第6話 魔人の生誕

僕の中で何かが沸騰していた。

血を求める衝動だけが今の僕の心の全てだった。血と破壊の衝動。僕の心の全てが血への渇望で満たされていた。

「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハあっはははははあっははははははあはははははははあっははははははあははははははあははははははははははははっはははははははあっははははははっあはははははははは!!!!」

今の僕は一匹の獣だった。そして狂ったように笑う一人の子供だった。血で遊ぶ子供に僕は成り果てるしかなかった。

そんな僕が最初に始めたことといえば、目の前の獣と『遊ぶ』ことであった。

遊び。

僕はそう言って命を弄ぶことが嫌なはずだった。子供の頃、蟻を潰して大泣きしては家族に慰められたことは今でも覚えている。その時にはアキ君もイチ君も僕を慰めてくれていた。

だが、今の僕にそれに似た感情はなかった。

僕は一匹の獣だった。

僕は一匹の獣だった。

僕は一匹の獣だった。

僕はもう一匹の獣だった。

僕の中で何かが沸騰していた。

沸騰。

僕は沸騰していた。狂気が加熱していた。

僕の中で湧き上がるものがあった。黒い殺意。

殺意。そう、僕の中に湧き上がったのは殺意だった。だがそれは憎悪によるものでなく食欲に近い衝動であった。条件反射に似た衝動に任せ僕は獣に喰らいついた。

皮、肉。

僕は敵対者の一部を口で食いちぎった。

「ギャアアアアアア……!」

異形の獣が雄叫びに似た悲鳴を上げる。

僕が食いちぎったのは獣の前足であった。口の中に鮮血と生肉の感触、骨の歯応えが広がった。鉄の味を感じながら僕は目の前の獣を追い回す。獣が距離を取るたびに僕は獣との距離を四つん這いで詰めた。

獣はとうとうたまらず背中の触手で僕を突こうとする。それを僕は軽々と回避していた。

なぜだろう。

僕の視界にあったのは怯えと痛みを感じつつも怒り狂っている犬に似た獣の姿だけだった。

白銀の毛皮と昆虫に似た異形の表情、触手に似た見たことない器官。僕の中に湧き出す食欲に似た破壊衝動がその生き物へと向いていた。

僕に恐怖は無くなっていた。

虫のようなものを飲むまでは目の前の獣に対する冷たい悪寒を感じていたはずなのに今の僕にあったのは高揚に似た熱く煮えたぎった感情だけがあった。

「アォォぉぉおおおおおおオオオオン!!」

獣を地を震わすような雄叫びと共に背中の器官を振り回した。髪や触手に似た器官は鋭利な鞭に等しい動きで周囲のものを切断する。

「うわ!」

「ちぃ!」

アキ君とイチ君が辛くも攻撃から逃れたような気がした。だけど今の僕にはそれは興味の眼中から外れていた。大事な友達のはずなのに。

僕の触手を片手で掴んでいた。痛みはあったが僕の腕はなんと原型を留めていた。

「むぅぅ!!」

僕は片手に力を込め引っ張る。すると獣から触手が引き抜かれ目の前に赤い花のようなものが咲いた。僕の顔や地面に赤い飛沫がばら撒かれ、口と鼻に鉄の風味が広がってゆく。

「ギャアアアアアアああああぉぉぉぉあぉぉ!!」

甲高い悲鳴を上げて獣がゆっくりと後退する。僕の中にはあんなに暴力が嫌いだったのに楽しいという気持ちが胃酸のように湧き上がっていた。後はただ吐き出すだけだ。狩猟本能に身を任せながら獣を殴り毛皮を素手で引き裂き、噛みついて引き千切るだけだった。

僕はひたすら目の前の獣を蹂躙すること以外に喜びと興味が存在しなかった。

「ググ……グ……ウォ……オオ……オ……ォォン」

傷ついた獣は凶暴な唸り声を発しながら僕の方を睨みつけた。

次の瞬間、獣は突然苦しみ、呻き声を発した。

「ググ……キャ……キャ……ギギ……」

獣の頭部がゆっくりと震えた。

その獣の頭部が異様に震えた。

獣の目玉があらぬ方にギョロギョロとありえない動きをしていた。

そして……獣の頭が割れた。

それは唐突な変化だった。

頭蓋が割れた獣の中からたくさんの目玉が咲いていた。

目玉。

目玉。

茶の虹彩。

目玉。

白目と触腕、あるいは糸。

目玉と目玉。

目玉と目玉、細長い糸に似た器官と目玉。

無数の目玉の群れと糸状の触手が獣の頭から湧き出していた。

血への渇望でぼんやりとした僕の頭はいくらか冷静だった。横に目をやるとイチ君とアキ君の顔から血の気が引いているのが分かった。

「……本体」

僕の脳は目の前に存在するのが『獣の寄生虫』だと冷静だった。

目の虫は僕の方に何かを刺そうと触手を伸ばしてくる。

「避けろ!!」

アキ君がそう叫んでいたが、僕は言われるまでもなく回避する。

毒があるかもしれない、あるいは獣の体のように僕を内部から食べようとするかもしれないと僕は警戒した。いずれにせよ僕は目の前の虫ケラごときにくれてやる肉は少しもなかった。僕は目の前の忌々しい獣を潰そうとすら思っていた。だから、僕は本能的に湧き上がる力を応用して獣を処分しようと思っていた。

「……ナ、アグイ、ナ、アグイ、ナ、アグイ、……イナ、イナ、フラヴ、フラヴ、フラヴ」

僕は両手をかざしながらそう呟く、すると僕の腹から熱のようなものが込み上げる。僕は吐息を吹きかけると獣と目の虫は黄色と白色の閃光をした業火に包まれた。空気ごと燃えた寄生虫と獣に悲鳴を上げる瞬間すら残っていなかった。

「綺麗だぁ」

僕はそう呟いて笑っていた。

「あは、あはは、ははっ、あははははははははははははははははは、あははははははははははははは、あはははははははははあはははははははははははははははははははは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」

僕は衝動のままに笑うケダモノだった。

今の僕は一匹の獣だった。

今の僕は獣だった。


イチ君の叫びで僕の理性が明瞭となった。

「もういい!もういい!」

イチ君は激情のままそう叫んでいた。イチ君の困惑と怯えた表情を見て僕は自分の周りの惨状に初めて驚いた。

自分の口の周りと服に広がる血痕を見て僕は心底恐ろしいという気持ちがようやく湧いた。

「…………ぼ、僕は……う…………う……」

僕は呆然と佇むだけだった。

そんな僕を見てイチ君とアキ君が駆け寄る。

「ソウジ!」

「やっと止まった……」

「……あうう……僕は……あうう……う……」

僕は泣いた。両目からとめどなく溢れるものを僕は感じていた。

生きるためにズタズタになったもの、あるいはズタズタにしてしまった精神的何かのために僕は泣いていた。そんな僕を黙って抱き止めたイチ君とそばにいてくれたアキ君の心遣いに僕は深く感謝していた。そして、僕自身の中に巣食うようになった何かへの恐怖のために僕は泣いていた。空は完全な闇となっていた。

そして獣と目の虫があったところには炭化した黒い何かと燃え残った獣の肉の塊があった。だがその肉塊もボロボロと崩れて消えていた。

「僕は……」

「気にするな。むしろよくやってくれた」

「僕は……」

呆然とした様子の僕を見てアキ君が叫ぶ。

「シンイチ。服、服だ!」

「あ、ああ……」

そう言ってイチ君は上着を僕の肩に掛けた。

そしてアキ君は僕にペットボトルの水を差し出した。

「飲め」

「え……」

「飲め」

飲めという彼の言葉はとても優しい声色があった。

その言葉のまま、僕はペットボトルの水に口をつけていた。

こんなに慈愛のあるアキ君もこんなに動揺するイチ君も見たことなかった。それだけに僕は泣いていた。僕は泣きながら二人と共に下山した。教授の車は消えていたので僕はゆっくりと徒歩で下山する。

「服は変えないとな。降りたらシャツでも買うか」

「ズボンはどうにかだな。誤魔化しようはある」

「ああ……」

「頼むぞ」

「ああ、今回は任せろ」

そんなやりとりの時も僕は泣いていた。

そしてそのあとは、近くのドンタで替えの衣服を調達してもらって着替えようとした。

人目が恥ずかしかったが、血まみれの服のままよりかはましだと僕は思った。だが、アキ君が僕が着替えるのに待ったをかけた。

「待て。もうちょっと待て」

僕は疑問に思って聞こうとしたがイチ君が横から話しかけた。

「今日は記事はいいから。ウチに来てくれねえか?」

「……うん」

僕はイチ君に言われるままにイチ君の家へと直行した。

「電話は俺がしておく」

アキ君はイチ君の自宅の前でそう言っていた。

イチ君の家は裕福なためか自宅も広々とした家だった。

「ただいま」

「……ああ」

「血まみれの服あるから預かってるぜ」

「……またか」

「ああ。そういうことだよ」

「……関わるのはよせ」

「今回は事故だ。でも終わったよ」

「……関わるのはよせ」

「……分かったよ」

「……使え」

「ありがとさん」

イチ君とイチ君の父はそんなやり取りだけがあった。

イチ君の父はどこかやつれた容貌だったのが僕の印象に残っていた。彼の父と僕の父は親友同士で、僕の父の同い年のはずだった。だが、僕の父よりもはるかに歳をとっているように僕には見えた。

「転んで泥まみれになったから預けたってことにしておいてくれ」

「……いいよ」

「あと、ちょっと脱いでみろ」

「え?」

僕は言われるがままに脱いだ。

僕は僕の目を疑った。

「……え、これ……これ……え?」

僕の上半身には見たことないタトゥーのような模様が描かれていた。

「やはりな」

僕はアキ君にたまらず聞く。

「アキ君……これ……何か知って……知ってた!?」

「順を追って話す」

アキ君は有無を言わせない調子でそういった。

「う…………うん」

僕はアキ君の迫力に頷くだけだった。

「まさか」

そう言ってアキ君がどこかへと駆け出す。しばらくすると一冊のノートを手に彼は戻ってきた。

「これ……知ってる?」

「……ああ」

「何これ」

「……儀礼用のタトゥー。縄文時代以前のものだ」

「え?何それ」

「……これ見ろ」

そう言ってアキ君は僕に一冊の本を見せる。

『これまでの怪異記録』とあった。

手書きのノートだ。『黒澤シンイチ』の名前とその題名だけがあるノートだった。

その中のページをアキ君は早くめくってから見せた。

「あった……ここだ」

そこには写真とイチ君による綺麗な手書きの文字が書かれていた。


『三女神の祝福』とだけ書かれていた。


僕は半信半疑だったが写真を見て驚いた。

僕の体にあるタトゥーと似たものが数々の土器や石板の模様として描かれていたからだった。土器は外国のものも含まれていたが模様はどれも共通していた。


「ご機嫌よう」


家の中に声。不意に僕の背後で女の声がした。アキ君の顔が凍りついたように強張っていたのを僕は見た。

冷たいものを僕は背筋で感じていた。たまらず僕は振り返る。

ゆっくりと。

ゆっくりと。

僕の後ろに真っ黒な女がいた。彼女は微笑だけを浮かべていた。

黒い服に青いズボン、漆黒のように黒く美しい長髪、そして端正で蠱惑的な顔立ち。闇を具現化したような艶やかな女の雰囲気に僕は覚えがあった。

「その声……」

目の前の美女が虫を飲ませた『能面の女』だと僕は悟ってしまった。

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