第41詩 『静寂たる街外での邂逅は幾つかの異変をさらりと言い変わり現す』

 抒情じょじょうてきなノットゥルノの旋律が良く合いそうな真夜。曰く付きの宿屋から散歩でもするかのように外出したバレーノは、背負ったブリランテと一緒に【バルバ】の街並みを、彼女自身の溢れたマナを追いかけつつ、足音を抑え気味にして歩く。

 昼夜の街の変化は、旅人が新たな街に到着したときのような、新鮮な景色に似ている。そこが全く同じ建物の配置、いつも通りの一本道や脇道だったとしても、人々の往来の侘しさや月明かりが色気立つ夜空になっただけなのに、別世界にいざなわれた気分を味わえる。


「夜の街って、なんでこう、幻想的に感じるんだろうねブリランテ……まあ今日のことに関してなら、めでたいことに音楽が悪いモノ扱いされなくなりそうで良かったっていう、わたしの安心感も相乗してるかもだけどね……ははははは」


 吟遊詩人であり、からりと透き通るバレーノの笑い声は、どうしても静寂を重んじる深夜にはよくよく響く。それが分かっていたのか、誰も観衆がいないからとセーブしていたのか、いずれにせよ背負っているブリランテにまでしか届きそうにない、口元を押さえた謙虚な笑い方になる。


「これからどうしようかな……せっかく音楽を取り戻そうと努力し始めた【バルバ】の街をすぐに離れるのはちょっとねぇ……どうせなら賑やかしくて、騒々しい姿を見守りたくはあるもんね。あと、名産品の【ウヴァ】のワインを嗜みたいかな……酒枯れで声を潰したくないから基本あんまり飲まないんだけど、この街が誇る飲み物なら、気になるからね」


 そんな呟きを零しながら、バレーノは【ウヴァ】の農園がある街外まで向かう。そこまで赴いたのは、音楽が罪に問われなくなったことを言い訳に、宿屋で歓喜の調律を行っていたところ、ブリランテから流れ出た小粒サイズのマナがふんわりふわりと、その農園で小さく鳴る鼻歌まで浮遊していたからだ。

 ちなみに調律時に鳴らしたリズムはというと、別の音色に反応するように追尾するマナを生成するもの……つまりここにも、まだ【バルバ】の街で音楽が解禁されつつあると知ってか知らずかの、隠れた旋律が奏でられていた。


「あっ、こんにちは……いえこの時間ならこんばんは? おはようございます? とにかく、こんな夜遅くに奇遇ですね」

「……っ」

「ハミングですか? この街は音楽が禁止となっていると分かっていても、やっぱりリズムって刻みたくなりますよねー。分かります、分かりますよその気持ち」

「……っ」


 物腰柔らかにバレーノが挨拶を交わすものの、声を掛けた相手からの返答はない。返答がないどころか、どうしてこんなところに来たんだと驚愕して反論出来ないと表現した方が適切かもしれない。


「もしかしてお邪魔でしたかね? そうですね、わたしも誰も人がいないと思って口遊んでたら、家族がすぐそばに居まして、ビックリと恥ずかしさが入り乱れたような、なんとも形容し難い負い目を感じたものですよ。今ではもう、堂々としてますけどねー」

「……いや——」


 そこでようやく、バレーノが話し掛けた相手が声を発する。バレーノも初めて聴いた声だ。見た目に反してしっかりとした肺活量を賄えた重低音のボイスで、先ほど聴いた鼻歌とも近しい音域で、両方が同一の声帯をくぐって来たんだなと、バレーノの音感がそう判断する。


 しかし、その人物の顔は知っている。

 ギルドの中で眠っていて、最初に【バルバ】の街への連行を受け入れた理由である、謝らなければならない相手でもあったからだ。


「——どうしてここに?」

「どうしてじゃないですよ、長老さん。貴方こそこんなところでなにをしているんですか? 【バルバ】の街の人なら禁止になっているはずの……鼻歌なんて奏でながら」

「気のせいじゃ、ないか?」

「いいえ。わたしはこれでも吟遊詩人。歌唱や演奏だけじゃなくて、耳も良い方なんですよ。なんで間違いや気のせいということはないですね……貴方の体裁と、声年齢が著しく乖離している声色をお待ちで、他に人も居ないみたいだし、確定で良いと思いますよ」


 バレーノが声を掛けたのは、【バルバ】の街に住む長老と呼ばれていた人。背丈はバレーノよりも低く、痩せ細っていて、側頭にのみ生えている、バレーノに比べ煌びやかさに欠如した白髪に、加齢により垂れ下がる細々とした双眸。服装はオールシーズンの着用に適した上下黒緑色のスウェットに真っ白のベストを着る。夜風にも悠々と対応出来そうな格好だ。


「……そっちこそ、そんな楽器を持ち歩いて外に出ていたら、あのジーナとかいう看板娘に壊されてしまうんじゃないか?」

「あー……あとまだ一部の人しか知らないんでしたね。夕方頃にジーナさんと話しましてね、音楽を罪にせず、ちょっとずつ受け入れて行こうってなったんですよ。なのでわたしのブリランテも、貴方のハミングも、何も問題はありません」

「なんだと? いつの間に……」

「はい、いつの間にですね……あとちょっと気になったのですが、貴方はこの【バルバ】の街の長老ですよね? その割にはジーナさんのことを、随分と他人行儀に呼ぶんですね? しかもギルド長ではなく、十年前の看板娘の方を使うなんて……ううん、遠回しは良くないですね……貴方はジーナさんやウンベルトさんが言う長老ではありませんよね? 一体、何者ですか?」


 バレーノは真剣そのものの眼で、お前は誰だと突き付けてみせた。

 その長老とされた人物は、何を言っているんだと嘲笑うように、スムーズに口角がニヒルにも吊り上がっていく。

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