第10詩 『隆々たる痩せぎすの武闘派付き人は家族と街人を護るために迷い悩み愛を注ぐ 9小節目』

 バレーノはしばし俯き加減に静止する。

 一方で手前で佇むウンベルトとしては、さっさと宿屋の部屋に戻ってもらい、室内で大人しくして欲しかった。だがどう見てもこれから外出する気満々な格好で、彼自身よりもどうみても若い子の思案を邪魔する気分にはなれない良心が働いて、仕方なく待ちぼうける。


「あの……」

「やっと喋ったか……なんだ?」

「確認ですけど、ウンベルトさんの妻子は、昨日帰郷した認識で合っていますか?」

「ああ。出産前後は様子見で隣街の病院に泊まり込みだった……あと隣街といっても往復に一日以上は掛かるから、俺は出産に立ち会ってからは一度も逢っていないな……まあ出産に立ち会えたのも予定日ピッタリだったっていう、凄く幸運もあるんだがな」

「ふふ……ステキですね。わたし……のときは三週間もズレ込んで困った困ったと、母親から口を酸っぱく言われてましたので。親想いの娘さんだね——」


 例え偶然でも、両親が覚悟したタイミングを見計らったように誕生した新たな生命に祝福しつつ、バレーノの思考にはとある仮説も同時に浮上する。それはウンベルトの微笑ましい話にも含まれていて、その確率が高まる内容でもある。


 良い内容か悪い内容かの二者択一だとすれば、悪い方。

 しかもこうして悠長に会話をしている場合ですらないかも知れない懸念だ。


「——それで、その娘さんはどこに?」

「どこ? ……お前にそんなこと教えるわけないだろ。逢わせるつもりもない」

「えー良いじゃないですか。かわいいかわいい赤ちゃんに、歌い手も罪人も関係ないですし。逆にわたしが善良な吟遊詩人であると見抜かれてしまうかも知れません」

「しつこい……俺だって逢いたいのを遠慮してんだ。なんでお前なんかに……」

「んーじゃあこうしましょうか——」


 まともに説明したところで信憑性も確証も無くて拒絶されるだろうから、遠回しにウンベルトの娘へのコンタクトを図ろうとするが、こちらもなかなか上手く事が運びそうにない。

 どうしたものかとバレーノはブリランテに触れ、焦らず冷静に意思を汲み取り合う。それは演奏を行うときの感情と同じように。


「——娘さんに逢わせてもらえるなら……このブリランテをウンベルトさんに預ける、という交換条件ならどうですか?」

「な、なに!? だってお前それ——」

「——ええ。わたしにとって命と同等か、それ以上の相棒です。それをウンベルトさんの娘さんに逢うために、託すと言っているんです」

「……お前、何を考えている?」


 ウンベルトは双眸を細め、バレーノの提案の意図を疑う。どう考えても、吟遊詩人としての矜持を熱弁していた彼女が差し出す弦楽器を、ただ娘に逢いたいがためにそれを預けるなんて、交換条件に吊り合いが全く取れていないと睨む。明らかにバレーノの方が不利益を被ると。


「ん? 別に……ウンベルトさんの娘さんにに逢いたいから、ブリランテを預けるだけじゃないですか? 確かに壊されないかどうかが不安ですけど……そこはほら、信頼ですよ信頼っ」

「……解せないな。着替えのときですら手元に所持していた楽器を、ただ俺の娘に逢いたいだけに手放そうとは……あまりにも俺に利があり過ぎる。話が上手くはないか?」


 慎重かつ厳格に、ウンベルトは訊ね返す。

 対してバレーノは演奏時のような朗らかな表情を作り上げて、更に頼み続ける。


「まあまあーそんなこと良いじゃないですか。それでどうします? わたしを娘さんに逢わせてくれる? くれない? ウンベルトさんが決めて下さい」

「……俺が決める、のか」

「はい、どうします?」

「……お前からその楽器を手渡してもらえるのなら、ギルド長のことも加味しても願ったり叶ったりなんだがな……まあ深読みしたところで、お前が【バルバ】の街になんらかの私怨を持ち込んで来たヤツでは無さそうだから、娘や女房に危害を加える蓋然性も低いし、いざとなれば俺も居る。なんにせよ悪くないトレードには違いない」


 どう考えても話が上手過ぎる。そう理解していても、バレーノに他の企図があったとしても、ウンベルトにだって対人戦に持ち込まれたところで、どうにか対処する術がある。


 衰退し荒くれた【バルバ】の街。

 その用心棒でギルド長の側近の立場は、いくらくたびれた街の役職でも、侮ってもらっては困る。

 そしてバレーノの反抗してくるリスクを除けば、この条件はウンベルトいては【バルバ】の街の秩序にも影響力がある。ギルド長のジーナの苦しみの元凶も物理的に消すことが出来る。


「ふふ、そう言ってもらえるのは助かりますね。して、その根拠がどこにあったのか、わたしには皆目検討も付かないけど——」

「——私怨を持ち込むヤツが【バルバ】の街から少し離れた場所で呑気に演奏するわけがないだろ。もっと隠密に、より迅速に、俺たち用心役の目を掻い潜ったほうが効率的だ」

「あー……なんかわたし馬鹿にされたような気がしますが、今はいっか。それで? イエス、ノー、どっち?」


 ウンベルトは既に答えを決定していたが、少し溜めて伝える。彼自身の面映さを包み込む時間を作るように。


「はぁ……仕方ない、イエスだ。娘に逢わせてくれよう」

「よしっ、ありがとうございますっ! では早速、娘さんに逢いに行きましょう。ウンベルトさんの家ですかね? どこですか? 急ぎますよー」

「おい待て待て、まず楽器が先じゃ——」

「——それは娘さんに逢わせてもらえた後です……心配には及ばず。わたしは流浪の吟遊詩人、聴衆のみんなに宣言して、歌わない唄はありません」

「な……まあいい。俺に条件が良過ぎる埋め合わせということに、しておこう」

「おおすんなり。えへへ、助かりますねー」


 そそくさと宿屋の外に出てウンベルトを待つバレーノ。そのバレーノを追い越し、無言のまま歩き姿で語るように家路へと向かうウンベルト。おおよそ反発し合っている関係とは思えない二人の足取りが、【バルバ】の街の塵芥を巻き込む。

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