第45詩 『罪人たる追放された元盗賊は不幸の雫の一滴を舐め飲み心を狂おう 2小節目』
三弦をダウンストロークし、続けて五弦をアップストロークとダウンストロークを繰り返し高速で鳴らす。それはクレイがバレーノに接近して行くまでの数秒で紡いだ、初歩的なメロディー。
複雑で混沌としたアレンジを組み合わせ、その旋律に呼応して貰えるほど、バレーノによるブリランテを用いた魔術は真骨頂を発揮する仕組みだ。ただし、そうすれば必然として時間を要する。速攻撃に転じたクレイに対抗するには、バレーノもアップテンポのリズムでかつ、ミスの確率の低い精巧なマナを編み出す短音をベースにした序曲となる。
「……ん? なんだ? 身体が……」
「マナによる効力を鈍化させるだけでも、効果はある……本当ならまた遮断させたかったけど、そんな時間を許しては、くれませんからねっ——」
バレーノが奏でた音色によって放出されたマナは、速筋を活性化させていたクレイのマナを相殺する……いや正しくは、マナの効果を薄めただけだ。
単純な魔術の攻防ならば、バレーノの方が低級で精度も劣る。しかしながら収穫ゼロで敗北するのではなく、クレイの魔術を弱体化させ、別角度からの攻撃を叩き込む……いつかウンベルトに放った、不意打ちの蹴りを。
「——っりゃああああああぁぁぁっ!!」
「……完全に無くなったわけじゃねぇ……なら、躱せるっ」
「あっ……そう簡単には、いかないか」
クレイのこめかみ付近目掛け、マナ鈍化の不意打ちで繰り出したバレーノの回し蹴りは、クレイが直前で強引に後退し空を切る。
タイミング的にあのまま突っ込んでいたら、マナが完全に亡失していたなら、回避行動には移すことが叶わず、余力を残したままバレーノが勝機を掴み取っていただろう。
「君、魔術だけじゃなくて武術もそれなりに身に付けているのか? 若そうな見た目の割に、修練を積み重ねているみたいだな」
「それはお互い様ですよね? わたしよりも高度化のマナに、いくらマナの効力が働いていたとしても、その反射運動は誤魔化せませんよ?」
「はっ……こっちは二十年以上前から孤児で、なし崩しで始めた窃盗をしていくうちに、殺し殺され掛けて身に付けた汚い技術……謂わば生存本能みたいなもんだ。君とはどうにも違うな。君のは……なんだか、誠実な蹴りだ。ストリート特有の、無駄な悪癖が無い」
「心得た武術に誠実さを感じるなんて、なんだか詩的ですね。貴方の人格はどうであれ、その感性は羨ましいです」
一定の距離を保った対峙。
双方会話を交わしながらも、牽制し合う。
そうしている間にも、限定された真夜中が黎明に向かって刻まれていく。
それは吟遊詩人にとって、ブリランテを鳴らすことで魔術のクオリティーを磨けるバレーノにとって、紛うことなき好機となる。
「……チャンスだよ、ブリランテ」
「ん……? あっ、そういうことかよっ!」
バレーノの思考を察知したクレイがすぐに、四肢にマナを展開しながらバレーノへと拳を振るう。
先ほどまでの均衡状態が嘘のように、ブリランテを用いた演奏を食い止めるように。
「おっと……そんなに焦って殴って来て、どうかしたんですか?」
「君のマナはその楽器を媒介して捻出される。ならばあの牽制のし合いは、こちらに大きな不利が働いてしまうだろ? つまり君にまともな演奏を、吟遊詩人の特性を野放しにするわけにはいかねぇ——」
バレーノにブリランテを弾かせる隙を与えないよう、クレイは矢継ぎ早の連撃を放つ。だが仕切りのない広大なフィールド、思い付きでの武術……バレーノが回避出来ないわけがない。クレイが織り成す悉くを躱す。だけどその分、ブリランテの演奏が滞る。
「——ちっ、いちいち避けてんじゃねえ。時間の無駄だ」
「はは……それで、いつまで、こんな、殴打を?」
「いいや。こっちも律儀に素手でやり合おうなんて平等さに欠落してるんでな……コイツを使わせて貰う」
「え……——」
このまま消耗戦になる気配を、ひしひしとバレーノが所感していた。だけど一歩退いたクレイが胸ポケットから擦り出した、窃盗団ならマストアイテムである、黒々とチャカつくピストルが視界に遮る。
「——はあ……ピストル。それは聴いてないな……」
「言ってないからな。言う義理立てもないっ!」
クレイはピストルを、バレーノに向け発砲する。なんの容赦もなく、殺人すらも厭わず、不都合な人種の人生を容易く強奪するように。
射出された弾丸は、バレーノの脳天を目掛ける。ほんの一秒にも満たないターゲットへの着弾ルートを想起する。
ブリランテの弦を弾かなければ、バレーノは魔術を扱えず、マナを捻出不可能で、武術に少し長けた手負いの若い女性に過ぎない。つまりピストルに対抗し得る技術が、彼女単体には乏しい。
「……くっ!?」
「おお!? 銃弾を間一髪で躱した……だと?」
「脳天に来るのは、分かってたので……それでも避けられるかどうかは、フィフティーフィフティーでしたけど……ぐがっ!?」
クレイの言う通り、間一髪で銃弾を回避して魅せたバレーノ。しかし反射的に双眸を閉ざしてしまった一瞬の隙を突かれ、クレイは初撃の反省を活かし、ブリランテではなくバレーノ本人の側腹部を蹴り追撃。
銃弾の回避運動で既にバランスを崩していたバレーノは、受け身すらままならず地面に突っ伏す。側腹部を蹴られた拍子にブリランテが両手から離れてしまい、瞬時にこのままではマズイと、すぐに立ち上がろうとしたところで……彼女の額に冷んやりとした鉱物の感触が撫で回される。それは弄ぶみたくバレーノの銀白の前髪を無造作に掻き分ける……絶命へと誘う、クレイのピストルが余裕綽々と。
「まあ、それを想定せずに動かない愚者はいないだろ? もしものための第二、第三の選択肢……銃撃を躱したのは見事だったが、チェックメイトだ、楽器を持たない吟遊詩人っ」
「……せめて、一曲だけ歌を唄わせて貰うことは——」
「——あはははっ、命乞いの間違いだろ。んまあ? どちらにせよ君の願いなんて聴き届けるつもりなんざサラサラねぇよ……」
「……そっか、貴方はわたしのお客さんには、ならないんだね」
「遺言はそれだけか? ならもういいか……じゃあな。まっさらなまま死ね、吟遊詩人」
一切の躊躇いもなく、クレイは引き金を引く。バレーノが着用している真っ白なローブが、髪の毛の一縷が、鮮血に染まる想像を夢見て。
「——……頼んだよ」
鉛玉を脳髄にぶち込まれようとする寸前、バレーノは鼻歌を奏でるわけでもなく、眠りにつくための子守唄でもなく、吟遊詩人の最期が差し迫っているにはらしからぬ、単調な懇願を口にする。
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