第9詩 『隆々たる痩せぎすの武闘派付き人は家族と街人を護るために迷い悩み愛を注ぐ 8小節目』
その後。彼の沈黙に倣って、バレーノは事前に言われた通り真ん中の部屋を選んで入室する。大荷物をベッドに置き、中から取り出した腰に巻くポーチをベルトの真上に装着する。そうして弦楽器のブリランテを背に、ストラップを胸元でクロスさせるような結び目で両肩に掛ける。これが彼女の携帯装備だ。
準備作業の間にウンベルトの娘や、どんな生き物なのかも知らない猟獣、ジーナの言う【滅びの歌】の真意にピーロの反抗などなど……【バルバ】の街にやって来てから回顧すべき事象が山積みで、吟遊詩人としての活動が禁じられている致命的な現状が若干薄れている。バレーノ自身も不思議でしかなくて、関係もそこまで深くないのに、同情も含めてどうにも受け入れてしまっている。
「いやいや、わたしがしょげないしょげないっ。確かに良くないことが立て続けに起こっているけど、わたしまで感化されて落ち込まないよっ。吟遊詩人たるもの、聴き手のささやかな支えにもならないとなんだから……だよね、ブリランテ。もうちょっと待っててね」
そう弦楽器のブリランテに触れた後、両頬を軽く叩いてバレーノは気合いを入れ直す。そこでハッと、この行為がパーカッションやらクラップやら云々と、ウンベルトに聴かれていたら音楽に該当するだなんだと激怒されそうだと部屋の扉を一瞥する。でもどうやら部屋の向こうからも、遠く離れた窓口に居るウンベルトの耳には届いていなかったようで、人知れず安堵の息を吐く。
「……流石に聴こえないよね。でも、平坦気味な土地でわたしの演奏が聴こえてた人が居るんだよね。あのときって【バルバ】の街からかなり離れていたし、もしかしたらウンベルトさんが、かなりの聴力がある方なのかなと思ってたけど、この感じは違うみたい——」
バレーノは当時を改めて振り返ってみる。
経緯にちょっとした違和感があったからだ。
「——そのウンベルトさんがわたしのところまで来たのは、御老人をギルドに介抱した後か……おそらく娘さんは奥さんに任せていたんだろうけど……それを後悔してる感じだったな……お父さんって、距離感が難しいんだね。それでギルド長のジーナさんの躾けがなってる猟獣が吠えたことで、規則違反をしてる人物がいると思って、仕えてた男性四人で探し回ったら、わたしを発見して連行したってところかな? んーとすると、どの辺でわたしの演奏や歌声が響いていたんだろう? あとで調べておかないとだ」
このまま部屋に閉じこもるつもりも毛頭なく、バレーノは先ほど準備していた必要最低限の装備を携え、宿屋の部屋からウンベルトが腕を組んで屹立する、形骸化した窓口へと移動した。
「……未だ楽器を背負うとはなんのつもりだ?」
「なにを言っているんですか。わたしはさすらいの吟遊詩人、ブリランテとは常に一緒に居ないと——」
「——お前、そんなだと本当にその楽器をギルド長の命令で破壊されるぞ? 罰則はあるだろうが、せめて大人しくしていれば【バルバ】の街から永久追放くらいで済むはずだからな。あんまり余計なことを増やさないでくれ。俺の手間にもなるんだ」
「そうはさせませんよ。わたしもブリランテにもしものことがあるようなら、全力で抵抗するつもりなのでね……相手が用心棒役らしきウンベルトさんでも、容赦はしません」
バレーノとしては基本的に誰かと本気で敵対するつもりは無いけど、もしもブリランテに危害が及ぶようなことがあれば、ウンベルトであろうとジーナであろうと……ましてや【滅びの歌】なんて一般的には幻想歌に過ぎない超常現象ですら許しはしない。
「まあいい、何もせず持ち運ぶなら自己責任だ。俺はもう知らん」
「当然です……あとここに戻る前に考えてたことがあるんですけど、ウンベルトさんはどのタイミングで、わたしの歌やブリランテの音色が聴こえていたんですか?」
「あ? そんなこと俺に聴いてもなんにもならんだろ」
「ただの疑問です。それにもし音色が聴こえていたなら、参考に感想でも訊ねたいなと——」
バレーノが笑みを見せてウンベルトに歩み寄ろうとするが、とうのウンベルトはめんどくさそうに、更に距離を取り、食い気味にかぶりを振る。
「——ちゃんと聴いてはいない。あと俺は、猟獣が吠えていて、誰かが歌ってんのか、演奏してんのか、揉め事を起こしたのかって判断しただけだからな。ちなみにお前を最初に見つけたのは長老をギルドに届けた後……お前を取り囲んだうちの一人であるクーレから聴いた……猟獣の吠えた方角を参考に探し回ったんだそうだ」
「へークーレさん……いやそれよりも、猟獣が吠えたら誰かが歌っているという部分が、わたしよくわからないんですけど?」
「ん? ああ、猟獣……ドッグって言うんだが、ドッグは長年に渡ってジーナたちの教育を受けたせいが、音楽に反応して吠えるドッグなんだよ。それでいて街の人間には噛み付いたりはしないから、追って俺たち付き人が忠告をするといった流れだ。しかし余所者なら慈悲はなく噛み付く……その点を加味すれば、お前は本当に運が良いな。ドッグに噛まれず、俺たちが先に発見したから、神経麻痺系の軽い毒にも侵されていない、良かったな色々と」
皮肉混じりにウンベルトがバレーノの無事を讃える。
幾つかの僥倖のおかげで、ローブが汚れた程度で済んでいると。
「確かに……ん? 毒?」
「ああ……もちろん一般人なら致死量に達しない、しばらく身体の痺れが取れなくなる程度に調節された毒だ。ちなみにドッグには全く害はない。猟獣には体内の分泌液の関係で効かないからな」
「うわぁ……死なないからって、そんなの危なっかしいよ」
「だから良かったなと言ってんだよ……それで経緯としては、娘が泣き出した少し後にドッグが吠え、それで誰かが禁則事項に触れたんだなと俺は悟ったが、驚いて転んだ長老の介抱を優先しギルドに立ち寄ってから、遅れて四人で忠告のため、【バルバ】の街内外をクーレの証言を頼りに探し回り、お前を発見し連行したってわけだ。これで満足か?」
ウンベルトは不服な要素は解消されたかとバレーノに視線を向ける。そのバレーノは首肯する素振りをしたが、やはり違和感が拭えなくて、すぐに首を傾げる。
それがなんなのかと、ブリランテに触れながら思考を巡らせる。何か見落としてはならない状況がある気がしたからだ。
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