第34詩 『回顧たる魔術の手作り木板は過去の記事を映し出し盗み失い想い遺す 3小節目』
しかしいつまでもクヨクヨするのは逆効果だと、その苦悩に感情移入しても気休めにしかならないと、バレーノは自身の頬っぺたを指先でこねくり回し、歌を唄い出す前の緊張を解すように口周りの筋肉を弛緩させる。
当然今からバレーノが歌を唄おうとしているわけじゃないけれど、リフレッシュの方法を吟遊詩人なりの応用を効かせて解決を試みた。緊張は歌唱にとって最大の難敵で、心因的ストレスにより呼吸のバランスがおかしくなったり、声帯が巧く開かなくなったり、思ったより口が動かなかったりする。これを好不調の波と割り切るのか、意識的にコントロールするのか、歌い手としてのプロフェッショナルが測られる。
とかくにバレーノは、【滅びの歌】に関するスクラップ記事を物色する。そうして一つ、直近と思われる内容の紙面を発見し、意図せず言葉にしながら目を通す。
この【バルバ】の街に、再び彼女が大好きな音楽を認知して貰い、甦らせる手掛かりを探すために。
「これは、後の記事かな……〔ワインレッドに愛された【バルバ】の街にて発生した未曾有の大災害から一週間が経過した。建造物は軒並み倒壊し、名産品の【ウヴァ】を使ったワインも全滅、そして既に総人口の八割強の死者が確認されている。このような記事を書いている場合ではない状況は承知で、依然として余談を許さないまま。だが、なんとか生存した同郷たち、未来ある子どもたち、関心を持ってくれた救世主の方々に向け、是が非でも筆を取ろうと思う——〕」
その日付は、未曾有の大災害こと【滅びの歌】から二週間後に発行された、【バルバ】とその他の隣街に向けた号外新聞の抜粋。当時の街並みの写真も併載されていて、フレームに収まっている建物のほとんどが地滑りでも起こしたかのように、天井から踏み付けにされたように不自然な倒壊の仕方で、大規模な火災もあったのか真っ黒焦げな木片と化す。付近には、元々そこに人が無惨にも倒れていたと思しき血痕か、醸造途中のワインの残骸か、地面に染み付いた赤色が辛うじて映されている。この辺りはどっちつかずな自主規制が為されたらしい。
バレーノの第一印象は、こんな現場で生存者が居るなんて奇跡にも等しい。そう直感するくらいに当時の【バルバ】の街は、街の在り方を成していない被災地だった。ジーナさんとお腹の中でまるまっていたであろうピーロが二人して生きていたのは本当に僥倖だ。記事で同郷の生存を祈った筆者さんも、この街のどこかで報われたのかなとバレーノは続きを読む。
「〔——未だに信じ難い現実だ。全てが悪い夢で、次に目醒めれば家族水入らずで、盛大に家内と祝杯をかち鳴らしているんじゃないかと、今にも崩れそうな天井を眺めながら、全身の損傷の痛みに引き戻される日々。個人的な話にはなってしまうが、聴いた話によると既に両親の死亡が確認され、子どもの頃に飴玉をくれた先人たちも大勢亡くなり、同志とも言い合える友人も失ってしまった。なのに一筋の涙も流れではくれない。薄情なことに、一人一人の死があまりにも呆気なさ過ぎて、悲しみが表面化する余裕すらなかったからだ。そんな顔をしてたら、自らもそちらに逝きたくなってしまいそうだったから。どうかこんな情け無い人間を、皆で責め立ててくれ。その方がよっぽど生きた心地がするだろう——〕」
感情が麻痺するほどの天災。
文面からも伝わる轟々とした悲鳴。
仰向けになったままの、四肢の疼き。
そんな中で、バレーノは胸の内で反論する。
あなたは決して薄情ではないと、情け無くなんてないと。責め立てられるような行いは、何一つしていないと。
「〔——そうだ。これは主観ではあるが、【バルバ】の街の災害について語らせて貰おう。今後十年、百年経っても起こり得ないかもしれないくらいの大災害の体験談だ、みんな心して聴いて欲しい。当日の【バルバ】の街はいつも通りの平日の賑わいを見せていて、一層精進することを決めたライターとして、何か【バルバ】の街のためになりそうな題材はないかと取材に奔走していた。この日の変わったところといえば、すっかりと立派に育ったウンベルトたち傭兵が王都の派遣により遠征に馳せ参じたことと、やや強風だったことだろうか。どちらにせよ、そこまでおかしな変化ではなかったと記憶している——〕」
筆者は本業もライターであると分かる。
しかもスキャンダルを追うような足元を掬うタイプじゃなくて、【バルバ】の街に寄り添うタイプのライターだ。
ウンベルトの名前が挙げられたけど、彼の証言とも合致する内容だとバレーノは更に続きを読み進めて行く。
「〔——そんなこんなで時間が過ぎ去った……災害の始まりは鮮烈だった。突如として今まで体感したことのない耳鳴りに襲われ、仕事に必須の、数々の思い出を撮った大切なカメラを投げ落としてでも、耳を塞がなければならないと自己防衛が働いた。あんなのは、初めてだ。実際には異なるだろうが、一説にある【滅びの歌】とやらが実在するのなら、あんな音なんじゃないかと感じてしまうくらいの、つんざく不快さだった。それから、似たように耳を塞ごうとした長老や友人は無事かと歩き出そうとしたところで切れる。これが最後の記憶だ……その後に気付いたのは、宿で代用した病床。どうやら気を失ってしまっていたらしい。これだけの怪我をしても意識を戻さないなんて……いや、これは記す必要はない。とにかく体験していない者には、どうしても言葉や文章では共感し難いとは思うが、いつかその原因が究明出来る足掛かりになってくれることを祈るばかりだ……頼んだよ〕」
思いの丈を誰かに託すような文言で、この筆者の記事は締められる。そして不自然な空白を挟んで、更に注釈の文字が記される。バレーノはちゃんと、因果は無いかもしれないけどそこまで目を通す。
「〔上記の記事を残した酒屋にあるスクラップボードのライター、名をポールは……その二日後に息を引き取った。身体を動かすことも不可能な怪我を負ってでも、なんとか口頭だけでもと当時の惨状を語り、【バルバ】の街の未来を案じた彼のライター精神に最上級の敬意を表したい。そして俺から、彼に報告もある。ジーナは無事だったぞ。お腹の子も大丈夫なんだそうだ。彼女はこの後、災害に巻き込まれた身体で、ポールさんを失った喪失感に駆られたままの不安定な状態で、また一世一代の戦いに挑むだろう。だが俺は何度も負かされた経験から、また【バルバ】の街に戻って来ると信じている。だからポールさん、なんとか支えになってやってくれ。 ウンベルト〕」
ウンベルトによる加筆で、このスクラップのバレーノの未読は無くなる。ポール……スクラップボードのライターで、ギルド長のジーナのフィアンセで、ピーロの父親である男性の、最後の記事を。
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