第46詩 『罪人たる追放された元盗賊は不幸の雫の一滴を舐め飲み心を狂おう 3小節目』

 クレイはなんのことかと、生死の境目を見ようと、バレーノの顔を視界に捉える。

 彼女の表情は晴れ晴れとはしておらず、かといって悲観もしていない。命を乞うような焦燥も畏怖も微塵もない……平常時の臆さないバレーノ・アルコその人だった。


 叫喚する気配すらないバレーノに、微かに苛立ちを覚えながら、クレイの右手にあるピストルを定め、平然とした顔色を汚す引き金を引く。

 重々とした発砲音が轟き、飛び散る硝煙が淡い吐息みたいに周囲を霞ませる。人の即死ポイントとなる脳天へのゼロ距離射出。いくら魔術や武術の心得のあるバレーノとはいえ、放たれてしまえば普通に回避することは不可能だ。


「これは……——」


 確実にバレーノを射殺出来る一発。なのにクレイには、過去の経験からの手応えがまるでない。

 それどころか、クレイの真下にはおでこに鉛玉を食らい、血を流して絶命し倒れているはずのバレーノがいない。代わりに横たわっていたのは、バレーノの手中から離れていたはずの、歪な七弦の弦楽器のみだった。


「——い、一体どういうことだ? あの吟遊詩人はどこに行った? あの距離で躱せるはずがない、まともに食らって生きているはずがない……なにが、何が起こった?」


 クレイはバレーノが忽然と消えたことに混乱して、手当たり次第に左右を見回し、真っ白いローブを来た吟遊詩人を探す。しかし【ウヴァ】の農園にも、周囲のグラスフィールドにも姿は無くて、【バルバ】街に帰還する方角にも居ない。


「何がどうなっている……あの吟遊詩人は楽器が無ければマナを生成出来ないはず……いや、ここに弦楽器が転がっているということは、こっそりと姿形を眩ませる魔術を使ったのか!? くそっ……あの距離で標的を逃すとは——」

『——ふぁぁ……まだ身体が鈍ってるわ』

「っ!? 誰だ!」


 すぐにクレイは声が聴こえた方へと直る。

 この殺伐とした雰囲気には似つかない、寝起きの独り言に反応して。

 だがクレイが身体を向けた方角には、バレーノも誰も居らず、あるのは農園外れに実った【ウヴァ】のみだ。


「誰も居ない? まさか目撃者が逃げたか……そいつもろともぶち殺さねぇと——」

『——簡単に人を殺そうとするんなよな……そのピストルはあたしが貰う』

「ん? な、な、誰……あっ、ああああえあっ!!」


 次にクレイが気付いたときには、ピストルを握っている右手を真横から堂々と掴まれていた。その人物が誰なのかと雁首を九十度回転させようとしたところで、件の右手が九十度の角度を超えるくらいあらぬ方向へと曲げられ、ピストルを落としてしまう。クレイの手首の骨が折れたか、脱臼したか、はたまた両方共か、両方共無事か、ただの勘違いか……とかくに得体の知れない敵意とは末恐ろしく、クレイはみっともなく振り解く。


「なんだ!? 誰だ!? 吟遊詩人か!? そうだなそうなんだろ! 急に掴みかかって来るんじゃ——」

『——あたしは、違う』

「……は?」


 クレイはその声の主と対面し、露出面積の極力無くした真っ白いフード付きローブを着用した、銀白色の髪の可愛らしい女性の否定に、絶句を禁じ得ない。

 クレイからしてみれば、それら各条件に当てはまる人物は、直近で脳天に銃弾をぶち込んだはずのバレーノをおいて他にいない。

 なのに女性はバレーノではないと言う。いや仮にバレーノだったとしても、彼女は今し方至近距離で即死級の銃弾を放ったばかりだ。生きているのなら、なんのトリックを、マジックを、ロジックを使ったのか、クレイは問い糺さなければならなかっただろう。

 どちらにしても厄介で複雑怪奇な現象。ましてやバレーノではないのなら、瓜二つのコーディネート、ヘアスタイルカラー、そしてルックス……もう何がなんだが、クレイにはさっぱりもって理解が追いつかない。


『とりあえず。なんだ? クレイとか言ったか? あんたのピストルを奪ったんだ。これであたしの役目は終わりだよな?』

「お、おい待て吟遊詩人っ。君は脳を撃ち抜かれたはずだ……どうやって避けた?」

『ああ? その質問をあたしにしても、どうしようもないだろ……はあ、よいしょっと——』


 そうクレイの質問を足蹴にしながら、吟遊詩人であることを否定した女性は、表現の通り横たわる歪な七弦の弦楽器を持ち上げる。


『——楽器なんて久々に手に取ったな……つか、どうやったらそんな体勢を保ってたんだよ。楽器が自然に横たわるなんか、確率として低いだろ、なぁ? おーい?』

「いやいや、何を言っているんだ君は? さっきまでそれを使って……いやこっちは使わせないようにしてただろ? 吟遊詩人」

『はぁ、だからさぁ……あたしは吟遊詩人じゃないってさっきから言っているだろ。言葉通じないのか、あんた』

「通じていないのは君の方だ。君は吟遊詩人……バレーノとか言ったか?」

『ん? ああ、なるほどそこからなのか。ずっと名前は呼ばれていたから、あんたにもバレているのかと思ってたわ——』


 慣れない手つきで特殊な弦楽器を構えながら、吟遊詩人であることを否定した女性は、クレイの所持していたピストルを踏み潰し、左手を胸に手を当て彼女は名乗る。


『——何度も呼ばれているからすぐに分かるだろうが、あたしはブリランテ。ブリランテ・アルコ……この月夜には、どうにも相応しい名前らしいぜ』

「な、ブリランテ……ブリランテだって? 馬鹿な……それはあの吟遊詩人が扱っていた弦楽器の名称じゃ——」

『——そして、これがあたしの楽器である……バレーノだ。まあ、ちっとも弾けはしないから、持て余すことしかしないけど』

「……はぁあ!?」


 説明を聴いてもなお意味不明だと、愛機のピストルを踏み付けにされていることにも気が付かず、射殺したはずのバレーノの存在も朧げに、クレイは素っ頓狂に叫ぶ。

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