第12話 血の狂宴、その3

揺れが収まった後の僕らは互いの心配をしながら地面から立ち上がる。

「赤木、無事か」

「うん……え?」

赤木は素っ頓狂な声を上げる。僕はその理由がわからず赤木に声をかける。

「赤木?」

「……窓……見て……」

「え……」

僕は赤木が指差している。ぼくはその方角を振り向いた。

窓の外には校舎と校庭があった。だがそれだけだった。窓の外にあった空には灰色の渦のような異様な空間が広がっていた。それどころか校舎からの外は灰色の異質な空間に置き換わっていた。

「……結界か」

サヤがそう呟く。その顔にはいつもの飄々とした様子はなかった。

「……な、なにこれ……」

赤木の顔面は蒼白になっていた。顔から血の気が引いていた。

サヤカちゃんと赤木が怯えた様子を見せる中、サヤはやはり冷静な様子だった。

僕の方は完全に目を疑うばかりで呆然とするしかなかった。

「……どうする」

僕は投げ出された状況に対して決断を下した。

「進もう」

僕はそう言って赤木の手を引いた。

「え……あ、ちょっと」

赤木は困惑しながら僕のなすがままになってくれていた。

僕は混乱した気持ちをおさえるだけで手一杯だった。なにせ虫の頭をした異形の化け物に襲撃されたと思ったら今度は校舎での殺戮劇、挙句空が灰色の不気味な模様の空に変わるという出来事に出会って混乱しないはずがない。僕は自分の気持ちを抑えながら校舎の探索を続けた。

「……せめて……せめて安全そうな場所は……」

そう呟いて辺りを見回す。薄暗い廊下は到底誰かのいるとは僕には感じられなかった。

「……」

サヤという不審な女に不本意ながら感謝すべきことが僕にはあった。

サヤたち三人の手で粘液やら虫やらを飲まされたことで異界の感覚というべきものに聡くなっていた。異形の存在の気配や空気を肌で感じることができるようになっていた目は鋭く闇を見渡す力が備わり、聴覚はさらに繊細なものを感じつつも怪物の甲高い悲鳴や低く大きな鳴き声に動じないものとなっていた。それはつまり大きな音に怯むことのない頑強さと細やかな音を拾えるだけの繊細な感覚が同時に備わっていた。

僕は体の感覚に戸惑いながらも壁から壁に身を隠すようにして廊下を歩いて行った。

そんな僕自身の変化とは裏腹にサヤは相変わらずじっと僕の動きを見守るだけだった。まるで子供をみるように慈しむような目線を向けるが彼女は僕に異形の存在を飲ませる張本人であることには変わらなかった。

「……ふふ」

サヤは不意に不気味に微笑む。

内心僕は驚いた。だがどうにか平然を保ちつつサヤの方を見る。

「……安全そうな場所を知っているか」

「知ってどうする」

「赤木と話がしたい」

「ここに安全な場所はないぞ」

「……比較的でいい。実現可能な範囲だ」

「ほう……なら、あそこにいくといい」

そう言ってサヤが廊下の奥を指差した。

二年四組と書かれた教室だ。

「……行くしかないか」

そう言って僕はサヤの指差した方へと進んだ。昼なのに夜のように暗い今の状況に僕も赤木も翻弄されるばかりだ。となりのサヤカちゃんにいたってはなにかを知っててもおかしくなかった。ぼくは教室で状況を整理したかったのだ。

そう思って僕は教室の戸を開く。

「……ソウジ、おまえか」

「……え」

教室にはアキくんがいた。両手は血で真っ赤に染まった状態だったが怪我ひとつない状態で生き残っていた。彼の背後には中学生が三人いた。

一人は女子学生で血走った目でなにかをぶつぶつと言っていた。

一人は男子学生で虚な目をしたまま一言も発することがなかった。

一人は女子学生で隣の男子同様虚な目をしたまま指を咥えている。どうやら彼女は幼児退行してしまっていたようだった。

「アキ君、エリナは」

「ここの先生らが保護しているようだ。だが、さっき逸れてしまった……すまない」

「こんな状況だから……でも生きているなら希望がある」

「ああ、そうだな」

アキくんはどうにか無事なようだった。だがどこか恐ろしいものを見てしまった様子だった。

「……サヤだな。お前はなぜここに?」

その質問には僕が答えた。

「サヤは味方だ。今回の件とはどうも無関係のようだ」

「そうなのか」

「まぁ……信用するにはあまりにだけど」

「ああ……まだ許すつもりはない。と言いたいところだが味方なら歓迎だ。今は何もわからねえからな」

二人の会話にサヤも割ってはいる。

「……当たり前でしょう。こんな大掛かりなことをして眷属をわざわざ殺すほど暇でも愚かでもないからね」

「皆無ではないだろう」

「……いるの?」

「……この街はどうにか観光やってる田舎だけどさ。半グレもいる、狂ったヤクザもいる、怪しい宗教もある。こないだだって路地裏で集団リンチしていたカスが五人くらいいたから全員ボコったらボスが命乞いしてきてな。『なにがいい、ボスの座をやろう。クスリで儲けた金もあるぞ』とかぬかしてやがった。下衆な愚か者に底なんてないんだよ」

「そいつどうなったの?」

「……別にいいだろう?」

僕は想像しないようにした。

「そうね。底抜けの愚か者なんてどうでもいいわ」

「だな。それで……お前が今回の件と無関係な理由を聞かせろ」

「……あの虫人どもね」

「虫……やつらか」

そう言ってアキ君は窓から校庭の方を見ていた。その時のアキ君の顔は僕から見ても苦々しいものであった。

「私だったらあんな不細工なやり方はしない。……もっと、ね」

サヤは美しくも不気味さのある笑顔でアキ君の方を見た。にっと微笑んだ彼女の歯は人間のそれよりも美しいと感じるほど整った歯並びであった。見た目は雰囲気のある黒髪の女にすぎない彼女だがその笑顔は猛獣に睨まれるよりも恐ろしいものが潜んでいると僕は感じていた。なによりサヤの目は茶色の虹彩であるはずなのに漆黒の闇が渦巻いているような気がした。僕はそれがたまらなく恐ろしい!

そう、僕ですらだ。サヤたちに虫を入れられて人ならざる力を手にしている僕ですら怖気を感じ得る笑顔なのだ。ましてアキ君は血の気が引くばかりだったし、その後ろの中学生たちや赤木らは怯えた声でうずくまったり黙り込んだりするばかりだった。

元々アキ君はどんな不良にも暴力にも屈しない子だった。だが、そんなアキ君でさえ本能的に距離をとっているのだ。力の差以上に本質的に隔絶したものがアキ君に回避の体勢をとらせているのだと僕は感じるばかりだ。

「…………ならこの状況は誰が」

「魔術師ね。あるいは裏鬼道衆の手の者の手口じゃない?」

「魔術……裏鬼道……?」

アキ君は聴きなれない言葉に首を傾げる。そこに僕が入る。

作家としてそれなりにオカルトを知っている僕が入った方が早かったからだ。

「……創作でさ、現実にあるオカルトを勉強してるんだ。だからなんとなくわかる。現実でもさアフリカとか東南アジアとかにも呪い師とか呪術師とかいるじゃん。多分あれだよ、日本にも陰陽道あるし。アキ君も怪しいカルトがとかいってたよね」

「ああ……まあ触らぬ神とはいうが、確かに聞いたことぐらいはあったな」

「アキ君そうだ。それと裏鬼道っていわゆる陰陽道に関連する呪術だよね。つまりこの状況は悪霊とか呪いによってもたらされたってこと……だよね」

サヤは満足げな笑みで拍手を送る。

「ふふ、正解。これは東洋系呪術のやり方だから、黒幕は最低でも陰陽道や外法の呪いの知識に基づいて虫人を作ったと思っているわ」

「なんでそんなことわかる?」

アキ君の問いにサヤがにやりと笑う。

「生き物の怪異を取り憑かせているから。西洋系はそういうのは使わないわね。何をするにも血と贄と外法の祈りが基本だから。あとは…………ふふ、好色とか暴食の荒ぶる生命力も重要ね?」

そう言ってサヤは僕の方を見て意味深に笑う。彼女の笑みには淫美な雰囲気が少なからず含まれていた。

「悪魔崇拝か」

アキ君がぼそりと呟く。

「そうそう。向こうはそっちの勢力が強いみたいで。まあでもシンプルな邪神はあらゆる生命のあらゆる活動に対して寛大だから信仰しやすいのもあるし。あと信仰の方向が人間の方に向きすぎているのもあるわね。まああっちは自然を科学と秩序で征服するものって考えが抜けきらないのもあるんじゃない。愚かにもね」

「ヨーロッパ嫌いか?」

「全部じゃないけどそうね。あなたは?」

「ロックとか音楽はいい。まあレゲエとかヒップホップの方が好きではあるがな」

「あら……趣味がいいわね」

「どうも。だがこれでわかった」

「ええ。人間の仕業ってこと」

そのわかりきったような様子を見てアキ君が怪訝な顔をする。

「随分と慣れきった様子だな」

「あなたこそ」

「……間違ってない」

なんだろう。

僕は一瞬、アキ君の顔が暗くなったような感じがした。だがアキ君はすぐに平然とした顔に戻る。

「それでアマチュア作家先生。あなたの見識を聞きたいわ」

「来栖ソウジ。新人とはいえ先生でしょ」

「そうね……ふふ」

サヤは意味深に笑う。僕は思考を精一杯巡らせてから口を開いた。

「……なんとなくだけどエリナの周りでおきた『いじめ』が原因な気がする」

「どうしてそう思う」

「日本の悪霊とか怪異とかはマイナスの……ドス黒い感情に集まる傾向がある。それが関係しててもおかしくないだろう」

「なら……その裏付け調査が必要だな。今となってはわからねえ事ばかりだ」

「ああ……痕跡があればいいんだが」

そう言って僕はサヤの方を見る。

「サヤ先生。ここの結界は」

「ここの?」

そう言ってサヤは周囲に目を配っていた。

「先生は……素性が素性なのでここにみんなを集めて留まってくれるとありがたいです」

「そうね。眷属が簡単に壊れると困るし疑われるのも嫌だわ」

「でしたらここで赤木たちを守ってくれると助かります」

僕の発言にアキ君は疑問の声を上げる。

「ソウ、お前はこの女を信じるのか」

「今は調査が必要だ。僕だってそういう気持ちはある」

「ならさ」

「だけど動く人間は少ない方がいい。それに協力すればウィンウィンだろう」

「だがあいつが頷くとは……」

アキ君が言いかけたタイミングでサヤは頷いた。

「そうね。わかった」

そう言ってサヤは急に横に歩き始めたか。かと思うと手近な生徒用の椅子を引っ張って部屋中心に置く。そこにサヤは座ってまた口を開いた。

「アキ君。さっきから私のことを女だの呼び捨てだのしてるけど、あなたは生徒なのだから先生と呼びなさい」

「……わかった」

「はい、でしょう」

「ハイ」

「よろしい。ならソウジの妹さんを探しながら儀式の痕跡を探す事。いいね?」

僕とアキ君はハイと答えた後、教室を出る。ここからはサヤの結界は通じない。奇怪な生物の怖気を感じる殺気と悪意を肌で感じながら僕とアキ君はエリナの行方を探しに行った。

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無名神話 吉田 独歩 @D-Yoshida

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