛されていること、全て知っていることにすぎない。これから先、不安に思っていることも努力すれば問題解決できることさえ知っている。そして自分は努力できることも知っている。

知っていることと信じることこの二つは下手したら対極にあるものだ。極論何も理解できなくとも信じることはできてしまうのだ。まあなぜそこまで自信がないのか心当たりはある。

一つ、家族からの期待がなかったため自己肯定感というそもそもの自信の下地がないに等しい。あくまで私にあるのは自己愛である。なんで自己肯定感ないくせに自己愛は人並みなんだと問いたい、というか恨みたい。自己愛はあるのは幸いではあった。おかげで他人の好意を信じることができる。感情投影(他人の思考感情などを当人を知れば知るほど言われずとも読み取れる能力)のおかげでもあるのだが。だから自分のことは好きだし、自分が作り出すものや世界観も好きだ。才能に関することなら信頼もしてる。ただ悲しいことに自分自身となると話は別なのだ。

一つ、自分の能力に関して努力して何かを得たという経験が薄い。メキメキと成長しているのはここ数年である。それまで誰も価値を置かなかったため、磨けば光るなんて知らなかった。さらに言えば誰もちゃんと理解して認めてくれなかった。生まれ落ちて初めて知る他者が自分を理解できないってなんて悲しいことだろうと思う。他人事みたいだ。

この問題に関してはどうすればいいのか皆目分からないしどうしようもないなあと思ってる。今日も今日とてままならない。ただ信じれる誰かがいるというのは本当によかった。

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