第16詩 『隆々たる痩せぎすの武闘派付き人は家族と街人を護るために迷い悩み愛を注ぐ 15小節目』

 バレーノは長尺で話し過ぎたかなと、布団の上で楽な姿勢に崩しながら、ブリランテを撫でつつウンベルトをおもんぱかる。

 そのウンベルトは周辺の地面の匂いを嗅ぐドッグを見つめ、結果的に彼の愛娘と愛妻に危害を加えた猟獣を、責めるにも責め立てられない複雑な表情に顔面が歪む。


「お前が言いたいのは、ドッグはただ【バルバ】の街の規則を守るための役割を果たしただけに過ぎない……ってことか」

「そうなりますね。例えばそれは、わたしの演奏を必死で止めようとしたウンベルトさんにも通ずるものがある気がします。ルールに遵守するのは悪くないことだと思うけど、時には杓子定規に当て嵌めず、融通を効かせて欲しいものですよ」

「それとこれとは別問題だ……とはいえ、そうか……昨日この街に来た娘の泣き声を、余所者の歌声だと間違える……か。確かにどちらもドッグへの調教の範囲外だな。そりゃドッグからしてみれば俺の娘だなんて分からないし、赤子だからって容赦するヤツじゃない。そして泣き声を歌と判断されるのは、んん……ほとんど一定の間隔で強弱を繰り返す音と鑑みれば、誤認してもおかしくはないのか」

「うん。赤ちゃんの泣き声って、曖昧な意中をわたしたちに胸いっぱい伝えてくれる声ですからね。思わず感情移入してしまう周期的な声……捉え方によってはそれは、純粋無垢な歌にも該当するんだと、わたしは一人の歌い手としても、そう考えます」


 バレーノがそう伝えると、しばらく粛々とした時間が流れて行く。やがて胡座をかいていたウンベルトが立ち上がり、そんな静寂を破ると、相変わらず玄関付近で見回りをしていたドッグに近付き、目線が合うようにしゃがむとすぐにドッグの毛並みに沿って摩る。


 そのワンシーンはお互いに大人びた慈しみを帯びていて、どちらとも【バルバ】の街の住民と認め合い、撫で、撫でられ、人間と猟獣という異種族の関係を超越した仲を、バレーノに憚らず深める。


「今度……ドッグにちゃんと紹介しておかないとな、俺の生まれたばかりの娘のこと。まあ、次俺に黙って噛み付いたら絶対に許さねぇが」

「ふふ、はいっ。その子はとても優秀な猟獣で、【バルバ】の街の用心棒ですからね。しっかりと教え込めば大丈夫なはずですっ」


 ウンベルトにしてみれば、彼自身の娘が命の危機に晒されたかもしれない憤りも少しばかりあったことだろう。でもおおよその理由が分かって、双方に誤認があって、ドッグが単純に責務を全うしたに過ぎないと知り、娘のオルタシアが無事な今、本質的には【バルバ】の街のために全身全霊勤める者同士である一人と一匹に相違なくて、自然と憤慨は鎮静化していた。


「そうと分かれば、あとでギルドまで呼びに行くかな。もしものことがあれば、俺が遠慮なく止めに入ればいい」

「うんうんっ。ウンベルトさん強いですからね……あっ、そうだそうだ。ウンベルトさんに渡して置かないとだねー」

「ん……俺にか?」


 バレーノは両手を叩き、その両手でブリランテを抱き掲げ上げると同時に布団から出ると、粛然とした素振りでウンベルトとドッグに近寄り、そっと差し出す。


「忘れたんですか? ウンベルトさんの娘さんに逢う交換条件で、ブリランテを渡すと約束したでしょ?」

「あ……ああ、そうだったな。女房も娘のことがあって、お前に不意をつかれて蹴り飛ばされて失神したりで、危うく本当に忘れるところだった」

「はは……それはごめんなさい。わたしの治癒術には演奏を伴うものなので、ウンベルトさんに制止されるわけにはいかなくて……まともな近接戦だと勝ち目がなくて、やむなく——」

「——の割にはかなり手荒だったがな。いや、脚荒と言うべきか? 俺を蹴り飛ばしたことや、【バルバ】の罪どうこうを考慮しないのなら、素晴らしい武術を身に付けている。そこだけは評価してやらんこともない」

「ウンベルトさんほどの武芸者にそう言ってもらえるのは光栄ですっ。さあさあ、約束ですからね……ブリランテをよろしくお願いします」


 改めてバレーノは、ブリランテをウンベルトに差し出す。

 約束したことは、ちゃんと守ると。


「……お前がそう言うなら、受け取らせてもらうか」

「ええ」


 ブリランテがバレーノの手元からウンベルトに移る。

 歪な七弦の弦楽器は、彼女の意向に従うと沈黙を貫く。


「俺が気絶してる間にも、これで勝手に演奏でもしたんだろ? 意識さえあれば現行犯で押さえ付けて、縄で縛ってギルド長に再度突き出してやるところだったのにな」

「あははっ。手加減してくれてあの強さなのに、それはほんとシャレになりませんよー」

「そりゃそうだ……冗談じゃないからな」

「おおっと、怖い怖い……わたしとしてもやり過ぎた自覚はあったんだけど、結果的に正解だった……かな?」


 うんともすんとも鳴らないブリランテをちょっと惜しむように、バレーノは別話題で心を紛らわす。

 対してウンベルトは、手渡されたブリランテのボディーやネックを適当に眺め、頬杖をつくようにつまらなそうな顔色をして嘆息を吐いたのち……そのままブリランテをバレーノに突き返した。


「はぁ……ん」

「ん、え? え!? なんですかなんですか!?」

「要らないから、お前に返す。俺は楽器なんか弾けんし、家に置いても邪魔になるだけだ。この街じゃこんなもの持って彷徨くだけでも信用を失う。ソイツを壊して宿屋やギルドの補修に充てるにしても木材が少な過ぎる……そもそも壊す気にもならん」

「いや——」

「——あと、ここまで丁寧に使い込んだ形跡のあるもんを、持ち主から奪い取る方が悪趣味だ……ほらよ。娘に逢って、楽器も俺のモノになったんだ。その後をどうするかも、俺の勝手だ……お前の好きにしろ」


 ウンベルトから突き出されたブリランテを、バレーノは仰々しい反応をしたまま、おそるおそる受け取る。いや、受け取らないとウンベルトがその辺に落っことしそうな煩雑さを感じ、バレーノがブリランテを支えにいったと表現した方が正しいだろう。


「どうして?」

「どうして……というと?」

「ブリランテを壊すことを望んでいたギルド長のジーナさんに、渡せば良かったじゃないですか。仕えているウンベルトさんにも、箔が付くでしょ?」

「あー……そう言われたらそうだな。いやこれは失念していたー。でも今更取り返そうにも厄介な相手だしよー、面倒だからいい」

「面倒って……めちゃくちゃ棒読み……わたし、ブリランテで演奏までしてたんですけど?」

「はぁ……一度しか言わんからよく聴け。俺はこの街でお前が演奏した記憶が、どうにも一緒に飛んでるらしい。ただ女房や娘に治癒を施してくれたことは評価している。だから、弾き方も分からん楽器を返すくらい、別にわけねぇさ……全てが終わってから【バルバ】を出て、恋しき吟遊詩人にでも、なんにでもなればいいさ」


 そう述べるとウンベルトはドッグを抱え、もうバレーノには追求しないと、そのままギルドの方へと歩んで行く。

 バレーノはウンベルトの言葉と共にブリランテを胸元に抱き寄せ、誰にも見られていないところで、おかえりと笑顔で頷いた。

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