第44詩 『罪人たる追放された元盗賊は不幸の雫の一滴を舐め飲み心を狂おう』

 ついさっきまでの老人の容姿はどこへやら、悠々しくも精悍な身なりで、白髪のウィッグが外れ、オールバックの黒髪となる。

 着用していた衣服は変わらないのに、印象が寝巻きから普段着に移り変わり、猫背気味に曲がっていた腰も演出で背丈が変わり、見下げて話していたバレーノが顎を少し上げる。

 話し声からある程度バレーノも分かってはいたけれど、露見した素顔と対峙したとき、瞳孔が拡大してしまう。驚きはない、恐れもない。その変化を見届ける時間に、戦意の牙が削ぎ落とされないように。


「……こうまでしたっつーことは、君も分かっているな?」

「なんのことです?」

「とぼけてんじゃねぇよ。君を生かすつもりはない……大人しくしてれば、痛みを感じないうちに終わらせてやらんこともないが?」

「わたしを殺すと? 剰え黙って受け入れろと……それはないでしょう、普通」

「……勘弁してくれとは、争わないとは、言わないんだな」

「……最悪、こうなるかなとは、薄々思っていましたからね。はなからそのつもりがないのなら……わざわざ夜分、貴方に声を掛けたりはしませんよ」


 バレーノは背負っていたブリランテを繋いだ肩紐を外し、演奏時と同様に両手で握って構えてみせる。


「はぁあ……結果論にしかならねぇが、邪魔なヤツをこの街に導いちまったな。お陰で自適な余生が台無しだ」

「余生……ですか?」

「ああ。災禍に束縛された憐憫な街人の人間観察。生き残りを諸共ぶっ殺して街一個壊滅させても良いんだが、それじゃ瞬間的な快楽で終わってしまう。例えるなら備蓄のない絶品のワインを飲み干し、酔いが醒めたときの興醒めに似ている。面白くないどころか、酷く虚しい——」


 バレーノの眼前に居る相手はかぶりを振る。

 興醒めで、虚しいと言う割には表情は和かで、クレイジーに魅了されるように。


「——美味いワインなら是非ともリピートしたいものだろ? つまり供給が定期的に欲しいんだ。舌に転がしいるうちに、将来を惜しむ味はゴメンだからさ。そこで考えて、辿り着いたんだ……他人の不幸は至極の一滴だということにな」

「一滴……蜜の味と同じ意味合いかな?」

「ははっ、そうだとも……特にあの看板娘の酒乱っぷりは傑作だったなー……昔はあそこまで酒に溺れることはなかった。いや飲酒は好きそうだったが、節度を守ってはいた。だから日に日に酔って泣き言、喚き言をツラツラヅラヅラタラタラダラダラ……みっともねぇったらありゃしねえのよ? 他の奴らも振り回されて、くだらない規則を必死こいて守る……馬鹿な奴らの負の連鎖は、こっちの自己肯定感を底上げしてくれてる、一時の癒しになるんだよなぁ。【滅びの歌】? ははっ、悪くねぇ御伽噺だぁ……あはははははははははははっ」

「……っ」


 バレーノは反射的なセリフを飲み込んだ。

 それは罵詈雑言では収まらないくらい口汚い単語の集合体で、彼女自身と、貶されたジーナや【バルバ】の人たちの尊厳に、不要な泥を塗りそうだったからだ。

 ジーナを看板娘と呼んだことからも、相手が以前の【バルバ】の街を知っている人物。十年前の惨劇への関与までは不明なものの、以降の衰退を嘲笑したことには違いない。許容することなんて出来ない愚弄。


 されどバレーノは冷静であろうとした。

 正常な思考でないと、本業の演奏技術にも影響を及ぼすからだ。

 しかしバレーノは、バレーノが思っているよりもずっと、他人への、観客への感受性が高過ぎる歌い手である。


「おい……そいつはシャレにならねぇ顔だな。こっちが怖い怖いと、可愛い顔がもったいないと、戯けている場合じゃねぇくらい、ブチギレてんじゃねぇかよ」

「……怒ってない。笑えないんだよ——」


 バレーノはブリランテの弦に指を掛ける。

 そのまま威勢に身を任せた演奏をしようとして……彼女は思い留まる。それが誰かのためでもなく、バレーノ自身のためにもならない、劣悪な旋律になる予感がしたからだ。


「——……こんなのは良くない。ごめんブリランテ、わたしどうか——」

「——手を汚すのは怖いか? 吟遊詩人さんよぉっ!」

「え……なぁ!?」


 バレーノが本能に赴いた暴走を躊躇し、ブリランテにごめんと伝えた刹那。眼前に居たはずの相手の足元からマナが放出されていると気付いたときには時既に遅く、呆けていた隙を突かれ、バレーノはブリランテごと後方へと蹴り飛ばされる。


「油断してんじゃねぇよ。生かさねぇって言ったはずだぜ?」

「……マナ強化。媒介も無く、あんなに速く……いや……困ったな——」


 なんとか先制攻撃を予見出来たことと、ブリランテが防壁になってくれたおかげでバレーノ自身へのダメージはそこまで無かった。だがそれでも【ウヴァ】の農園まで飛ばされ、マナ構築の迅速さ、武術の組み合わせから……相手の魔力、武力のトータルの力量がバレーノと互角かそれ以上だと直感する。


「——ふー……守ってくれてありがとう、ブリランテ。でもちょっとこれは……この腕だと、厄介な相手かも」

「そういや……君にだけ名乗らせて、こちらは何も教えていなかったな——」


 バレーノは尻もちを付き続けている場合じゃないとすぐにブリランテを持って立ち上がる。そんなタイミングを見計らったように、対峙する長老のフリをしていた相手が適当な名を明かす。


「——そうだな……ポール、とでも名乗っておこうか?」

「……悪趣味ですね。嘘でもなんでも、自身の名を明かすときくらい、疑問形ではなく、堂々と名乗れば良いじゃないですか?」

「ふっ……良いだろう。ポールなんて間抜けた名前で轟くのも癪だからな……ポールでも、クーレでもなく……クレイ。それが君を殺す名前だ、吟遊詩人」


 その名前に、バレーノは見覚えがあった。

【滅びの歌】について調べていたとき、スクラップボードに貼られていた一枚に、同様の名を冠した記事が存在していたからだ。


「クレイ……物滅びのクレイか」

「おお? 随分と懐かしい呼び名だな。王都を追放されてからは、すっかりご無沙汰な異名だ……どこで聴いた?」

「聴いたというよりは見たんですよ……王都をちょっと困らせただけの盗人だとね」

「……そうか。君はその、王都をちょっと困らせただけの小物に、今から殺されるんだぜっ!?」


 そう叫びながら、相手ことクレイはバレーノに向けて追撃しようと突っ込んで行く。ここでバレーノは再度ブリランテを構え、真っ向から応戦するつもりで弦を弾く。

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