二十九、彼の心
二十九、彼の心
ゲンジとの旅は、順調だったし楽しくなってきた。
すっかり慣れたのと、彼の事を警戒しなくても良いと思えたのが大きい。
景色は、草原地帯を抜けてしまったようで、赤土と岩に囲まれているけれど。
今日は雨だ。
少し辛さが増すけど、寒い季節じゃないのが助かった。
もちろん土砂降りなんかじゃなくて、小雨程度。
それでも、一日中ずっと歩いていると、全身が濡れてしまう。
マントがあっても、足元はグショグショになるから夜の焚火で乾かす予定だったのに。
――降り続く夜は、凍えない程度に寒い。
でも、身を寄せ合えば眠れる程の気温なのが、なぜか今は、そんなに憎くなくて……。
「今日はずーっとこうね。テントがあれば、濡れずに休めたのに」
「俺のマントを屋根代わりにしてるじゃないか。幾分マシだろう?」
積荷のシートは、馬の背にかけてあげたものだから、結局ゲンジは自分のマントをそうした。
そして、その一人分しかない頼りない屋根さえ、彼は入ろうとしない。
「あなたが寒そうだもの。もっとこっちに寄りなさいよ」
「セレーナが風邪をひくといけない。自分のマントにもっと包くるまるんだ」
私にばかり、そういう心配をする。
だから、少し強引にしないと彼が体調を崩してしまうと思った。
「これも濡れて染み込んでるのよ。ゲンジの体温の方が随分とマシなの。ほら、こっちに寄って!」
「嫌じゃないのか」
「今更よね。これだけお世話になってるのに、好きも嫌いもないじゃない。……少しくらい引っ付いても、いいって言ってるんだから素直に来て」
「……すまない」
ここまで言って、ようやく隣に座る彼。
さぞかし温かい体だろうと、からかうのも兼ねて――横からそっと抱きついてやった。
「――やだ。体、冷えてるじゃないのよ。風邪の心配をすべきはあなたの方よね」
脅かそうとした私が驚いてしまったじゃない。
(変なところで頑固なんだから)
「……すまん」
(まったく……)
娘に遠慮する不器用な父親みたい。
そういうところ……嫌いじゃないっていうか――。
(っていうか?)
考えかけて――でも、彼は亡くした奥さんと娘さんしか、頭にないことを思い出した。
「そういえば、最後の港村って、あとどのくらいで着くかな」
なぜか胸が苦しくなって、私は話を変えた。
「そうだな、あと数日というところか。買った地図は割と正確なものだったな。全て予想通りに町を通過出来ているから」
彼の胸に寄せた頭に、その低い声が響く。
「そっかぁ、あとちょっとか……。ねぇ。私も結構、慣れてきたわよね?」
「ん? ああ、そうだな。歩くのも早くなった」
引っ付いた部分だけ、彼も温もりを取り戻しているのが、少しだけ嬉しかった。
「ふふーん。もっと褒めて」
「……そのくらいだな」
ゲンジのからかい方や、冗談を言うポイントが分かってきたのも、一緒に旅をしてきた成果だ。
「ちょっとぉ! 他にもあるでしょ? 野営の支度も一人で出来るようになったとか」
「ハッハッハ。そうだな。我慢強くなったし、仕事を覚えるのも早い」
私は、この旅で色んなことを彼に教わった。
ゲンジのお陰で、たくさん成長出来たと思う。
「他には? お料理も頑張ってるんだけど」
「ああ。芋をむけるようになった。最初は削いでいたからな」
「もう! そんなの最初の頃に出来てたでしょ!」
「ハハハハハ。こんな冗談も通じるようになった」
「……まぁ、そうね。怒りっぽかったものね。私」
今でも、どうして教会を追い出されたのかは分からないけど。
彼のお陰で、それでも楽しく旅することが出来た。
「なんだ、本当に気にしていたのか? 突然こんな事になったんだ。気を張っていて……それで普通だ。むしろ気丈で、とても頑張っていたさ」
「そ、そういう所で褒められると、照れるっていうか……恥ずかしいからやめてよ」
最初から、きちんと私を見てくれてたんだなって、今なら分かる。
「ふ。聖女様は難しくていらっしゃる」
「もう。そういうデリカシーのないからかい方をするのは、おじさん臭いのよ?」
時々、デリカシーが欠けているけど。
たぶんだけど、私を過大評価していて、そういう冗談も通じると思ってるんだろう。
「う。そう言われると辛いものがあるな」
「ふーん? なら、これでおあいこね」
だから私も、本気で怒ったりはしない。
「ハッハッハ。すまない。これから気を付ける」
まだ、そこまで強くはないんだよと、教えてあげたらすぐに受け止めてくれるから。
「……ゲンジって、本当はいくつなの? 私の知ってる男の人は、あまり生意気を言うと怒りだすのよ?」
もう少し、この人のことを知りたい。
けど、どうしてか逃げ道を先に作ってしまった。
「そうか、それは気の短い事だな」
「そう。ゲンジは本当に気が長いというか……優しいっていうか」
やっぱり、年齢の話をすると、話を逸らそうとする。
作った逃げ道に、すぐに乗るくらいに。
「優しくはないさ。俺の要求は厳しいだろう」
「それはまあ、そうだけど……私のためを思ってくれているのは、伝わってるつもりよ」
(話を逸らすのも、私のためなのかな)
「驚いた。そんな風に受け止めてくれていたのか」
「そりゃあ、そのくらい分かるわよ」
日が沈み切って、雨さえ見えない真っ暗な夜。
火を起こすための岩場の影さえ、見つからなかった。
少しの沈黙でも長く感じるのは、私の鼓動が早くなっているからだろうか。
「……大したものだ」
「……もう。だから照れるってば。……それで? 言い辛いなら、別にいいけど……」
今までは、ゲンジの表情を見てしまって、深追いするのを躊躇ためらっていた。
見た目通りの年齢じゃないのは、その言葉や雰囲気で分かる。
「ああ、年だったな。そういえば言っていなかったか」
「うん……」
彼の体温はすっかり戻って、温かくて心地がいい。
こんなに長く触れているのは初めてで、私はけっこう、大胆なことをしているなと思った。
けれど、もう少し手を伸ばして触れたところは、雨に打たれていて冷たい。
「俺は……」
もっと温めてあげたいのと、話を聞きたいのとで、私は今、あまり冷静ではないのかもしれない。
「おれは?」
暗闇の中で、触れたところと声のする場所から推察して、その頬に手を伸ばした。
濡れてしまった手が、もしかしたら気持ち悪いかもと思ったけれど。
「セレーナ?」
好きな人が出来たら、大胆に行動しなさいと教皇様は言っていた。
まだ、この人が好きかどうかは分からないけれど……。
いいな、と思っている。
キスをしてみたら、好きかどうか分かるかもしれないし。
キスくらいなら、ゲンジにならしてもいい。
「うん。もう少し……」
抱きついた姿勢が悪かった。
彼の腕の下から引っ付いたせいで、私が首を伸ばすだけでは届かない。
「セレーナ。何をしているんだ?」
気付いていないなら、好都合よ。
「気にしないで。もう少し、頭を下げてくれる?」
その息づかいは、もうすぐそこなのに。
(頑丈な首ね。びくともしない)
「……はぁ。セレーナ。俺の勘違いでなければ、もう少し自分を大切にするんだ」
「きゃ」
あっという間に体勢を変えられて、後ろから抱えられるような形になった。
背中に彼の、温かいのと冷たいのが混じった体温を感じる。
「ちょっと! 何するのよ」
「興味があるのは構わないが、急ぐ必要もないだろう。旅が終わって、もっといい人に出会ってからでも遅くはない」
頭にきた。
こんなに頑張ったのに、デリカシーの無さは筋金入りが過ぎて、久しぶりにむかついた。
「最悪。子ども扱いして、後になって惜しいことをしたとか思っても、知らないから」
「俺は……もう六十を超えているんだ。おじいさんだ。体が若いままなのは、色々とあったからだが。それに、セレーナを無事に送り届けるのに、その俺が手を出してどうする」
「は~?」
突然の告白に、私は理解出来なかった。
年齢も、体のことも、送り届けるという意味も。
「目的地に着いたら、全て説明する。そうするつもりだったし、必ず言う。だから、今は許してくれ」
(……召喚されたのは、偶然ではないということ?)
でなければ、今の言葉に意味が通らない。
「裏に誰が居るの? 教皇様?」
あの人なら、何かそういう力が使えるのかもしれない。
逆に、あの人以外に、そんな難しい魔法を扱える人は居ないはずだ。
「彼は違う。会った事はないが、友の仲間だそうだ」
「そこまで言うなら、今全部言いなさいよ!」
「それは骨が折れる。百聞は一見に如かずだ」
「そんなにややこしいことなの? 言うのが面倒なだけじゃないでしょうね!」
私は、本当に腹が立ったから、頭を思い切り下げてから、後ろに頭突きをしてやった。
「うっ!」
手応えはなかったけど、呻かせるくらいの衝撃はあったらしい。
ほんとは、顎に当たると思ったのに。
彼の首か鎖骨の辺りにしか、当てられなかったみたいだった。
「セレーナ。そういうのは無しだ。気持ちは分かるが……抑えてくれ」
「どうやって避けたのよ。見えないはずなのに」
避けられると、さらに腹が立つ。
「気配でいくらでも分かる。かと言って、ずっとそうされても困るから」
「……ふん」
信じられない。
じゃあ、最初から全部、分かった上で一緒に居たってこと?
(とんだ役者ね……)
信じられると思ってたのに。
「あなたの信用は、地に落ちたから。裏切者」
「……すまない」
開き直りじゃなくて、謝るなんてずるい。
「誰に頼まれたかも言えないわけ?」
「……そういう、約束だ」
この体勢も、気に入らない。
まるで父親が、娘を膝に抱えるみたいに。
「意味が分かんない! 何なのよ……」
なぜ、こんな旅をすることになったのか、それさえ分からないのに。
ゲンジが、その片棒を担いでいたなんて。
「すまない。とりあえず、あと数日だ。我慢してくれ……」
頑固だから、きっと何を言っても話してくれないだろう。
「この、頑固じじい! そうやって私の布団代わりになってれば? ばーか!」
こんなやつに、キスしようと思っただなんて。
本当にむかつく。
……かといって、ゲンジが悪い人だとは思えない。
(状況がぜんぜん整理できないわ)
感情がぐちゃぐちゃ過ぎて、逆に冷静かもしれないけど……。
情報が無さ過ぎて、何も分からない。
「もう寝る……」
そう言うと、ゲンジは岩にでももたれたのか、彼に引っ張られるように斜めの体勢になった。
「少しくらいは眠りやすいだろう」
「そんな気遣いよりも……」
言いかけて私は、開き直って彼に体を預けた。
「……おやすみ」
「ああ、おやすみ」
真っ暗闇の、雨の中。
なんだかまるで、ゲンジの心みたいだと思った。
何も見せてくれないくせに、ずっと悲しみを抱えてる。
覗き込みたくても、何も見えない。
彼の心。
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