三十五、ゲンジの力
三十五、ゲンジの力
ゲンジの後ろ姿に、何かが重なっているように見える。
一回り大きな影。
それはネルウィグにも見えているようで、魔法兵に張らせた結界の中から、ゲンジに魔封じの魔法を掛けているらしい。
それはゲンジに直撃していて、そのせいで障壁が維持できずに消えてしまった。
魔法兵からの光線魔法を反射していたそれは、今は不要だけど……魔法を封じられたら、ゲンジが今からしようとしている事も、封じられてしまうのではと不安になった。
でも、彼の魔力はどんどん膨れ上がっていく。
彼の強過ぎる魔力のせいで、空間――というよりは、時空そのものがねじ曲がっているような奇妙な感触に包まれていく。
それは少し不快で、軽い船酔いに似ている。
(気持ち悪い……結界の強度が落ちてしまう――)
ゲンジの魔力に干渉されて、私の集中が乱れているのが分かるのに、抗えない。
それなのに、魔力を持たない人には影響しないのか、兵士達は変わらず、私の結界を凄まじい力で殴り続けている。
剣が折れても、槍が曲がっても、なりふり構わず力任せに。
(――結界に付与している反撃の効果が、薄れてる)
このままだと、ゲンジが何か切り札を使う前に、結界が持たない。
村の人達が……殺されてしまう。
「ゲンジ……! もう、むり!」
私の声に反応してくれたのか、ほんの少しだけ、こちらを向いた気がした。
その瞬間――。
辺り一面に、紫色の光が……。
おびただしい数のそれらが、天と地を引き裂くようにのたうち回った。
「雷神招来!
ゲンジが、そう唱えたのだと理解したのは、その紫の光に慣れた時――というか、全てを諦めた時だったような気がする。
世界を飲み込んだかのような雷電が、天地を引き裂くように轟き落ちたのだから。
音が、消えた。
――いや。その轟音に、鼓膜が機能しなくなったのだと思う。
空間が裂ける音。
凄まじい音量で、バリ――と、最初だけそう聞こえたけれど、すぐに無音になった。
それからあまりにも長い時間。
ずっと、極太の稲光が走り続けているせいで、地面さえ割れて弾けた。
まるで伝説の大蛇。もしくは神龍。
それが稲妻の化身となって、うねりながら何度も何度も、天と地を引き裂き続けているような。
この世の終わりが来るとすれば、こんな現象から始まるのだろう。そう思った。
ようやく
私は途中からは、というか、すぐに目を閉じてしまった。
あまりの恐ろしい光景に、凄まじい稲光の明滅に、目を焼かれてしまうと恐怖したから。
そして、その轟音が止んだと感じたのは、女性のすすり泣きが聞こえてきたから。
ヒック、ヒックと、まるで少女のように、小さく身を縮めて泣いている。
それが聞こえるようになるまで、どのくらい経っていたのだろう。
少なくとも、事の顛末を見守っていた村の男衆が、手に持っていた松明で周りを照らし始めてから、しばらくの事だった。
置けそうな所に松明を配置して、周りが見えるようにと、灯りを整えてくれていた。
女衆は皆、それぞれ自分の夫を探したり、私の側に来て様子を伺っていたようだった。
私の肩を優しく叩いたその女性は、それに反応して目を開いた私に、お礼を言っているらしかった。
身振り手振りだけで何をしているのかと思ったけれど、どうやら、私だけ耳が聞こえなくなっていたらしい。
皆はちゃんと、耳を塞いで難を逃れたのだろう。
私は……結界に集中するあまり、その手をどこでどうさせていたのか覚えていない。
ただ、耳を塞ぐという動作をしていなかったのは間違いない。
ゲンジはどうなったのかと前を――彼が立っていた所を見ると、どこにあったのかという岩に腰かけて、少し落ち込んでいる様子でそこに居た。
男衆が彼の肩や背をぽんぽんと叩いて、励ましているように見える。
そんな景色を呆然と見渡しているうちに、先のすすり泣きが聞こえて来たのだ。
(耳が……聞こえるようになってきたんだ)
「……大丈夫ですか? どこか怪我をしたんですか?」
皆はあまり気にしていない素振りだったけれど、治癒が必要ならすぐに治してあげなければ。
反射的にそう考えていた。
「いっ……いえっ。その。こわ、こわくって。……安心、して……」
確かに……泣いてもいいなら、私も泣きたくなってきた。
訳も分からず命を狙われて、村の人達ごと、皆殺しにされるのだと――。
ネルウィグという男は、逆賊だとか言っていた気がするけど……気が動転していて、その理由をちゃんと聞けず終いだった。
それは私を指して言ったのか、村の人達の事なのか……。
でも、どちらにしても嘘の理由で、ただ殺したいだけだったに違いない。
だって、狙われる筋合いなんて、誰にも無いから。
私もそうだし、こんなに気のいい村の人達も、逆賊呼ばわりされる意味が分からない。
どうせ、国王あたりが「気に入らない」とか言って、滅茶苦茶な難癖をつけただけだ。
「ふぅ……」
やっと、気持ちが落ち着いてきたように思う。
まだ、耳にキーンというのが残っているし、心臓もドキドキと言って脈が速いけれど。
それにしても、あの魔法は何なのだろう。
世界でも滅ぼすつもりだったのかしら。
そんなことを思いながら、ゲンジに近寄った。
「……あなたねぇ。耳が聞こえなくなったら、どうしてくれるのよ」
ゲンジは疲れている――というよりは、落ち込んでいる風だ。
「……すまない。もう少し制御するつもりだったんだが……」
(――制御?)
「……あれを?」
人の領域を軽く超えている。
まるで、私が使おうとした切り札の、神への祈りに似ている。
ラグド・エラ・セルデン――聖女に仇成す者達への、神の怒り。
それと同じか……もしかしたら、それ以上の。
(制御なんて、出来るはずが――)
「ああ。俺の魔力にあてられていたから……つい、制御しきらずに放ってしまった」
「……はい?」
規格外過ぎて、彼が何を言っているのか意味が分からなかった。
「いや……すまない。とにかく、村を破壊してしまって……」
そう言うなり、また落ち込んでうなだれてしまった。
彼を囲んでいる男衆は、大声で笑っているけれど。
「ハッハッハ! 気にすんなって! いっそ清々しいくらいだ!」
「んーだな! ほとんど更地にしちまって潔いさ! しばらくは船暮らしでもすっから、大丈夫だって!」
「だなー! 大型のがほとんど、遠漁に出てたから助かったってもんよ!」
「それより、王国兵どもの事よな。また来たらどうすんよ」
「んなもん! 旦那が居れば問題ないさぁ!」
(好き放題言ってるなぁ……)
この村は居心地がいいから、住んでもいいかもだけど。
でも、教皇様が行けって言ってたから、一度は魔族領に行った方がいい気もするし……。
「すまないが、魔族領に行かないとでな……」
ゲンジは煮え切らない返事をした。
「そうかそうか。まあ、そんときゃそん時さ。気にすんなって旦那!」
「それよか、あれだ! 国が俺達を狙うってんなら、もういっそ、俺達も魔族領に行くってのはどうよ!」
「それもいいかもなぁ。まあ、そういう訳だ! 俺達ぁ俺達で、どうとでも生きていく。旦那がしょげなくてもいいんだって。なぁ?」
「おうよ。海の民を舐めんじゃねぇぞぉ? 逞しいのが取り柄だってな!」
そんな会話をしてガハハと大袈裟に笑っては、彼らはゲンジの背をバンバンと叩いている。
それでも、頭を下げてしょげたままのゲンジ。
普段はぶっきらぼうだったり、無口だったりの朴念仁のくせに、明らかに落ち込んでいる姿はこの一カ月、見たことがなかった。
それがなんだか、見ていて可笑しくなった。
「ざまぁないわね。皆がそう言ってくれてるんだから、落ち込んでてもしょうがないでしょ!
そんなに気になるなら、復興を手伝いに来ればいいじゃない。一旦は魔族領に行ってもさ」
住んでみてもいいと思えた場所だから、自然とそういう言葉が出た。
「そりゃあいい! 男手はいくらあっても助かるからな! そうしてくれよ、そんなに気にしてくれるならさ」
「ハッハッハ! 奥さんの方がしっかりしてらぁね!」
そんなのじゃ、ないんだけど。
「ハハハハハ! 尻に敷かれてるてめぇが言ってもなぁ!」
「あぁん? おめぇもだろうがよ!」
そんな会話が響き渡っていると、ショックで静かだった女衆も元気になってきたらしい。
「あんたたち! 救いの神の旦那と聖女様をイジってんじゃないよ! こっちへ来な!」
「偉そうに勝手なこと言って! 聖女様たちを乗せてく船でも探してきなよ!」
奥さん方に怒鳴られて、男衆はしゅんとなってそちらに戻って行く。
代わりに女衆が何人か寄って来て、口々にお礼を言ってくれた。
「私達を守ってくださって、ほんとに、ありがとうございました。さぁさぁ、寝る場所でも見繕ってくるから、旦那と聖女様はそこでゆっくり休んでてくださいな」
「そうだよ。私達の命の恩人なんだ。ほんとに、胸張っておくれよね?」
「ばっさり斬られたのはうちの夫でね。旦那ももちろんだけど、聖女様にはほんとに、何とお礼を言ったらいいか……」
そうだった。
あの人は、本当に危なかった。
でも……皆を治癒出来て、本当に良かった。
「お礼なんていいんですよ。皆が無事で、本当に何よりです」
この短時間で、こんなに魔力を使ったのは初めてかもしれない。
「そんな……。いいえ、聖女様が何と仰ろうと、村総出でお礼させてもらいますよ」
「い、いえいえほんとに、そんなにしてくれなくていいですから」
治癒も、結界も、出来うる限界を使い続けた。
疫病が流行った町で、夜通し治癒を続けたあの時よりも、数倍きつかった。
「聖女様……うちらの御恩は、聖女様がお忘れになっても、ずーっと続けていきますからね」
「そうそう。何としてもご恩返しさせてもらいますよぉ?」
「い、いやぁ……もう十分、お気持ちだけで十分ですから……」
最初に宴会も開いてもらったのに、村を破壊しておいてそれはさすがに、ゲンジじゃないけど気にしてしまう。
「あ。そういえばあの兵士達、どうなっちゃったの? 死体も見当たらない気がするけど……」
何とか話を逸らそうと思ったのと、そして、取り囲まれていたはずなのに荒れ地しか見えない状況に、ようやく違和感が追い付いてきた。
その私の言葉に、ゲンジが短く答えた。
「あぁ、それは……雷龍に食われたんだろう。たぶん」
「あ~。そうなんだ。食べられたんだ……」
聞いておいて、聞くんじゃなかったなと思った。
やっぱり、何を言っているのか理解できないのだから。
「いや……食べたって……何がよ」
心の声が、そのまま漏れ出てしまった。
声が小さかったからか、何も答えてくれなかったけど。
でも、別にそれで良かった。
とにかく、遺体も無いのなら気にせずここで横になれるし、何ならすぐにでも眠りたい。
敵の気配は完全に消えていて、安心出来ると思ったら眠くてしょうがない。
「……聖女様、ふふ。立ったまま眠るなんて器用な事なさらずに。とりあえず旦那さんにもたれさせてもらいなよ。ね、いいですよね、旦那?」
その後、会話がどうなったのか覚えていない。
気が付くと、ボロボロになってしまった布地なんかを、何枚も重ねた仮の布団に寝かされていて、ゲンジも背を向けて眠っていた。
それを囲むように、村の皆も一緒に眠っていた。
ゴツゴツとした岩場のようになった地面なのに、器用に寝転がって。
皆無事で、ところどころからイビキも聞こえている。
それを、昇りかけの朝日が何事でもないかのように、明るく照らす。
私にはそれが、祝福の光に見えた。
こんなに大変な状況だけど……皆の寝顔は、幸せそうに笑って見えたから。
「皆……たくましいなぁ……」
何だか感動してしまって、涙がこぼれ出た。
「……聖女さまが、まもってくださったからですよ?」
いつの間に側に来たのか、少女が一人、隣に来ていた。
「聖女さまが、み~んなのケガを、治してくださったから。だから皆、幸せでいられるんです」
にこりと笑うその子も、幸せそうに笑っている。
「そ、そう? それなら、嬉しいかも」
その屈託のない笑顔を見て、私はさらに泣いてしまった。
救えてよかった。
聖女で、よかった。
命を救うことが当たり前になっていた私にも、これが尊いことなのだと、改めて知った。
皆が、笑顔でいられることが、こんなに嬉しいことだなんて。
「聖女様も、しあわせになって。ね?」
その子は幼いはずなのに、大人みたいだなと思った。
私なんかよりも、幸せを分かっているから。
「うん……ありがとう。私も、いまとっても、しあわせよ?」
「フフフ。うん、そうみたい」
そうしてふと、ゲンジのことを思った。
彼の寝顔は、どうなのだろうと。
背を向けている彼の顔は、しあわせそうだろうか。
「だんなさんは、むつかしいお顔をしてたよ?」
そうか、と思った。
「それじゃ、私がしあわせなお顔にしてみせるね?」
少女がウンウンと頷くから、私も一緒に、頷いた。
「次にここに来たときは、もっと仲良しになってるといいね」
そう言い残して、少女は両親のところに戻ってしまった。
そして、二人を両の手で指差して、それを自分のほっぺにぷにぷにと指した。
笑顔の頬が押されて、もっと笑顔になっている。
「こ……こどもを作れってこと?」
おませな子だなと思いながらも、顔が熱い。
(……考えておくわね)
この人が、その気になったらねと、小首を
――しあわせな空気。
――しあわせな時間。
たとえ苦労があったとしても……そこに辿り着けるなら、乗り越えるように頑張ろう。
そう思えた。
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