第15詩 『隆々たる痩せぎすの武闘派付き人は家族と街人を護るために迷い悩み愛を注ぐ 14小節目』
バレーノによる一鳴らしで発生させた僅かなマナのドーピングは、演奏中にはもう効果が切れていた。治癒術を自らに掛けることを後回しにして、猟獣のドッグに噛み付かれたままでもあったため、比喩的に毒と称した薬品が身体中を巡るには余りある時間だ。
つまり彼女かこうして気を失って倒れてしまうのは自明の理でしかなくて、しばらくの休息の
「………………っ」
睡眠が浅くなり、次にうつらうつらとし出したバレーノの聴覚に届いた音色は、どうしたらいいかと迷い、喉を震わせた咳払いのように感じた。前後関係が朧げになっていたせいか、純粋に誰なんだろうなんて疑問に導かれて、バレーノはゆったりと双眸を開き、知らない天井の枠組みを仰ぐ。
「ん……んんっ……ん?」
「……起きたか。ここがどこか、分かるか?」
「ん〜……弦楽器の世界?」
「何を言っているんだお前は。俺の家だ、俺の家。蹴り飛ばしたこと、忘れたとは言わせねぇぞ」
「蹴り飛ばした? ……ああ〜そんなこと、あったような、なかったような……そうだっ、娘さんと奥様は? 元気? 治癒が効いたのかな?」
仰向けになっていたバレーノが、重々しい身体を奮い立たせながら起き上がり、近くで右頬を摩りながら胡座をかいていたウンベルトと同じくらいの目線になって訊ねる。
手触りからいつの間にか布団の上に寝かされていたと判り、バレーノと同衾するようにブリランテがウンベルトとの間に挟まれて寝そべる。少々雑な置かれ方だ。
そこはバレーノの記憶が正しければ、エルナとオルタシアが並んで休息していた場所。なのに左右を見回しても、どこにもその二人が居ない。
「ここには居ない。俺がお前のお守りをしてるんだ。それで察しが付かないか?」
「まさか……体調が悪化して——」
「——バカか。そうだとしたら、俺がお前と一緒に居てやる義理がないだろ。迷わず家族を優先するに決まってる……二人とも何事もなかったかのように起きて、すぐにドッグから距離を空けるためにギルドに一時避難してる。後日、隣街の病院に検査をすることになるだろうが、今のところは問題ない」
「……そうですか、それは良かったっ。わたしの治癒術が逆効果になっちゃったのかなとヒヤヒヤしましたよ」
「そんなことになったら、お前がヒヤヒヤする暇もなく叩き潰す」
「えっ!? あはは……それはシャレにならないですよー、ウンベルトさんのあの強さだと」
「俺を倒したやつが、何を言っているんだ」
「ははは……まあ、油断して手を差し伸ばしてくれたところを蹴っただけですから。まともにやり合ってたら無理です、私では敵いませんよ」
安堵したように、紛らわすために戯けたように、バレーノは二人の無事に微笑む。
対して。その表情には同感だと頷きつつも、ウンベルトは湿布を貼り付けた右耳下腺辺りを押さえて不服そうに視線を逸らす。
「なあ……お前は何か知っているんだろ?」
「知っている? なにを?」
「ドッグがオルタシア……娘に噛み付いた理由だ。お前の行動的に、事前に分かっていながら、俺の家に来たいと言ったんじゃないか?」
「……そうですね。前置きすると、これは寧ろ吟遊詩人で余所者のわたしだからこそ抱いた違和感といったところですかね? だから親でも、ウンベルトさんがすぐに勘付けなくても仕方がないと思います——」
その猟獣のドッグは、ウンベルト家の玄関外で門番代わりにウロウロと彷徨いている。
まるで後ろめたいことがあるかのように。
「——変だと気付いたのは、ドッグという【バルバ】の街の規則を把握している優秀な猟獣だってことです。この規則には見知らぬ誰か、罪となる音楽を鳴らしたモノに厳格です……実際にさっき、わたしもそれで右腕を噛み付かれましたから——」
バレーノの右腕は、無理やりたくし上げられたローブの袖が触れないように、何重にも巻かれた包帯が傷口を塞いでいる。既に止血がなされていて、薬品による神経の痺れの効能も切れていて、腕の可動域が固定されている方が煩わしく感じるくらいには平気だ。痣に触れたときのような若干の疼痛は残るけれど。
それでもバレーノはちゃんと、ウンベルトの娘であるオルタシアが悪いわけじゃなく、ドッグが全面的に非があるわけじゃないと、伝える義務を果たす。
「——じゃあなんで、規則を破った状況を悟って吠えたドッグは、ウンベルトさんたちよりも先に、わたしの元に来なかったのでしようか? というかそもそも、わたしのところまで来る気配すらありませんでしたよね? ウンベルトさんもおかしいと思いませんか?」
「……思い返してみれば、確かに。というより、なんでドッグが俺の家に居たのかも不思議だ」
「そこです、そこもおかしいですよね。じゃあそれらを踏まえてウンベルトさんに訊きます。ドッグが吠える前、ウンベルトさんの身の回りには何が起きていましたか?」
「何が……長老が転んだことと、娘が泣き出したこと……くらいか? それが——」
「——わたしが記憶した限りだと、順番はドッグが吠えるよりも、娘さんが泣くのが先だったはずです。こうなれば一つ、わたしのところにドッグが来なかった仮説が浮かび上がるんです」
「仮説?」
疑問符を投げ掛けるウンベルト。
すぐに首肯したバレーノが答える。
「はい。ドッグが規則破りだと吠えたのは、わたしの演奏に対してじゃなくて、別の要因に音楽があったのではないかという説です」
「別……別なんてどこに——」
「——娘さんが、泣いていましたよね?」
「まさか! いやあり得ない。だって娘はこの街の人間なのに——」
「——いいえ、それこそがウンベルトさんの盲点です。時系列を話すと、昨日までこの街に足を踏み入れていない……余所者扱いされていた娘さんが泣き、それをドッグが規則破りの音楽が響いたと勘違いしたのではないかと、わたしは予想しています。これなら吠えた理由も、噛まれた原因も、わたしの元へ来なかったことも、全て説明出来ますよね……簡単に言うと、ドッグが吠えたのはわたしではなく泣いた娘さん。ウンベルトさんもわたしの演奏が聴こえたわけじゃないので、おそらくは同じようにドッグにも聴こえていなかったんじゃないかな……つまりは、わたしがややこしいことをしたってことですね」
これはドッグが優秀が故の勘違いと、【バルバ】の街の人という先入観が生み出した事案。一番客観視出来るバレーノだからこそ、真相に限りなく辿り着く。
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