スタンバイ

 パワードスーツはラプエルに内蔵ないぞうされている機能の一つだ。

 ラプエルに促されるまま、俺は機体の左右に着いている取っ手を引っ張り上げる。


 ──ブォン、と起動音きどうおとが鳴り響き、血圧計を思わせる加圧式の要領で全身にぴったりと合うように調整され、機械のスーツが自動的に装着されていく。

 ラプエルの機械熱が全身を包み込む。背中のラプエルが軽くなっていく。

 これで、あの魔物と戦える……というわけではなく。


 この充電式パワードスーツは身体能力が一.二倍ほど向上する。分かりやすく言えば、凡庸ぼんようなアラサーサラリーマンが二十代男性レベルの身体能力になれるというわけだ。

 効果が絶大と言うほどではないが、これで逃走率が少しは高くなるはずだ。

 問題点は二つ。一つ目は急激な変化には体が対応し切れないため、今はほぼ全てラプエルに身体を制御してもらっている状態だ。


 要するに、バッテリーの消費が非常に激しい。残りのバッテリー残量から推測するに、持って三十分といったところだろう。それまでに振り切れるかが勝負となる。

 もう一つは俺の羞恥しゅうちしんの問題だ。傍から見ずとも、アラサーのサラリーマンがヘンテコなスーツを全身にまとっている状態である。ハロウィンの仮装じゃあるまいし、他に誰か周りにいるならできれば使いたくない機能だと、装着を終えてから思う。


「早くしてください。時間がありませんよ」


 ラプエルに急かされ、俺も覚悟を決める。パワードスーツの開発や調整に俺は関わっていないため不安は残るが、ここで躊躇ちゅうちょして時間を無駄にするわけにもいかなかった。


「よし……いく、ぞ?」

そう決意を固めた、次の瞬間。

「ぐッ……⁉ あ、あ」


体中をにぶい痛みが襲ってきた。


「調整が終わるまで残り三、二、一──適応完了です。動けますか」

「あ、ああ……なんとかな」


 恐らくだが、ラプエルの機能によってアラサーの体を無理やり動かしている都合上、長年のデスクワークでなってしまった肩関節周囲炎やら腰痛やらが悪さをしているのだろう。

 まるで全身が筋肉痛になったような感覚。体力も落ち気味の今となってはそれが辛いが、動けないわけではない。ごちゃごちゃ考えようが逃げるにはこれしかないのだ。


「よし。今度こそ行くぞ、ラプエル!」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「お前も背負ってるだろ⁉」


 くだらない話をしている間にも牙角狼がじりじりと距離を詰め寄ってくる中、俺は右足に精一杯力を込めて地面を蹴った。──と、足裏に柔らかい地面がえぐれる感覚がして、眼前に迫った大樹を寸でのところで避ける羽目になる。


 パワードスーツ、思っていたよりもやばい代物かも知れない。

 高校生や社会人になりたての頃はこれだけ動けていたというのが信じられない。それほどまでに装着前と装着後とで全身の感覚が異なるのだ。


「制御は私がしているとはいえ、変な方向に行かれると対処し切れません。反射速度は若返りませんし、若い頃を思い出してはしゃぐのはどうかこの場を脱してからに」

「長文で冷静に鑑別するのはやめて⁉ 次はうまく逃げるから……っと!」


 ぎりぎりのタイミングで大樹を盾にして牙角狼の突進を避ける。

 走りながら時折回避行動を挟み、攻撃こそまともに当たってはいない。

 だが、これでは。


「く……! これじゃらちが明かない!」


 俺は一杯一杯になりながら攻撃を躱しているが、牙角狼の方はむしろそれを楽しんでいるようだった。現に足では何度も追い付かれているのに、致命傷を与えには来ない。

 いや、遊ばれているうちはいいが、いつ本気で襲い掛かられるかも分からない。そう思うと気が気でなかった。


「なあラプエル、何かないのか⁉ っ……て危ねえ!」

 牙角狼が急に速度を上げたかと思うと、前方に回り込んでそのまま飛び掛かってきた。間一髪かんいっぱつでしゃがみ込んでかわしたが、向こうも焦れてきているのが分かる。

 このままではまずい。


「ラプエル! このパワードスーツ、もっと速く走れないのか?」

「両脚全治三カ月の疲労骨折です。一つ試してみますか?」

「無理なのは分かったからそんな試供品のお試しみたいなノリで勧めんなよ⁉」

「不可能ではありません」

「全治三ヶ月はもう不可能の域なんだよッ!」


 命と引き換えにはできないとはいえ、両足の疲労骨折は流石にマズい。この場を脱せたとして次の脅威がいつ来るかも分からないし、そうならなくとも普通に骨折は嫌だ。

 だが、このまま鬼ごっこを続けていればいつかパワードスーツの充電が切れてしまう。そうなれば一巻の終わりだ。


 何でもいい。何か、危機を脱する方法を──


「っ……うわあっ!」


 焦った俺が思考に気を取られたその一瞬、牙角狼が飛び掛かってきた。今度は躱し切ることができず、パワードスーツの肩パーツを巨大な爪がかすった。

 直接当たったわけでもないのに凄まじい衝撃に見舞われ、俺は後方に吹き飛ばされる。パワードスーツによって無理やり平衡感覚が保たれ、転びこそしなかったものの、頭が思い切りさぶられる。


「うぇ……」

「対象との距離が離れました。好機と判断します」

「こう、き……?」

「このまま川まで走ります。かないでくださいね」

「ちょっ……今、むりだ……って……!」


 それ以上は言わせてもらえず、足に縄を付けて思い切り引かれたような衝撃と共に身体が動かされる。俺の意思ではない。パワードスーツに引っ張られている感じだ。

 更に頭が前後に振られて気分が悪くなっていく中、原付に乗っているんじゃないかと錯覚するくらいのスピードで景色が過ぎ去っていく。


 背後から牙角狼の怒ったような吠え声が聞こえてくるが、それが徐々にとはいえ遠ざかっていくくらいの速度が出ていた。

 左右の木々が離れていき、昼間に立ち寄った川が現れる。

 と、そこでようやく俺は立ち止まった。


「……足痛い。絶対折れてるってこれ……」

ひびも入っていません。それよりも、飛び込むので心の準備をどうぞ」

「え、俺この川に飛び込むの?」

「はい」

「いや……水温低いし、運動してすぐだから心臓麻痺とか」

「ご安心を。電気ショック機能も標準搭載されています」

「全然安心できないし、電気ショックをしてくれる人がいないと意味ないんだけど⁉」



 そう思った時だった。

『ギィ!』

 魔物は奇声を発して急ブレーキをかけた。

 そして、こちらに向かって飛びかかってきたのだ。


「危ない!」


 俺はとっさにしゃがみこみ間一髪攻撃を回避できた。

 だがこのままではまずい。

 パワードスーツのタイムリミットが刻々と迫っている。


「おい! もっと速く走れないのか?」

「無茶言わないでください。あなたに合わせているのです」


それはわかっているのだが……。


「うわぁ‼」


 またも魔物の攻撃が襲ってくる。

 今度は避けきれず爪がかすってしまう。

 パワードスーツのおかげで傷はないものの衝撃までは吸収できない。

 このままではいずれ限界が来る。

 それにまだ奴は本気を出していないように見える。

 何か打開策を考えなければ……。

 その時だった。


 目の前の森が突然開けた。

 そこは飲み水を手に入れた川だった。

 闇雲に入っていたら元いた場所近くに戻ってきてしまっていた。


「飛び込んでください」


 幅跳びの要領で大きくかがみ込む姿勢に誘導される。

 このままだと川にダイブすることになる。

 頭は拒絶しようとするが……。

 ザップン。下半身が急激に体温を奪われる。


「ッ、めって-―」

 怒りがわき上がりそうだったが一瞬にして頭を冷やされるほどの冷たさだ。

 兎に角、牙角狼から逃げないといけない。そうおもい足を動かすが思うように進めない。冷たさのせいもあるが川の流れのせいで思うように動けないのだ。


 このままだと追いつかれる。災厄溺れながら餌にされてしまうのではないかと脳裏によぎる。

「落ち着いてください。追ってきていませんよ」

 え、ラプエルの声を聞いてゆっくりと振り向く。


 川岸でじっとこちらを見ている牙角狼。追いかけようとするそぶりすらない。

 まさか泳げないのか?

 イヌ科は泳げるんじゃなかったのか?

 そんな疑問を覚えながら少し安堵あんどする。

 何はともあれ助かっ……。


「すみません。もう少し集中してもらえませんか? 水にぬれたら詰みます」

 ラプエルから怖ろしい発言が聞こえる。


「おまえ、完全防水じゃなかったか?」

「はい、私は完全防水ですが付属品は生活防水です。一定以上水に濡れると保証しかねません」

「なんで全て完全防水じゃないんだよ」

「予算の都合上です」

「……」

「私をぬらさないように丁寧に岸まで運んでください」

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