十九、久しぶりの町
十九、久しぶりの町
頑張って歩いたのに、町に入れたのは夜を十分に回った頃だった。
「ごめん。私のせいで遅くなった……」
「いや、十分さ。こうして町に着いたんだから」
私が足手まといでも、ゲンジは怒らない。
「どうして優しくするの? 私の歩くのが遅いせいだって、怒ればいいのに」
「そんな事、慣れてる俺が計算に入れて然るべきだからな。その計算以上に早く歩いてくれたんだから、怒るはずないだろう。よく頑張ったな」
「……そうなんだ」
私が気にし過ぎなんだろうか。
どうにも、自分が下な状態だと勝手が分からない。
何をしても、自分が悪いんじゃないかと思ってしまう。
(後になって、とんでもないことを要求されるのも嫌だし)
国王はその最たるで、ちょっとしたミスでも付け込んで、何かをさせようとした。
その度に教皇様が護ってくれたけど……護られなくても済むように、私は聖女としての力を高め続けた。
その結果、力を得たお陰で好き放題発言するようになって、教皇様からも怒られるようになっちゃったけど。
だからこそ、私の力が通用しないゲンジに弱みを握られたくない。
何も要求されたくないから。
言いたい事を言うには、対等かそれ以上じゃないと、出来ないから。
そんなことを考えていると、ゲンジが急に立ち止まった。
「なんだ。この町……王都から近いはずなのに、この寂れようは……」
言われて辺りを見渡すと、人が住んでいるように見えない。
ほとんどの家が、ドアも窓も壊されている。
……おかしい。
こんなに酷い有様だったかしら。
「ここは……去年にね、疫病が流行ったの。たくさん死んじゃったんだ……。私も頑張ったんだけど、私が来た時にはもう助からなくて。聖女なのに、間に合わなくて」
「……そうか。すまない。無神経だった」
「ううん。でもやっぱり……。一年は経つのにぜんぜん復興してないなんて、おかしいわよね」
国王は、すぐに復興の手配をすると言っていたのに。
支援を十分に、人々の生活がすぐに戻るよう尽力すると。
……言っていたのに。
(口だけで、何もしてないじゃない)
――ともかく、町の人はどうなってしまったんだろう。
「中心部に進んでみようか」というゲンジの言葉に、小さく頷いて後に続く。
「全部がこんなだったら、どうしよう」
「王都では、町が滅んだという話は聞かなかったが……」
でも、そんな不安は町の中心に近づくと、和らいだ。
「よかった。明りが見える。人は住んでいるのね」
「そうだな。宿の看板も見えるし、一階の酒場もまだ開いているらしい」
ガヤガヤと、少しガラの悪そうな酔っ払いの声がなんとなく聞こえる。
「あんまり近寄りたくない雰囲気ではあるけどね」
「宿はあそこだけみたいだから、我慢して入るしかないな」
嫌だな。
そう思いながらも、ゲンジの言う通りだから仕方がない。
宿の一階部分、酒場の周りだけ松明が焚かれていて、その周辺には、酔ってくだを巻く男がチラホラと転がっている。
酒場の中からはさらに、大声で叫ぶ男や、若い女性の笑い声も聞こえる。
「ゲンジ……私、入りたくない」
ロクでもない場所に違いない。
この町は、あの疫病と国王のせいで変わってしまったんだ。
もっと落ち着いた感じの人が多かったと思ったのに。
でも……冷静に考えると、私が来た時は非常時だったから夜の酒場も開いていなかった。
私が知らないだけかもしれない。
「まあ……野宿よりはましかもしれない。それに、このまま次の町に行くには準備も足りていない」
「分かった。何かあったら、ゲンジが全員倒して。いいわね?」
「了解した」
そう言ってくれると思っていたけど、即答してくれたのはありがたい。
なるべく、人を傷付けたり殺したりしたくないから。
「いらっしゃい!」
女将だろう。ぽっちゃりというか、がっしりに近い体型の堂々とした女性だ。カウンター越しに入り口まで通る、その太い声に迎えられた。
と同時に、飲んだくれ達から「ヒュー! 女連れかよ!」などの下品な声が左右から聞こえてきた。
三人掛けくらいの丸テーブルの席が左右に四つずつ。壁沿いに二人席が二つずつ。正面のカウンターに四席あり、その隣奥には二階への階段がある。
接客係の若い女性達……は、胸元の大きく開いたシャツと、ふとももが丸見えのミニスカートにスリットまで入っている。
客は確かに満席だけど、それにしては接客係が多い。そのほとんどは、ホールの仕事よりも客に交じって談笑している。
「なにぃ? カップルは割増しだよ! いいね!」
女将は、私が視界に入った途端に態度を悪くして、いきなりぼったくると宣言した。
「ちっ。売春酒場だったのか。他に宿は?」
ゲンジも負けずに、相応の態度に変えて交渉を始めた。
(うわぁ。あんなドスのきいた話し方もするんだ……)
なおさら、ゲンジが少し怖くなった。
「あるわけないだろ? あっても言わないけどねぇ。どうするんだい? 銀貨十枚だ」
「そんなに払うわけないだろう。相場の金額まで下げろ」
「文句があるなら出て行きな! そっちの可愛い嬢ちゃんが可哀想だけどねぇ!」
どうやら、分が悪いらしい。
でも、それはそうだろう。
泊まれるところはここ以外になさそうだし、ゲンジが怖くても押し切れないと思う。
「……銀貨二枚だ」
「馬鹿を言うんじゃないよ! だけどそうだねぇ、その嬢ちゃんを一晩働かせるってなら、タダで泊めてやってもいいけどね」
「ふざけるなよ? 同じ事を続けて言わない事だ」
「……ちっ。なんて凄み方する男だよ。後ろの嬢ちゃんはあんたの彼女かい? 可愛い子を連れ込んで…………」
一体、ゲンジはどんな顔をしたんだろう。
雰囲気は、後ろ姿でもちょっとブルっときたけども。
でもそれより、女将が私を見て固まってしまった。
「なんだ。因縁をつけたら許さん――」
「――あんた聖女様かい? あんた……去年、私らを救ってくれた……」
女将は突然、涙を浮かべながら声を細らせていった。
ここで、素直にそうだと言っていいのか迷ってしまう。
「えっと……」
「いや。何も言わなくてもいいよ。お供を一人しか連れずに、こんな町に来るなんておかしな話さね。でも、そのお顔を忘れるわけが無いよ。あんたに救われた恩、ここで僅かばかりだけど、返させておくれ」
「え。えぇ?」
この人を救ったかどうかは、正直覚えていない。
なにせ、何十人どころか、数百人を徹夜で見て回ったのだから。
それに、救えなかった命の多かったこと……。
魔力も尽きかけて、体力も限界を超えていて、全員に治癒を掛けられたのが不思議な状況だったのだから。
皆がどんな顔かなんて、覚えられなかった。
「飲んだくれども! 今日は店じまいだ! とっとと帰りな! シャル、あんたを残して他の子達も今日は帰らせな!」
その声に、それまでギャーギャーと騒いでいた男達が一瞬静まり返った。そして――。
「おいぃ! おかみよぉ! そりゃないぜぇ!」
――その客達が一斉に声を上げた。
まだ飲んでいたいだとか、今日は買うつもりだったとか、とにかくうるさい。
「おだまりぃ!」
その声は、男達の何倍も強く通る声だった。
もう一度静まり返ったところで、女将は続けた。
「あんた達にも恩人だろう! 今夜は聖女様の貸し切りだ! それにもしも聖女様に何かあったら、二度とこの町に住めなくしてやるからね!」
『なにいいいいいい?』
その後数十秒の間に、男達は慌てて店を出て行きながら、銘々が私にお礼を言って帰っていった。
蜘蛛の子を散らしたところは見たことがないけれど、まるでそんな感じに怒涛のごとく散っていった。
そして、露出の多い女の子達も丁寧にお礼を言いながら去って行く。
「……何が起きたの」
「セレーナの御威光というやつだな」
振り返ったゲンジが、苦笑している。
「すまないね、こんな所だけど好きに使っとくれ。ああ、シャルは料理が上手いから残らせただけだから、安心しとくれ。その旦那で稼いでやろうなんて思っちゃいないからね」
ちょっと上手いこと言ったみたいな顔で、女将は満面の笑みを浮かべていた。
「あ……ありがとう、ございます」
別に、お相手してあげるならしてくれていいんだけど。
その方が、万が一でも私に来なくて助かるから。
「それにしても……あまり詮索はしないけど、二人ってのは不用心だよ? 最近はどこもすっかり治安が悪くなってねぇ。悪いことは言わないから、明日にでもすぐ東の町に行きな。そこで傭兵でも雇うんだ。二人じゃ危ないからね」
その言葉に、ゲンジが反応した。
「なぜ俺達が西から来たと分かる」
「あ……いや、こんな町だからさ、皆で見張りをしてるのさ。だから、さっき西から町に入ったのも、とっくに知らせが入ってたのさ」
「……そうか。悪かった」
「いいんだよ。さあ、料理は上に運ばせるから、好きな部屋使ってゆっくり休んでおくれ」
「感謝する」
「あ、あの。ありがとうございます。助かります」
ゲンジはまだ少し、警戒を解いていない様子だった。
けど、私は早くベッドに横になりたくて、申し出は物凄く有り難かった。
「いいや、お礼を言うのは私らの方さね。あの時はほんっとに、ほんとにありがとうねぇ。助けられた皆して、こんなでもお祈りは欠かさずしてるんだよ? そのくらいしか、何も返せないからね。ほんとに、本当に、ありがとうございます。聖女様」
そう言って女将は、深々と頭を下げてくれた。
「い、いいえいえ。私は当然のことをしただけですから」
救えなかった人達のことを思ってしまって、お礼を言われるのが少し、申し訳なかった。
そんなことを思っていると、女将の後ろでシャルと呼ばれた女性も、同じように頭を下げてくれていた。
私もお辞儀をして、複雑な気持ちで二階への階段を目指した。
「お料理、もうすぐお持ちしますねぇ!」
可愛い声のシャルが、女将の後ろからそう言って良い匂いをさせている。
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