第8話 運命の血盟

事件の後の日常は退屈なほど機械的に脈動していた。

大勢と街を生かすための日常という機能は僕の『陰惨な怪奇事件と僕の冒涜的体験』など、はじめから存在しないように規則的な駆動を続けていた。

僕は普段通り妹と起きて朝食を作り、学校に通って、新聞部で三人でバカやったりして部員の赤木スズカにしばかれたりする日常が僕の心の傷を少しづつ時間が癒す。そんな時間がずっと続くだけのはずだった。

事件から数日後のある日だった。

僕は三人で普段通り学校へと向かっていた。

僕、アキくん、イチくんは他愛のない話をしてから早めに学校に着いた。

僕は喉が渇いたので二人と別れてお茶でも買おうと自販機へと向かった。

そして、僕は出会ってしまった。

「あら……久しぶりかしら?」

蠱惑的な声で背後から話しかけられる。

僕はゆっくりと振り返る。

黒い女。彼女がそこにいた。

葛城サヤ。闇のように黒く長い髪をした彼女は黒を基調とした女物のスーツを着ていた。そして彼女の胸元には『桜田高校の校章バッチ』が光っていた。

「……お前」

「お前だなんて……うふふ、サヤ先生って呼んでね」

僕は混乱した。葛城サヤがこの学校の関係者だという記憶は皆無だからだ。

「……学校の先生だったなんて初めて知ったぞ。いつからだ?」

僕は当然至極の質問を投げかけた。そのはずだった。

「今から。あなたの存在は興味深いからね」

「興味深い?僕が?」

僕の問いかけにサヤは微笑みながら僕の頭を撫で始めた。

「見込んだ通り『現人魔』に……いえ、貴方は『現人禍津日神』になった。類のない存在にね」

「僕は汚れた邪神にでもなってしまったのか……」

禍津日神。日本書紀や古事記にその言葉は登場する。黄泉の国から逃げ帰ったイザナギが中ノ瀬で禊を行った時に生まれた神の名前だと僕は心に浮かべていた。記紀の記述と彼女の言葉の通りならば僕は『人でありながら荒ぶる神格でもある存在』になってしまったと悟るしかなかった。

「あら勘がいいわね」

「元々本読みだ。僕は……人間ではなくなったのか。身体はどうなったんだ」

「それはね……」

そう言った時だった。

「そこまで」

横から長身の男の声がする。横槍を入れてきたのは数学の秋元シンヤ先生であった。

この人は頭脳明晰で理論整然とした人物で、剣道と数学を通して生徒にストイックな愛情を向ける厳格なタイプの教師だ。そんな人物のためか生徒の評価は両極端で、厳格だが筋道を通す尊敬できる大人という評価もあれば、厳しすぎてついてゆけないという人もいた。

僕としては人の発言に厳しい意見を言いつつも頭ごなしに否定することのない良き大人として慕っている。あとこの人は顔立ちが整っているのでなんだかんだで女の子たちの話題の種だ。もっとも、秋元先生には以前に亡くなった妻がいたのでまだ一人の時間が欲しいそうだ。

「……葛城先生」

「あら、どうしました。秋元先生」

「失礼だが、彼と話がある。この場を外してほしい」

「あら?どうして?」

「一対一で彼と話したい」

「…………嫌だと言ったら?」

その瞬間だった。僕が二人から殺気を感じたのはまさしくその瞬間だった。

「待ってください!」

 僕は両者の間に割って入る。

「秋元先生。僕はこの人に聞きたいことがあります」

「……正直、看過出来ない」

秋元先生は懐から何かを取り出そうとしていた。僕は即座に言葉を続けた。

「僕には理由があります。後で話す機会をください!」

僕の説得に秋元先生が渋々頷いた。

「……分かった。危険なら大声で呼べ」

そう言って秋元先生は少し距離をとったところまで離れて行った。

「……余計な邪魔が入ったわね」

「話すだけですよ。それなら先生も分かってくれるはずですよ」

「なら端的に話すわ。君はね……特別な存在になったの」

「特別ってどう特別なんです?」

「そうね。普通では見えないものを見る力と抗う力があるわね。ここからは君次第だけども君には才能がある。きっとこの先で大きな力になるはずよ……ウフフ」

そう言ってサヤは美少女のような無垢な笑顔になった。その笑みは彼女の整った顔立ちもあって無邪気でどこか惹きつけるような純真さすら感じられた。

「……ちなみに教師になったのはいつからなんです?」

「前からだけど、この学校に来るのは明日からね。今日は下見」

「……世も末ですよ。あなた免許なんていつから」

「ちょっとしたやり方があってね。あと教員免許は正々堂々とパスしてるわ。あ、歴史教えるからね。……ふふ」

「お手柔らかに……」

「聞きたいことは以上?」

「ええ。今は」

そう言って秋元先生の方を一瞥した。

「じゃあ私から質問いいかしら」

「どうぞ」

「あれ、何者?」

サヤはそう言って秋元先生の方を見た。

「僕の数学の先生だ。剣道部で顧問をしている」

「詳しいわねぇ……あなた剣道部?」

「いや、僕は別の部活だ」

「……ただの武術家にしては……まあいいわ。私はここで暴れるわけではないし」

「助かる」

「じゃ、明日から」

「……はい」

そう言ってサヤは僕から離れて行った。そのタイミングで秋元先生が僕の腕を引っ張る。

「こっちだ」

「……はい」

僕は言われるがまま秋元先生に連れられて応接室まで行くことになった。

応接室では秋元先生がお茶を出してくれた。

「座って飲め。大変だったはずだ」

「大丈夫です。お気遣い感謝します」

「とりあえず飲め」

「いただきます」

不器用ながら秋元先生が気を遣ってくれるのがありがたかった。

お茶は市販の安いものだったが、緊張を前にした場面があったせいかとても美味しく感じられた。

しばしの沈黙の後、秋元先生が僕の向かい側に座った。彼はどこか悩むような表情を見せた後、僕の方に向かって忠言を紡いだ。

「分かっているだろうが。葛城先生は危険だ」

「分かってます。だが危険なだけではないと思います」

「……なぜだ」

「どういうわけか。僕に危害を加えたくないように見えました」

「そうだとは限らん」

「おっしゃる通りです。でもその意味を知りたいと思ってます」

「……知らない方がいいこともある」

「……先生にしては珍しいですね」

「辛いことがあった」

「それは?」

「……今はまだ早い。もう少し大人になってからだ」

「わかりました。お茶ごちそうさまです」

そう言って僕は二人のいるであろう教室へと戻ろうとした。

「待て」

「なんです」

「一つだけ言わせろ」

「……ええ」

僕は先生の方を見た。先生は普段と違って哀しそうな目をしていた気がした。

「……辛かったら逃げていい。この世はお前みたいな一人の学生に背負いきれないことだって無数にある。日常の人間社会ですら理不尽まみれだ。潰れるくらいなら逃げ出していい。生き残るというのは強さだけではない」

「はい」

「困ったら頼れ。力になる」

「……はい。ありがとうございます」

「いい子だ」

そう言って珍しく秋元先生が微笑む。

だが僕は先生に事件のことを話すことは無かった。

もし話してしまったら永久に何かが変わってしまうような気がしたからだ。少なくとも僕はそんな予感がしたのだった。そんなことを心に思い浮かべながら僕は教室へと向かっていった。教室にいたアキ君とイチ君に葛城先生のことを話した。

案の定、二人は驚愕の表情を浮かべていた。

「……まさか、黒い女が」

「いい加減質問しますかねぇ。なんでまたその人はここに?」

二人はそう言って僕の方を見た。

「僕が特別だから……ってことらしい」

「惚れられているねぇ。理由が気になるじゃないか。僕の気持ちとして」

「至極当然だ。ソウの顔立ちはどこにでもいるタイプだ。大人しめで」

「そりゃそうだ。なんでよりによって僕?」

「さあな」

「知らん」

「そりゃないぞ」

「今のところ全く不明だ。だがすぐにわかるとは思えないな」

「ああ、地道に調べるしかないか……シンイチ聞けるか?」

「そりゃ僕らのソウ君ですから、やってみる」

「とりあえずソウの体については伏せておけ」

「そりゃそうだ。どうなるか分かったものじゃない」

「くれぐれも気をつけろ。ソウもな」

「分かってる」

そのやり取りの時、教室は僕らを除いて普段通りであった。だが、ホームルームの時では騒がしい様相に変貌する。それはサヤ先生のこともあったが、まだ別の話題が存在していた。

「今日、我が校の姉妹校から新しい先生と転入生が入ってくる。みんな仲良くするんだぞ」

担任の教師である『大石ヒサオ』先生こと『石先生』がそう発言した。黒板には転入生の名前と新しい先生の名前が書かれていた。

「歴史担当の葛城サヤと申します。皆様よろしくお願いします」

そう言って彼女は丁寧に頭を下げていた。彼女の美貌に男子たちからざわめきの声が起こる。

丁寧に整えられた美しい漆黒の長髪、美しく整った顔に自信に満ち溢れた立ち振る舞い、上品に着こなすスーツの上からでも分かる艶美な女体美は男子生徒だけでなく女子生徒の注目すら集めていた。

葛城先生のことは僕ら三人にとっては既に想定内だ。ここで転入生たちの紹介が始まる。

「アリス・ラッセルです。ロンドンから来ました。よろしくお願いします」

短い金髪と碧眼の美少女が丁寧なお辞儀をしていた。髪は短く整えられており清潔で快活な印象を周囲に与える。

「同じくマリー・ヘレフォードです。よろしくお願いします」

長いブロンドの髪が上品に揺らぐ、長い髪のその子も美しい顔立ちをしていた。その立ち振る舞いから彼女が裕福な家柄であることを僕はなんとなく予感した。

二人の英国人少女も整った容姿ゆえに目を引いた。欧州からの美しい転入生二人はクラスの注目を既に集めていた。イギリスの姉妹校から転入してきた優等生だという説明が先生の口から行われる。

だが、そんな彼女たちよりも僕らが注目せざるをえない人物が一人いた。

その人物こそが重要だった。

「私『葛城リン』です!よろしくお願いします!」

そう言って快活な少女の声がクラスルームに響く。元々は台湾に住んでいた日本人らしく、陽気な雰囲気のある短髪の少女だと僕は感じた。その子は明るく友好的な物腰を武器に女子たちの会話の輪へと溶け込みつつあった。

葛城リン。葛城。

サヤ先生と同じ苗字。僕の脳裏にそのことが何度も去来していた。

イチ君とアキ君も僕に目を合わせてくる。

僕らは呆然としていた。目の前の情報量によって僕ら三人は目を白黒させるばかりだったのだ。

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