二十二、宗善のお節介

  二十二、宗善のお節介




 小鳥が鳴く声と、爽やかな朝の風。


 まだ人が活動する前の、夜に清められた新鮮な空気の香り。


 窓が少し、開いている。


 私に当たらないように、日差しは壁を照らしている。




「…………ここ、どこだっけ」


 見慣れない部屋で、どこか淫靡な配色。


(そうだ。町にやっと着いて、いかがわしい宿しかなくて、ゲンジと同じ部屋で……)




 私は、不信感のあまり、彼に酷い仕打ちをしていた。


 襲われる怖さが拭いきれなくて。




 ――それまで普通に話をしていた人が、豹変して覆いかぶさってくる恐怖は……された人にしか分からないだろう。


 両の手を押さえつけられて、その醜く歪んだ顔とけだものじみた目で、迫られる絶望は。




 でも、今は不思議と、ゲンジはやっぱりそんなことはしないと、信じられる気がする。


 現に、昨夜も何もされなかった。


 うっかりと、ぐっすり眠ってしまったにも関わらず……何もされてない。




「……ゲンジ」


 信頼出来ると思ったら、そこに居ないのが逆に不安になった。


 あまりに酷く接したから、置いて行かれてたらどうしよう。


 もしかしたら、何もしなかったんじゃなくて、夜の間に置き捨てられたのかもしれない。




 でも、誰かがずっと側に居たような気配があった。


 小さい頃、広い教会の狭い部屋で、一人寂しくて眠れなかった時……教皇様が、ずっと側に居てくれたあの安心感。


 ――あれに似た感じが、ずっとあったから眠れたんだ。




「……ゲンジ。居ないの?」


 眠り過ぎて、起き上がる気力が満ちるには、もう少しかかりそうで。


 その前に、いつもみたいに「どうした」と返事をして欲しい。




「ゲンジ」


 床で眠らせたせいで、疲れて起きられないのかな。


 それなら、少し回復魔法をかけてあげないと。


 ……でも、寝息ひとつ聞こえない。




 確認して現実を知るのが怖くなって、今度はそのせいで体を起こせない。


 そんなことを考えていると、ドアが開く音がした。


 ぎぎぃ。と、建て付けの悪い音。




「セレーナ、起きたか。朝食を用意してくれた。食べられるか?」


「ゲンジ……」


 首をもたげて、その姿も確認した。


 トレイに焼き立てのパンが見える。卵やお肉を焼いた匂いもする。




「起きてすぐには無理そうなら、後でもう一度作ってくれると言っていたぞ」


 いつも通りの、低い声。淡々と要件を述べる無駄のない言葉。


 無駄が足りない、不愛想な人だと思ってた。




 けど、今はその声にどこか、優しい響きがあるように聞こえる。


(なぜかしら。昨日、そういえばもう一人誰かが居た気がする)


 その記憶の中で、ゲンジはもう少しくだけた会話をしていて、個人的な話もしていて……それでゲンジを、大丈夫な人だと思ったんだ。




「ゲンジ」


「どうした」


 無骨な態度のくせに、所作は柔らかい。




 トレイをテーブルに置くのも、椅子に座るのも、大きな音を立てない。


 テーブルを気遣うようにそっと置くし、椅子を引きずることもしない。どすんと無作法におしりを落とすような座り方もしない。




「……なんでもない」


「そうか。俺は下で食べてくるから、ゆっくりしているといい」


 なら、なぜそこに座ったの?




「待って」


 たぶん、私がまだ嫌がってると思って、気を遣っているんだ。




「うん?」


「そこで、食べなさいよ。……ううん。食べてて。私、もう嫌じゃないから」




 急に態度を変えるのが、なんだか恥ずかしい。


 自分がどれだけのことをしたのか、思い出すとなおさらに。


 服……投げつけた……。




「いいのか? その、俺が居ると安心できないだろう」


 やっぱり、ものすごく傷付けてる。


「ううん、その……ごめんなさい」




 目を合わせられずに、私は横を向いた。


 まるで病み上がりみたいに、ベッドから起き上がりもせずに。


(――これも、失礼なことをしてる)




「どうして謝るんだ? 何もしていないだろう」


 今のことを言っているの?


 昨日までの態度のことを、謝ったのに……。




「そうじゃなくて。今までのこと、全部。酷いことをたくさん言ったし、したわ」


 ちらりとゲンジを見ると、似合わない微笑みを浮かべている。




「構わないさ。見知らぬ男と急に旅に出たんだ。怖がらせてすまない。謝るのは俺の方だ」


 ……大人の対応だわ。




「ううん。私、その……今なら、あなたを信じられる気がする。とても、勝手なことを言っていると思うけど……」


 彼ともう一人の会話を、徐々に思い出してきた。




 そのお陰で、ゲンジの人柄がもう少し、分かったように思うから。


 でも、それを何と伝えればいいんだろう。


 ――いや。でもあれ? どうしてもう一人居たことを、当たり前のように思っていたの?




「……それよりゲンジ。昨日、もう一人居たのは誰? 私、確かに起きてたわ。だから覚えてるんだもの。誰を部屋に入れたの?」


 怒っている……というよりは、教えて欲しいという気持ちが強い。




「それは……。すまない、起きていたのか?」


 実際には、よく分からない。


 眠っていたと思うけど、なぜか二人の会話は、かなりはっきりと思い出せる。




「わかんないけど、何を話していたかも覚えてるもの。魔力を分けてくれたのも、あなたでしょう?」


 するとゲンジは、気まずそうな顔をした。




「……そうだ。嫌かもしれないが、我慢してくれ」


 そうじゃない。


 私は体を起こして、ベッドから足を垂らしてゲンジに向き合うように座った。




「もう。……落ち着いて聞くわ。私は、誰かが居たことも怒ってるわけじゃないし、魔力をくれたことも感謝してる。それから、さっきも言ったけどあなたのことを信じる……つもりよ。だからその、もっと昨日のことを教えて」


 ほんとは、他人を勝手に部屋に入れたことは怒った方がいいのかもしれないけど。




「そうか……どこから聞いていた?」


「どこって……。ゲンジもそろそろ、とか。友の頼みを聞いてるだけだ。とか?」




 結局何か、ゲンジがお人好しっぽいということと、奥さんとお子さんを大切に想っていること。昨日居た人がゲンジを心配してること。それがよく、分かる会話だった。


 あと、やっぱり私を、気遣ってくれていることも……。




「あいつの仕業か……」


「あいつって? ムネヨシって誰なの?」


「……お節介焼きの小うるさいやつだ。腐れ縁でな」


 その言葉には、本当にめんどくさそうな物言いの裏に、絶対の信頼を置いているような、特別なものを感じた。




「……それで? 一緒について来てもらわないの? 頼りになりそうじゃない」


「そんな面倒なことが出来るか」


 即答だった。




 眉間にぎゅっとしわを寄せて、苦悶の表情を瞬時に作り出していた。


 本当に余程のお節介さんなのかもしれない。


 そして、私にそういうくだけた感情を見せてくれるのが初めてで、なんだか嬉しかった。




「アハハハ。ゲンジもそんな顔するんだ」


「……フッ。セレーナも、気を許してくれたのか?」


「うん……まぁね?」


 こんな態度じゃなくて、ほんとはもっと謝らないといけないのに。





「なら、良かった。信じてくれてありがとう、セレーナ」


「うっ。そんなに改まらないでよ……私が、子どもみたいじゃないのよ……」




「ハッハッハ。実際まだ子供なんだから、気にするな」


 ――あっ。


 こういうところなんだ。年頃の子から嫌われるのって。




「子どもじゃないわ。ゲンジのそういうところは、ダメなところよ! 一緒に旅する中で、私が治してあげる」


 ちょっとカチンときたので、身を乗り出せば手の届くゲンジの胸に、指を突き立ててやった。




「おいおい、穏やかじゃないな」


 その言葉さえ本気ではなくて、まるで子どもをあやすみたいに言う。




 いいわ。覚えてなさい。


 後になって私の魅力に気付いても、知らないから。



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