三十六、魔族領

  三十六、魔族領




 船はすぐに出してくれた。


 遠漁から戻った船団の中の一隻が、とんぼ返りに近い形で。


 その船団は、クジラを獲るために出ていたという。


 貴重な食料や油がもたらされたお陰で、破壊しつくされた村でもしばらくは困らないらしい。


 漁から戻った村人達は、それは驚いていたし怒った人も居たけれど。


 何が起きたのかをその場に居た人達から聞いて、納得してくれたようだった。


「そりゃあ……ショックさ。正直、荒れ地の整地から始めんとだろう? 骨が折れるさ」


 木材も、少し離れた所で伐採と運搬。それから加工して家を建てる。


 男手が足りないどころではないから、廃村にするのも視野に入れないといけない。ということだった。





 そんな話をしていると、ゲンジはまた落ち込んでしまった。


「いや旦那、あんたは命の恩人なんだ。落ち込まんでくれ。お上にいちゃもん付けられて狙われたってんだ。


家だけで済んで御の字だ! が、まあ、住み続けるってんなら、まじめに考えんとってだけだ」


 それでもゲンジは、首を振るだけ。


「皆が生きてたってだけで、俺達ぁほんとに、あんたにゃ頭が上がんねぇ。それを旦那に下げられちまったら、俺達の首がおっこっちまうよ」


 とにかく頭を上げてくれというのに、波に揺られながら頭も揺れている。


「もうほっときましょう。この人は今、何を言ってもダメみたい」


 そんな彼に、「魔族領に着いてからの当てはあるの?」と聞くと、それにはゆっくりと頷く。


「重傷ね……」


 側に居てあげたりもしたけど、終始無言でつまらないので放っておくことにした。


 肝心の、魔族領に着けば話すと言っていた話も、全くする様子が見えないし。


 だから話はもっぱら、村の人達としていた。


 漁の話、魚の種類や美味しい食べ方の話。


 奥さんたちへの愚痴のような、のろけ話。


 それから、魔族領への道中のこと。


 ――魔族領には、単純に東に向かえば良いわけではなかった。


 東西から流れ込む大きな潮流がぶつかるせいで、かなり強く沖に向かう離岸流が出来ている。


 南に流れるそれを、普通には越えることが出来ないので、一旦沖合に流されるままに出るのだ。


 そこから北東に舵を切って、魔族領に向かう。


 大陸の中央に『デスウォール』と呼ばれる、極めて険しい山脈が無ければ……陸続きで東西に行き来出来たのだけど。




 とはいえ、足の速い船で十日程。


 波の揺れにさえ慣れてしまえば、自分で歩かなくてもいいので快適な船旅だった。


 酔ってしまっても、治癒で治せるから何も苦にならなかった。


 小さいけれど個室を貸してもらったので、ゴロゴロダラダラ。


 たまに甲板に出ては海や空を眺めて、皆で獲れたてのお魚を食べて……完全に旅行気分だ。


 釣りも教わったりした。


 大きな魚も釣れたけど……さすがに引き上げきれなかったから、途中からは代わってもらったけれど。


 初めてのことばかりで、どれもが新鮮で楽しかった。


 それに、「聖女様が居てくれたら、漁での怪我も気にしなくていいから心強い」と、喜んでももらえた。




「明日で聖女様ともお別れかぁ」


 船旅は順調で、明日の午後には魔族領の港に着くらしい。


「てめぇ、しけったっ事言ってんじゃねぇ!」


「だってよぅ」


 多少は湿っぽくなってしまったけれど、それだけ本気で歓迎してくれていたということだから、私は嬉しかった。


「また……きっと来ます。皆さんのこと、大好きになったし。それに、復興も手伝いたいですから」


「嬉しい事言ってくれるねぇ」


 ゲンジが魔族領で、私をどうするつもりなのかは知らないけど、私は今、絶賛行くあてのない人だから。


 歓迎してくれるなら、港村で過ごしたいなと思っていた。


 でも、そういえば教皇様も、魔族領で村だか町だかを探せと言付けていたし、何があるのやら。


 ともかく、しんみりしつつも「また港村に来てくれたら、その時の一番旨い魚を食わせてやっからな!」と、約束してくれたところで夜はお開きになった。



   **



「聖女様。旦那。またきっと、村に来てくれよな! 目一杯ご馳走すっからよぅ!」


 そう言ってくれた皆は、水と野菜などの食料を補給したら、またすぐ村に戻るという。


「私達だけのために、本当にありがとうございました」


「いやいや。村があれだからな、野菜と穀物は持って帰った方がいいからさ。ついでだ、ついで! 気にせんでくれよ」


 そうは言っても、彼らには疲労の色が見えるから、無理をおして運んでくれたのだと分かる。


「せめて、治癒と祈りだけでも受けてください」


 お返しになるか分からないけれど、広範囲の治癒をかけて、そして皆の無事を祈った。


 そして、改めて別れを告げた。


「聖女様と旦那も、達者でなぁ!」


 皆、本当ならすぐ、家族と過ごしたかっただろうに。


「ほんとにありがとう! 皆さんお元気で! ほら、ゲンジも」


 そう言うと、落ち込んでいるなりに手を振って別れを済ませた。


「旦那ぁ! 気合入れなっせ!」


「聖女様を逃がすんじゃねぇぞ~!」


 ゲンジは大体このネタでいじられていたけれど、最後までからかわれた。







「ほんとに……しゃんとしてよね。ここからどう動けばいいのよ」


 港から少し歩くと、途端に倉庫以外何も無くなった。


 王国の港村のように、かなり離れた所に家々が建っている。


「ねぇってば。町を探すにも、手掛かり何もないんだけど。誰かに聞いてこようか?」


 港は静かだったので素通りしてしまったけど、家々の辺りも人が居なかったらどうしよう。


 そもそも、馬も荷物も、ゲンジのせいで無くなってしまったから物資も少ない。


 干し魚と水を分けてもらったけど、一週間以内に補給出来なければ飢え死にしてしまう。




「もう。さっきの積荷してた人に聞いておけばよかった。でも、あの人って魔族なのかな? 人間なのかな?」


 こちらの質問に対して、図体ばかり大きいゲンジは横目でチラ見しただけ。


「いい加減、何か喋りなさいよ。そんなに落ち込んでもしょうがないでしょうに」


「……すまん」


 やっと返事をしたと思ったらこれかと、苛立ってしまった。


「すまんじゃなくて。当てがあるって言ってたわよね!」


 背中くらい殴ってやろうかと、グーにするかパーにするかを真剣に考えていると――。




「待たせた。ようやく繋がった。転送陣を送ってくれるらしいから、ここで少し待とう」


「――はぁ?」


 相変わらず、面倒だと思った説明をしない男だ。


 まるで最初の頃に逆戻り。


「分かるように言ってもらえます?」


「……すまん。何も言うなという事らしいから、ボロが出ないように少し黙っている」


「はぁぁ?」


 落ち込み過ぎて気が変になったのか、それとも頭の中で誰かとお話でもしているのか。


 どちらにしても、どうにかなってしまったのかもしれない。


 そう思っていると、地面に四角の模様が浮かんできて……そのうちに、文字を重ねて線にしたような模様がぐるぐると、最初の四角を丸く囲んでいった。



 それが一気に上に吹き上がると、丸い壁になった。


 その壁も何かの文字で構成されていて、私達は筒状の文字の壁に囲まれている。


「な、なにこれ」


「じっとしているんだ。じきに飛ぶ」


「は? って――」



   **



 意識が飛んだ。と、思う。


 その場所に至るまでの記憶がなく、どこかふわふわとした夢の中で、ぼんやりと立っているような……。


 曖昧でぼやけた視界の中、ゲンジにしがみつくようにしていた。


 ――はっきりと意識が戻ると、私はへたり込んだ姿で、ゲンジの足に抱きついていた。


「……きもちわるい」


 船酔いとも違う、味わったことのない不快感。


 原理が分からないと、治癒の効果は薄れるか効かない。


 でも、どうやら脳が揺られた不快感だったようで、何度目かの治癒を試みた時に治った。




「何なの。一体……」


 よく見ると、ずっと目にしていたのは地面――というか、床だった。


 真っ赤な、毛足の長い絨毯の上で、私はゲンジの足に抱きついたままへたっていたのだ。


「こちらを見よ。娘よ」


 尊大な物言い。


 大きな声量という訳ではないけれど、低くてよく通る男の声だった。


 そして、その「娘」という呼び方が引っかかった。


 女子全般に向けた言葉ではないような、馴れ馴れしさが含まれて感じたから。




「――誰よ」


 声の方を見上げると、玉座と思しき巨大な椅子に、威圧感の滲み出たオジサマが座していた。


 身なりのいい貴族のような恰好。


 足が長くて、体格もいい。


 特徴的な……金色の瞳。


 長い金髪を後ろに上げて、金の王冠を手に持っている。


「よく来た。我が娘よ。覚えてはいまいが」


「……はぁ?」


 体は、まだへたり込んだまま動けない。


 よく分からない負荷が掛かって、へとへとになっているらしかった。


 ゲンジの足に抱きついている腕も、小刻みに震えている。




 そして辺りを見ると――仰々しいほどに豪華絢爛な大部屋――吹き抜けのホールのような場所だった。


 壁は、背の高さくらいまでが赤と金糸で装飾された幕が掛かっていて、護衛騎士のような人も、広い赤絨毯に沿って並んでいる。


 王様らしき声の主から十数メートルほどは彼以外誰もおらず、私とゲンジを先頭にして、皆が一様に頭を下げている。


 ゲンジも下げているのかと見上げると、彼は普通に立っていた。


「何なの……」





「ハハハハハ! 驚いたか?」


 偉そうなその人は、先程とは違って尊大な気配を消し、気さくな様子で語りかけてきた。


「長く会わぬ間に、美しく育ったな。セレーナよ」


「……誰……よ」


 流れ的に想像はつくけど、まさか本当に父親だなんて言わないでしょうね。


 それにしても、この無様な姿勢をどうにかしたいのに、治癒を掛けても治らない。


 魔力が尽きかけているような気もするけど、さっき以外に使った覚えもないのに。




「おっと、それ以上使おうとするな。領地内は魔封じが施されているからな。先の回復で使い果たしたのではないか?」


 この言い方だと、魔力を完全に封じるのではなくて、使用する魔力量が普通の何十倍も必要になるような仕組みなのだろう。


「フ。聡明そうで何よりだ。そしてよく聞けよ? 我が魔族と称されるその王。そしてお前は我の、実の娘だ」


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