インストール

 口の中の気持ち悪さが薄れてくるころには、日が傾き始めていた。

 この世界に季節というものはないのか、予想外に森の夜は冷え込んだ。現代日本の気候に合わせた夏物のスーツには大した防寒性能もなく、肌寒さにぞくりと全身を震わせる。結果論や後講釈のようではあるが、仮眠室に向かう前に異世界に飛ばされて良かった。上着を脱いでゆっくりしていたらと考えるだけで身震いする。


 やがて開けた場所に出ると、俺は足元の落ち葉を適当な範囲で取り除き、完全に暗くなる前に集めた木の枝をキャンプファイヤーの要領で組んだ。会社をバックレ──もとい辞めたあとの意企に一人キャンプでも、と考えていたのが役に立った。


「こんなもんで上々、だろ」

 組み上がった薪組みに満足して頷き、スーツの内ポケットを探る。


「火を点けるなら当機の機能をお使いください」

「……さっきから思ってたけど、結構主張強いな、お前。だが断る」

 ラプエルの言う通り、火を付けられる機能ももちろん搭載してあるが、熱利用で着火を行うため起動に若干時間がかかり、そのうえ焚火をすると言うことで精密機械であるラプエルは火元になる場所から離して置いてある。耐熱性のテストは行っていないからだ。


「ま、今回は見てろって」

 つまるところ、ライターがあるならそちらの方が手っ取り早い。

 手癖で口元までライターを運んでから、反対の手で風を遮るようにしてかちりと点火。ちらちらと小さく燃える火を薪に近付けて着火する。生木や露で若干湿気った薪も混ざっていたのが懸念点だったが、なんとか暖を取れるサイズにまで火は燃え上がった。


「ピー……ガー、ガ、ライターの残り燃料は七ミリリットル」

「俺の担当外の機能はよく分からんけど、そんな機械音を使う機能、多分付いてないだろ。そんで微妙に不安を煽る言い方はやめてくれ」

「当機には着火装置が搭載されています」

「そう機嫌悪くするな──って、なんだ? あれ……」


 ラプエルと口論を繰り広げている最中、木の陰ががさりと揺れた。

俺は体を硬直させる。風は吹いていないし、この世界の植物もひとりでに動くものはまだ見ていない(キノコは確実に動いていたが)。となるとあとは、野生動物だろうか。


 森の空気に緊張が走り、焚火で温まってきたはずの体に冷たい汗が流れる。

当然、身を守る武器のようなものは周囲にないし、もし大型の動物に襲われでもしたらひとたまりもないだろう。そのうえ地球とは違い、口の中で動くキノコや見たことのない形をした葉っぱの植物が群生している森だ。食料探し中に出会わなかっただけで、本来はどれだけ危険な動物が生息しているのか想像もつかない。


 慎重に、茂みの中にいるであろう動物を刺激しないようにラプエルの元へ近寄る。

「……ラプエル、あの茂みの中を確認したい。赤外線カメラを出してくれ」

「ライターで火を点けて照らしてみるというのはいかがでしょうか」

「やっぱしつこいなお前……⁉ オーケー、分かった。次回はライターじゃなくお前を使うから、早いとこカメラ出せ」


 音もなく白い箱状のボディの一角が変形し、アームに繋がれたカメラが取り出される。焚火も鮮明に見える、映える写真撮影機能付き☆な赤外線カメラを覗き込み、ズーム機能を使って茂みの中を覗き込む。


 そこにいたのは想像の範疇通り、中型犬くらいの大きさの動物だった。

 しかし、想像通りだったのは大きさだけで。

「なあ、ラプエル。茂みに隠れてよく見えないんだが……あいつ、足が六本ないか」

「はい」

「……ついでに頭に角があるように見えるんだが」

「はい。よくできましたね」

「その一切気持ちの籠ってない賛美をやめろ。ぶっ壊すぞ」


 その、何となく犬のように見えなくもない獣には、足が六本、額には角が生えていた。

「牙角狼。エンターナの森周辺を中心に生息する危険種。ハイイロオオカミに似ているものの、色が赤茶色と全く違う点が異なる。見つけたらすぐに避難すること」


「色以外にもっと違う点が多々あると思うんだが──ッ⁉」


 その声に反応したのか、こちらを向いた牙角狼が俺に向かって飛びかかってきた。

咄嗟に横っ飛びで回避する。今まで俺がいた場所に牙角狼が着地し、俺は一瞬のことに身体がついて行かず勢い余って地面を転がった。


「ちょっ、危ねえ!」

「お見事です。くすくす」

「棒読みで笑ってんじゃねえ! っていうかお前も見てないで助けろよ⁉」


 視線は牙角狼から外さないまま、微動だにしないラプエルに抗議する。まあ、自律機能は持たせていないため直接助けて貰うことは不可能なのだが、それでもこの危機を脱する提案くらいくれればいいものを。肝心なところで役に立たない。


「ご安心ください。私なら、いつでもあなたのことを見守っていますから」

「そういうことを言ってるじゃなくてだなっ!」


 言いたいことは山ほど考え付くが、今はそれどころではない。

 とりあえず逃げるしかない。ラプエルを背負い、牙角狼の反対方向に走り出す。

 年々と体力の衰えは感じていたが、その気になれば意外と動けるものだと自分で感心する。それでも逃げ切れるかは分からないが──やるしかない。


 ──と、そこで。焦る俺の背中越しにラプエルの声が聞こえた。

「パワードスーツを推奨します」

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