三十八、心を解く方法
三十八、心を解く方法
私は一体、何を聞かされているんだろう。
魔王は私の父親だと言い、それが今、ゲンジに私と結婚しろと言っている。
「……何を言っている。俺は約束通り、セレーナを連れ帰っただけだ。友の頼みならと、引き受けただけだぞ」
ゲンジは困惑している様子に見えた。
それもそうだろう。
亡くしたご妻子を、ずっと想い続けている人なんだから。
「その我が言っているのだ。どうやら娘は、お前に少し惚れているらしい。
その辺の輩になど絶対に許さんが、お前なら話は別だ。……ゲンジ。我が娘の心を踏みにじる真似など、せんだろうな?」
どう受け止めればいいのか、分からない。
正直、私はゲンジのことが、やっぱり好きだと思う。
でも、こっぴどく……というか、はなから眼中にないのだと、思い知らされた後で――。
村の女の子にどうやら励まされて、少しは気持ちを持ち直してはいたつもりだけど。
こんな展開を、私は望んでいただろうか?
「考え直してくれ。それに、知っているだろう? 俺には妻と子が……。忘れたくないんだ。それに、俺だけが幸せになるなどあってはならない」
ああ……。
この人はこういう人なんだ。
自責の念をずっと、ずぅっと抱いたまま。
他の誰も寄せ付けない。
「貴様のそういう所だけは、解せんな。それではご妻子も浮かばれんぞ。苦悩と後悔に歪んだお前を見て、あの世で嘆き続けているだろうな」
「……そう、言わんでくれ……。何と言われても、俺自身が、自分を許せないんだ。……というか、何もこんな所でこんな話をしなくてもいいだろう」
ゲンジは、怒りを露わにして魔王を睨みつけた。
でも、魔王は冷ややかな顔つきで、感情など消えてしまったかのように静かに告げた。
「なら、これは命令だ。友よ。今回の働きに対して褒美を取らせる。我が娘と領土の一部を貰い受け、この地に永住する事。
気に入らなければ、娘を捨てるなり殺すなりするがいい。だが、それは我への反逆とみなして必ずお前を殺す」
淡々と述べる内容ではない上に、私を物のように扱った。
でも、一瞬だけこちらを見たその目、その時だけは、慈しみに満ちていた。
意図は、分からなくもない。
けれど……それでは私が、惨めだ。
それとも、惨めだろうと何だろうと、使える手段は何でも使わなければ、ゲンジの頑なさは崩せないと……そういう親心のつもりだろうか。
もしかすると、この後ゲンジは、どこか遠くに行くつもりなのかもしれない。
そうなったら、彼は二度とここには戻らないだろう。
――長い沈黙の後、ゲンジは口を開きかけた。
「だが」と。
その言葉に続くものと言ったら、ろくでもない言葉に違いない。
私は、やっぱり腹が立った。
無下にしたことは仕方がないにしても、ずっと隠し事をしていたことに。
この際だから、許せないことも彼の弱みも、全部ぶつけてやろう。
そう思って、彼の言葉を遮った。
「ゲンジ。あなた、破壊した港村はどうするのよ。責任取らずにどこかに行くつもり?
それに、あの人たちには夫婦だと思われていたのに、否定しなかったじゃない。それってどういうつもりだったの?」
ゲンジは、否定するのが面倒だっただけに違いない。
それに、村の人達も半分は分かっていて、単純にからかっていたのもあったから。
でも、そういう結果も利用する。
復興を手伝えというのも、彼の良心をつついているだけに過ぎない。
本当は王国兵が、あんな残虐な手口を使ったのが悪いのだから。
だけど、何でも利用しなければゲンジは、死ぬまで独り、自分を責めたまま終わってしまう。
……それは、放っておけない。
寡黙であまり笑わないのも、ずっと後ろ向きに見えるのも、一人の友として放っておけない。
この気持ちは、本心のひとつだ。
だから……これは、私の恋がどうのということではなくて……この人を救い上げるためにしているのだ。
――と、悪びれずに思うことにした。
余計なお世話かもしれないけれど、見ていられないと思わせるのは、お世話を焼かれてもしょうがない。
旧来の魔王さえ、そういう心境にさせているのだから……。
「それは、セレーナ。分かって言っているんだろう? だが……そうだな、復興は必ず手伝う」
ほころびが見えた。
――やっぱりだ。
こういう責任感の強い人間は、なし崩しで弱みになる所をつつけばいい。
思考が悪人のそれになっているのも、全部ゲンジのせいだ。
だから、しょうがない。
「あなた一人で行ったら、村の人達は変に思うでしょうね。ちゃんと『夫婦』揃って行かないと。
それとも、夫婦じゃありませんでしたって、皆の歓迎の気持ちさえ踏みにじって一人で行くつもり?」
夫婦だと思われたからこそ、あれだけ大きな宴を開いて、ゲンジのことも大歓迎してくれたのだから。
聖女とお付きの人というだけなら、あんなに盛り上がらなかった。
「確かに……俺一人なら、あんな歓待は無かっただろう。それは分かる……」
「なら、皆の気持ちに応えるには?」
「……あの村でだけは、そういう風に……」
ゲンジはさっきから、ずっと困った顔をしている。
心苦しいけれど、ここでこちらが折れてしまったら、元の
「どういう風に? 夫婦として。ってこと?」
「……ああ」
「ああ、じゃなくて。夫婦としてどうするの?」
「…………夫婦として、振舞おう」
彼の、ギリギリ許容出来る折衷案としてはこの辺りだろう。
そう思ったところで、魔王が口を挟んだ。
「そうか。よしよし、なら、ここでも宴を開かねばな」
淡々と、事を進めようとしている。
「お、おいっ! 聞いていただろう! そういう事では――」
「何を言っている。そもそも、褒美として娘をお前にやったのだ。これはもう、済んだ事だ。
だから……娘を泣かせるような事があれば、それは即ち、己の嫁を泣かせるような外道。という事になる」
なるほど……既成事実を無理矢理作っていくやり方は、こういう風にするのか。
「おい、そりゃあないだろう。そもそも、なぜこんな事になっている!」
「我が娘では不服という事か?」
「い、いや……不服とかではなくてだな」
この流れに乗って、私はもっと彼の心を突き刺す様なことを言わなくてはいけない。
「私の尊厳を、さっきからずっと踏みにじっているの。理解しているのかしら?
私は人生で一番の恥をかかされて、もはや他の誰も、貰い手などいなくなったのよ? あなたのせいで」
嘘ではないし、傍から見ればそういう状況だから。
「ああ。可哀そうな我が娘よ。この男にここまで
魔王はそう繋げると、その手に尋常ではない魔力を集束し始めた。
魔力封じの中でも、あれだけの力を操れるとは――と驚いている場合ではない。
「そうね。もう、そうするしか……」
私はここぞとばかりに、俯きうなだれて見せた。
「おいおいおい! なんだその見え透いた演技は! 初めて会った割には息もぴったりだな! もういい、頼むからやめてくれ」
ゲンジが取り乱すなんて珍しい。
でも、まだもうひと押しが足りない。
「演技だと? 友よ、我は娘を傷付けられて悲しみ、そして自らの手で殺す事を嘆いているのだぞ。さぁ、お前も娘の散り様を見届けるがいい」
そう言うと魔王は、本当にその強大な魔力をさらに細い剣のように鋭くし、私の喉元に突き付けた。
――たとえこの嘘が、ほんの少し誰かの手元が狂って本当になったとしても、それはそれでいいかなと……ふと、本気で思った。
この頑固な朴念仁に、私の小さな恋心を、一生引きずらせてやろうかなと。
「……さようなら。ゲンジ。旅は楽しかったわ。今までありがとう」
死んでもいいやと思いながら、抱き支えてくれている彼の顔を見上げた。
悲しそうに微笑んでみせれば、可憐で清楚な女に見えるだろうか。
「わかった! やめてくれ! どこまで本気なんだお前達は! 言うとおりにする。セレーナと結婚させてもらう!」
――折れた!
なんだ、こんな簡単な方法で、この人の苦悩とやらを曲げる事が出来たのね。
なら、もっと早く死ぬ振りでもして見せれば良かったんだろうか。
――でも、それは自分が嫌いになってしまう。
(難しいものね)
「貴様、プロポーズの言葉くらい言えんのか。どこまでコケにしてくれるつもりだ」
魔王はまだ、けしかけるつもりらしい。
楽しんでいるような素振りはないし、何なら本当に怒っているようにも見える。
その姿に、ゲンジも何か、真剣な顔つきになった。
「……セレーナ。俺のような男で本当にいいのか」
その気になってくれたのか、それとも演技で返そうとしているのか。
私にはどちらなのかが分からなかった。
だからもう少し、仕返しをしようと思った。
最初から私を騙す様なことを続けていたのは、まだ許してあげていないから。
「分かっていないわね、ゲンジ。私はただの褒賞。いいも悪いもないの。貰いたくないと言われて、恥をかかされただけ」
「……すまない。セレーナ。そこまで言わせてまで、俺は意固地になって君を傷付けていた……」
「私は、あなたに下賜された『モノ』よ。持ち主のあなたが傷付けようと踏みにじろうと、自由にすればいい」
「本当にすまなかった。……セレーナは綺麗だし、誰でも癒してあげようとする慈愛に満ちた
その言い方って、私のことを少なからず好きだって思ってもいいのかな。
「不幸にしてしまう。とでも思った?」
一体いつから、そんな風に思ってくれていたんだろう。
「……その通りだ。君には、十分に惹かれていた。だが、亡くした妻と子の事も忘れる事は出来ない。だからもっと、他の良い人を探して欲しいと思ったんだ」
私に聞いてくれれば、一緒に考えることが出来たのに。
これが本当に死の間際だったら、きっと私は許さない。死んでも祟ってやる。
そのくらい、酷い独りよがりだ。
「その件で、私が不幸だと感じるかどうかは、私が決めることよ。勝手に判断しないで欲しいわね」
寡黙で許されるのは、自分の気持ちを素直に教えてくれて、私の気持ちも察してくれる人だけよ。
「そんな風に……言ってくれるのか」
呆れた物言い。
心はずっと、ご妻子を亡くした時のまま……本当に凝り固まってしまっていたのね。
「世話の焼ける人。でも、あなたが私に惹かれていたと聞けて、嬉しかった」
嬉しくなって、ちょっとだけ……許してしまった。
そんな事を思ってゲンジの顔を見上げていると、抱き支えられている腕に、力が籠って私はぐいと引き寄せられた。
完全に体を預けていられるほど、抱きしめられているらしい。
「はぁ。それ以上はもういい。部屋を用意させてあるから、そこで十分に語り合っていろ。父の前でイチャついてくれるな」
――一瞬、隣に魔王が居ることを忘れていた。
途端に恥ずかしくなって、私はゲンジから顔を逸らした。
「後で簡単な宴を開く。結婚の儀は後日、国中に知らせて盛大に祝おう。良いな?」
それは私に言ったのか、ゲンジに言ったのか。
そこに、後ろから声を掛けられた。
「ならばその儀、私が取り仕切らせてもらっても?」
そういえば、教皇様がここに居る理由を聞いていなかった。
「ああ、そうしてくれ。ギリザーグに任せる」
魔王はそう言っただけで、説明することを忘れているらしい。
「ねぇ。どうして教皇様もここに居るの?」
少し……というか、かなりやつれた教皇様の姿も気になっている。
「そうだったな。こやつ、国王に攻められて、民を助けるために防御に徹した挙句、ラグド・エラ・セルデンを使ったらしいぞ」
「えっ? それじゃ……え、でも、生きてる……」
命と引き換えの魔法だったのに。
それに、国王は一体何を考えているのか……。
「確かに一瞬死におったぞ。その間際に我が転移で救ったのだがな。かなり損傷しておったから、助けられんかと思った。
だが何の偶然か、そこのミアを先に送っていたのが功を奏した。幼き聖女の魔力を補ってやって、ようやく復活できたという事だ」
「滅茶苦茶すぎて分かんない」
説明する気があるのかないのか。
「ハハ……もう二度と使いたくないな。アレは」
「ていうか、ミアって誰のこと? あとあれは、聖女しか使えないはずじゃ……」
話をし難いので、もう大丈夫と言ってゲンジの腕をほどいた。
「抜け道があるのだ。ミアが居てくれねば無理だったがね。ほら、隠れてないで顔をみせてあげなさい」
教皇様がそう言うと、その足元で小さくなっていた女の子が、おずおずと立ち上がって顔をのぞかせた。
ローブに隠れていて、全く気付かなかった。
「……あら? この子、確か孤児院の……」
「そうだ。セレーナが旅立ってから、次の聖女に育てようと思ってな」
そういえば、教皇様も色々と隠していたうちの一人だった。
「ふぅーん?」
新しい聖女というのも、なんだかモヤっとさせるものがある。
その子を見る顔が、きつくなっているのが自分でも分かった。
「こら、怖がらせるんじゃない。この子が居なければ、さすがに国王は殺せなかっただろうからね」
「えぇっ?」
直接教会に、国王自らが攻めて来ていたということ?
「ま、積もる話はまた今度な。今は旦那様のゲンジ殿と、ゆっくり話をしてきなさい」
教皇様はそう言うと、ミアの手を引いて「これにて失礼します」と、魔王に一礼して行ってしまった。
「……何がどうなっているの」
**
用意された部屋は、玉座のあった場所ほどではないけれど、豪華絢爛な造りだった。
やはり赤が好きなのか、床には厚みのある真っ赤な絨毯が敷かれている。
調度品もテーブルも、金細工の施されたものばかり。
テーブルを挟んで数人掛けのソファが二つ。
その空間とは、なんとなく別室の雰囲気に区切られた奥にベッド。
よく見れば、壁が木目調と淡い寒色に、不思議と違和感なく分けられている。
ベッドは二人で寝転んでも余りある大きさで、枕が二つと、クッションがいくつか並べられていた。
天蓋付きを初めて見て、私は呆気に取られている。
「……もう少し、話そうか」
ゲンジはソファに座ったけれど、私はまだふらつきが残っているのでベッドに横になった。
というよりは、倒れ込んだ。
「このままでもいいかしら」
辛うじて顔だけを向けて、失礼な態度に取られかねないけど……もう、どうしても体を起こしていられない。
魔力が枯渇している。
「すまない。話は後でしよう。ゆっくり休んでくれ」
その言葉を聞いて、すぐに意識が遠のいた。
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