三十九、親子

   三十九、親子




 気が付くと私は、ベッドに倒れ込んだ状態ではなくて、きちんと寝かしつけられていた。


 完全に日が落ちているようで、月明かりに変わっている。


 大きな窓から注がれる月光は、心にまで届いているような気がした。


「ゲンジがしてくれたの?」


 旅を始めることになってから、こんなに豪華でふかふかのベッドに寝たことがなかった。


 いや、教会でも簡素なものだったから、生まれて初めての体験だ。


 ベッドにはゲンジが居ないから、ソファだろうか。


 それとも、部屋を出てどこかに……魔王と話でもしているのだろうか。




「ゲンジ……?」


 私と結婚すると言ったのを、まさか後悔していたりするのかしらと、不安がよぎる。


 たくさん、話したいことがある。


 眠ってしまわずに、あのまま話がしたかったのに。




 彼を探して見渡すと、淡い光に照らされて、部屋中の金の装飾が青白く反射していた。


 最初は少し悪趣味だと思ったけれど、夜に見ると綺麗だ。


 それらに触れながら……テーブルのあるところまで歩くと、ゲンジがソファに横になっていた。




「寝てる……? ベッドで寝ればいいのに。こんなところで」


 遠慮だろうか、それとも今更になって、恥ずかしいとでも思ったのだろうか。


「たくさんいじわるしてやるから。覚えておきなさい?」


 でも、風邪をひいてはいけないから、ベッドからブランケットを持ってきて掛けた。


 改めて彼を見ると……旅をしていた時よりも、一回り大きく見える。




「別人じゃ、ないわよね?」


 急に怖くなって、顔を覗き込んだ。


「……そういえば、力を返してもらったんだっけ?」


 ゲンジの顔はそのままで、ほっとした。


 寝ている時も、険しい顔。


 いつか、緩んだ寝顔に変えられるだろうか。




「少し、外を歩いてくるわね」


 寝ている人に言っても、意味はないけれど。


 廊下に出ると、真っ暗だったのに一斉に青い明りが灯った。


 魔法……だろうか。


 ただ、左右に伸びていたはずの廊下の、右側にしか灯っていない。


「こっちは……魔王自慢のバルコニーがあると、お付きの人が言っていたっけ」


 呼ばれているような状況が少し気味悪く感じながらも、私は進んだ。




 掃き出し窓の外に、誰か立っている。


「……あれは……魔王?」


 月明かりの中で、まるで私が起きてくるのを知っていたかのように、こちらに振り向いた。


「びっくりした……」


 来いというかのように、首を傾げて合図をされた。


「あの人にも、聞きたい事がやまほどあるのよ」


 ごちゃごちゃの情報の中でも、元凶は彼だということは明白だったから。



   **


 

「気味が悪いこと、しないでよ」


 バルコニーに出て、開口一番に言ってやった。


 廊下の明りを付けたのも、この魔王なのだと思ったから。


「セレーナよ。そう邪険にしてくれるな。父は傷つく」


「ほんとかしら。そんな風には見えないわ」


 父親を名乗るけど、それも信じきれていない。


 突然過ぎて、当然のことだと思うけれど。




「とんだ茶番だったな」


 ゲンジに結婚を認めさせた、あれのことだろう。


 話のきっかけを、魔王に決められてしまった。


「……どうして、私の気持ちが分かったの?」


 あの流れは、私がゲンジを好きだと気付かなければ、出来ないことだ。


「ふん。年頃の娘が、どうでもよい男の足にいつまでもしがみついてはおらんだろう?」


 そう言われると、そうかもしれない。


 あれが魔王の足だったなら、無理にでもすぐ離れようと思っただろう。


「そんなこと、分かるんだ」


「ずっと会いたいと思っていた娘の事だぞ? 分からぬわけがあるまい」


 その表情は、ずるい……。


 本当に慈しみ深くて、愛する人を見る優しい目だった。




「…………本当に、お父さんなんだ?」


 居ないと思っていたのに。


 私はきっと、皆のように貧困で捨てられた、ちょっと悲しい生い立ちなんだと思っていた。


「パパと呼んでくれ。本当なら、ずっと側で見守っていたかったのだからな」


 父親というのは、こういう呼び方の方が好きなのだろうか。


 街中で会う人たちは、色々な呼び方をしていたけど……。


「お父さんとか、そういうのが普通なんじゃないの?」


「我は、小さい頃のお前と過ごせていないのだ。パパが良い」


 優しい顔で、そんな風に真面目に言われたら、反抗出来ない。




「……ママの肖像画、見せて」


 必死の抵抗で、そうと呼ばずに話題を変えた。


 それに、本当に私に似ているなら――本当に母親がいるなら、見てみたい。


「ああ。我の部屋にある。美しく育ったその顔を、見せてやってくれ」


「うん……」






 ――その部屋は、随分と質素だった。


 金細工の調度品も無ければ、天蓋付きのベッドも無い。


 絨毯だけは同じで、踏むと厚みがある。


 大きな部屋なのに、逆に少し寂しいような気さえした。


「妻は、あまり派手なのは好きではなくてな」


 そう言って魔王は、壁を見上げた。


「ミリア。娘がようやく、我等のもとに帰ってきたぞ」


 呼びかけたその先には、絶世の美女と言えるくらいの、綺麗な女性が描かれていた。


「これが……ママ?」


 私なんかが、似ているだろうか。


 慈愛に満ちた優しい微笑みを、ずっと見ていたくなる。


「美しいだろう。我はミリアのためなら、何でもした」


 たしかに、この人が奥さんなら、何でもしてあげたくなるだろう。




「今は……お前のために、何でもしてやろうと思う」


 魔王は不意に私を見ると、そう言った。


 優しい目は、その肖像画ほどではないけれど、とても愛情を感じるものだった。


「……そ、そんなの、いいわよ」


 急に言われても、やっぱりまだ、受け止めきれない。


 急に愛情を向けられても、困ってしまう。


「まぁ、追い追いで構わん。ゆっくり慣れてくれ。……理由はどうあれ、手放したのは我の責任だ」


 ……こうなるだろうと分かっていて、それでも全てを受け止めるつもりで、私を王国へ逃がしたのだと分かった。


「強いんですね。私は……状況を理解するだけで精一杯で……ごめんなさい」


「フ。我は父だぞ? どんな形であれ、大切な娘が無事に戻ってくれた事だけで、嬉しいのだ」


 屈託のない笑みが、とても魅力的だと思った。


 それに、本当に大切にしようとしてくれている気持ちが、とても伝わる。


「事情があったことは、分かりました。あなたが父親だということも……信じます」


 だけど、今度はどう接していいのかが、分からなくなってしまった。


「逆に遠くなっているではないか。先程までのように、遠慮なく話せ。寂しいではないか」


「そ……そうは言うけど! ……家族が居るなんて、思っても……みなかったんだもの」




 少し緊張している。


 捨てられたのだと思っていたのに、深すぎる事情があって、こんなことになるなんて。


「ならば、ゲンジの話でもしてやろう。お前をあやつと結婚させたのは、お前だけのためではないからな」


 その表情は複雑で、困っているのか申し訳なく思っているのか、どちらかというとそういった類のものだった。


「ソファに座ってもいい?」


「ああ。くつろいでくれ」


 向かい合わせに座ると、魔王はテーブルに置いてあったお酒のボトルに手を伸ばし、共に置いてあるグラスを自分と、私の方にも置いた。


「ちょっと。お酒なんて別に――」


「そう言うな。これは上等のものだ。悪酔いはせんさ」


 私には、グラスの底に溜まる程度に、自分にはグラスの半分くらいまでを注いだ。




「味見程度からな。合うなら遠慮なく飲むといい」


 魔王はそのグラスを手に取るなり、「再会に祝福を」と言って、一気に飲み干してしまった。


「フゥ……少々、舞い上がっている。そうだ。ゲンジの話だったな」


 私がチビっと味見をしている間に、魔王は勝手に話を進め出した。


「あやつとは、二十年来の仲でな……ある夜、空から降ってきおったのだ。厄介なものなら見捨てようと思ったが、そうこう迷っておるうちに、自分で結界やら障壁やらを繰り出しては、見事に着地したのだ」


 ――そこから、ずっとゲンジの話をしてくれた。


 最初は、使えるやつかもしれないと、城に招き入れただけだったこと。


 すぐに意気投合して、友の契りを交わしたこと。


 共に戦ったこと。


 それから、彼の持つ心の影を、何とかしてやりたいと思い続けていたこと。




「ずっと頑なだったあやつが、お前を抱えている姿に違和感を覚えたのだ。普段なら、もう少し距離を感じる抱え方をしたはずだ――とな」


「荷物を抱えるみたいな?」


 私だけが彼との接触を意識していて、彼の心は微塵も動いていないと思っていたけれど。


「そうだ。奴は、人をまるで、荷物か何かかと思うような持ち方をする。特に女に対しては、触れる部分にも細心の注意を払いながらな」


「ある意味、紳士的ではあったけどね」


 むやみに、いやらしい触れ方はしない。そういう意思を感じるものだった。


「それがどうだ。お前に対しては……我の娘だからというだけではない、何か情のようなものを感じたのだ」


 そこに熱が入るのかというくらい、魔王は一人盛り上がっている。




「ご妻子の事はもちろん聞いていた。だがな、あやつはもう一度、情に溺れるくらいの事をした方が良い。でなければ、あやつはずっと、護れなかったという後悔だけで一生を苦しみ続ける」


「それは同じことを思った」


「そうだろう!」


 魔王は人差し指をびしっとこちらに指して、語気を強くした。


「そこでだ。あやつもだがセレーナ。お前もどうやら、あやつに情があると見えた。これは、言い方は悪いがな……利用せねばこやつら、一生をふいにするだろうと確信したのだ」


「ほんとに、他の言い方は出来なかったの?」


「すまん。が、我は中々に良い働きをしたと思わんか? 本当なら再会したての娘を、ゲンジと言えど嫁になど……。あの瞬間に、我は本当に、相当迷ったのだ」




 魔王は……たぶんというか、絶対に酔っている。


 少し含んだだけでも、口も喉も焼けるかと思うくらいに強いお酒だったから。


 味は好きだったけど、私には飲めないから残しているほどに。


「聞いておるか? 我は……自分の幸せと、お前達の幸せを天秤にかけ……お前達を選んだのだ」


 そう言われると、胸に刺さるものがある。


「ご、ごめんなさい」


「いいや……許さん。許さんぞ。だが…………許す」


「どっちよ!」


「パパと呼んでくれ。幼いお前を抱けなかった父に、無邪気にパパと呼ぶ姿を見せてくれ」


「……ずるい」


「ずるくても構わん。我とて、ずっと眠れぬほど苦しんだのだ。お前はまだ乳飲み子で、苦しんだ年数は我より少なかろう!」


 何という理屈だろう。


 もはや、ただのワガママと言っても差し支えないくらいに。




「幼稚なこと言わないでよっ! そんなの、私だって……街で家族をみる度に、胸が苦しかったんだから」


「なん……だと? セレーナ、お前……ギリザーグに大切にしてもらわなかったのか!」


「え?」


「我の代わりに、大切に育てよと申しつけたのだ! それを……胸が苦しかっただと?」


「そ、それは、教皇様には荷が重いんじゃ……」


「おい! ギリザーグ! 今すぐ来い!」


 その声は、部屋の外になら届くかどうか、というくらいの大声だった。


 だから、見張りさえ見なかったのに、誰が呼びに行くんだろうと思った。




 けれど――。


「――ははっ!」


 という声と共に突如、教皇様が寝間着っぽい姿で現れた。


「きゃああ!」


 心臓が口から飛び出るかと思った。


 そんな程度の驚きではないけれど、とにかく、手に持て余していたグラスを、反射的に投げてしまった。


「痛い。セレーナ……なぜ投げつけたのだ」


「貴様! セレーナが驚いただろうが!」


 魔王は立ち上がって、教皇様を頭ごなしに叱りつけた。


「理不尽な……魔王様、お呼びになったではないですか」


 跪いた姿勢のままで、不満を口にする教皇様を見たのは初めてだった。


 でも、このままだと収集がつかなくなりそうだなと思って、私は心を鬼にして言った。


「あの……教皇様。ややこしいから、帰って」


「むぅ……今となっては王女殿下の言葉……。魔王様、いかがいたしましょう」


 魔王は、額に青筋を立てて「帰れ!」と怒鳴った。


 少し可哀想ではある。




「……はぁ。どこまで話したか」


 まだ少し取り乱した感じの魔王は、額に手を当てて落ち着いている素振りをした。


「もう十分に話してもらったわ。ありがとう。……部屋に戻るね」


 一瞬、魔王は残念そうな顔をした。


 でもすぐに取り繕って、「そうか」と短く返事をくれた。


「これからは、いつでも会えるんでしょ?」


「……そうだったな。我も眠るとするか」


 ソファに座り直した魔王は、もう一度グラスにお酒を注いだ。


「ちょっと、飲み過ぎないでよ?」


「わかっている」


 彼はこちらを見ずに、手で払うように「もう行け」と言った。




 ――酔っ払いめ。


 と思いながら、魔王の部屋を出て扉を閉める間際に、少しいじわるをしてやった。


「世話が焼けるのは、あなたも同じね。――パパ」


 最後は少し、小さく呼んだから聞こえなかったらしい。


(パパという名前のようなものだと思えば、照れ臭い感じはしないかも――)


 ゲンジの眠る部屋に戻りながら、頭の中で何度か、パパと呼んでみた。


「……時間は必要よね」


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