第4話 協力者、工藤教授
イチ君が電話で呼び出した人物が合流地点に来たのは電話から十数分後のことであった。セダンの形をした車が僕らのそばで停車した。その後、一人の紳士が車から降りて僕らに歩み寄った。山の近くの寂れた農道に似つかわしくない都会的な紳士服と高級車が僕らの前に現れる。
「待たせたかな?」
そう言って丁寧な物腰の紳士はイチ君と握手する。イチ君の人脈に時折僕らは助けられるがその人脈はどうやって作っているのだろうと僕は常々疑問に思うのだ。
目の前の紳士は日本と海外の血が混ざった見た目をしていた。着ている紳士服は高級品だが、成金趣味のいやらしい高級感ではなく、本人の美的感覚や趣味が反映されたお洒落なものであった。それは見るものに好感を与えるような清潔で凛々しい服装であった。服装も凛々しいが顔立ちもハーフの人らしく整っていて顔の陰影がくっきりした大人びた容姿をしていた。この人はモテる側なのだろうと僕はぼんやりと思っていた。
だが、それ以上に僕はこの人に対して漠然と冷たい嫌悪感のようなものを感じていた。
「失礼、クロサワ君とは良き協力者だが、君たちは初めてだね」
そう言って紳士は僕らの前に手を差し出す。
「初めまして。私はジョセフ・工藤と申します」
僕は直感的にタールが背中を伝うのに似た嫌な感覚を感じた。それはとてもぼんやりと漠然とした予感以上のものに過ぎなかった。が、僕は目の前の紳士に対して心底嫌悪感を感じていた。
「初めまして……僕は来栖です」
表面上、僕は丁寧に応対していたが目の前の紳士に直感的に感じる異質でどす黒く漠然とした嫌悪感を内心では拭えずにいた。
「よろしく。相良と言います」
「サガラ君に……クルス君か、よろしく」
紳士は順番に握手を交わす。
「それで……シンイチ、この怪しい男は何を協力してくれる?」
アキ君の直球の物言いにイチ君が面食らうが紳士は穏やかに笑ってこう発言した。
「失礼。私は科学的な観点からこの手の事件を捜査している」
「事件?捜査?」
「失礼……私は大学教授でね。名刺もある」
男は仰々しく名刺を手渡ししてくる。アキ君は片手で貰うが、僕はあえて両手で貰った。僕なりの処世術であった。
「丁寧だね。ありがとう」
僕の応対に感謝を述べる。僕はそれを尻目に名刺の内容に酷く目を疑った。
名刺には『桜花大学理学部生物学科教授、ジョセフ・工藤』と書かれていた。
「大学教授様が高校生の部活になんのようです?」
僕の問いに目の前の教授はこう答えた。
「この山にはね。新種の生物がいる可能性があるって聞いてね。学術研究と地元への協力も兼ねて調査をと思ってたんだ。そこに君たち、特に黒澤君とは昔からの知り合いだから渡りに船ということだ」
「新種の……生物?」
僕の怪訝な顔を見てアキ君が質問を投げかける。
「ますます胡散臭い話だが、シンイチ」
僕とアキの疑問にイチ君がこう答えた。
「教授はこの事件と似た事件に遭遇したことがあるそうだ」
「……え?」
「……似た事件?」
僕は驚愕し、アキ君は顔をピクリと動かした。
「ええ……私はいくつか似たような事件を経験してね。随分と驚かされたものだよ。奇妙なことばかりな上に異様な生き物に何度も出会ってね。私の知り合いも随分と殺されたものだ」
「……え!?」
「…………」
僕はただただ意表を突かれていた。
人が殺される。そんな現実味のない言葉の選択に僕は呆気を取られるばかりだった。
「すまないね。こんな辛気臭い話で。人から同情されることが多いけどこんな反応は久しぶりだな」
「え……?」
僕は目を白黒させながらアキ君の方をみる。だがアキ君の表情は優しさとは対極の厳しいものであった。なぜそう思ったのかは具体的には分からない。でも僕から見たアキ君の顔はどこか仁王みたいな異様な表情をしていると思った。その理由は僕には分からない。
「……」
「え、えっと。知り合いというのは……?」
好奇心が抑えきれず教授に質問する。彼はただこう答えた。
「友人だよ。私の……ね」
教授の表情は寂しげに俯いていた。
僕はさらに分からなくなったと思ってしまった。目の前の教授は憐憫を誘うような話題と寂しげな表情。そして友人の死という背景に僕は優しい慰めをかけてあげたいという欲望に駆られかけていた。だが僕の脳裏、その奥底で鐘の音に似た危険を告げる感覚がガンガンと脳裏に鳴り響いているのも同時に感じていた。その歪な感覚に僕は吐いた。
「ソウくん!?」
「来栖!?」
僕は胃のなかのモノをうっかり吐き出してしまった。アキ君とイチ君が僕の背中をさすってくれる。僕らが立っていた場所が田舎道であったことが幸運だった。
「す、すまない……うわ、どうしようこれ」
「どうせ人も見てないし寂れた田舎道だ。気にしなくていい」
「大丈夫か?無理なら休んで待ってろ」
「いい。水だけくれ」
僕はイチ君から手渡されたミネラルウォーターを飲み干して口を拭う。そうしてしばらく休むと気分が楽になったので改めてイチ君に僕は質問した。
「この人大丈夫なの?」
「それお前がいうか?」
「ごめん」
「まあいい。結論から言えばこの人は協力者として扱っていい。僕ぁこの人に何度か助けられたし問題ないはずだ」
「…………」
僕はしばらくの沈黙の後、首を縦に振った。
正直、この禍々しい紳士が何者か知らないが僕だけがその狂っていて歪なモノを感じ取っていることは確かだった。正直この大人と同行したくないが大人の同行は必須なのでやむなく許可するしか無かった。
一日。
たった一日の縁だ。
僕は鳴り響く直感のアラートを無理やり抑えて調査に復帰する。
「さて、これまでの情報を纏めると『黒い女』に『謎の獣』が『立花邸』に関係してるってことが分かるな……こりゃ下手なミステリー小説も真っ青だねえ」
「これが現実の話だというのがな」
僕は二人が僕の話を信じてくれるのがありがたかったが、僕の話を幻覚だと微塵も疑わなかったことが気がかりだった。それと工藤教授が似たような経験をしているということと調査に協力してくれるという点が気がかりだった。もちろん学者なのだから論文の材料になるような観測結果や知見を得られるのが利益だというのはわかる。だがそれを差し引いても荒唐無稽な僕の情報をあっさり信じてくれたのが気がかりだった。それでも、街に巣食う闇に目を背けその正体を放置することへの後ろめたさと僕自身の抑えきれない知的好奇心によって僕は立花邸へ向かおうと決意を固めていた。
「……それでも行こう。そこに何があるかを知るだけでも価値はある」
「同意見だな。俺もそこは賛成だ……だが無理だけはするな」
「ああ、気をつけるよ」
僕はアキ君の優しさに感謝しつつ、工藤教授に最後に質問した。
「教授はどうしてそんな生物に出会ったのです?」
彼はにっこりと微笑みながらこう言った。
「あれは……友人を含めて複数人のチームと普段通り仕事をしていた時だったよ。私が仕事から少し離れて休憩していた時だ。不意に誰かの悲鳴が聞こえたんだ。友人の悲鳴だったよ。私が休憩しているところからはっきり聞こえるほどには大きな悲鳴だった。私が辿り着いていた時には友人たちは皆死んでいた。首を食いちぎられていて……見るも無残だったよ。そして私も犬に似た生物に襲われたがどうにか撃退してね。その事件には黒澤君の父の友人も犠牲になったんだ。その縁でシンイチ君と出会って今に至るということだ」
「イチ……黒澤君とは昔から?」
その言葉にイチ君が反応する。
「元々、父から工藤教授のことはよく聞いていてね。父は顔の広い医学教授なんだけどそんな父の知り合いの中でも旧知の間柄なんだそうだ。僕ぁあんまり面識ないけどな」
そんな会話をしていた時のことだった。
………………アオォォォォン……。
どこからか犬か狼の遠吠えが響いていた。
「……狼?」
「え?」
僕の発言にイチ君が怪訝な顔をした。
「俺も聞こえた。野生動物がいるようだな」
「僕ぁ聞こえなかったなぁ……でもなんとなく怖いねえ」
「動物は死んでいるんだろう?そこの謎の教授の話だと殺したと聞いているが」
「謎の……まあいい。その獣は手負だったから角材でどうにか殴り殺したよ」
「角材なんてどこに?」
「当時、修理していた箇所があってね。桜花大学はあちこちで修繕していたから木材が余分に用意されていたんだ。あの時は雨漏りも酷かったなぁ……」
教授は懐かしむようにそう発言する。その様子を僕は怪訝に思いながら探索に向かうことを決意していた。
「分かりました。では……話はその辺にしてそろそろ調べに行きましょうか」
「貴重なお話に感謝する」
「僕ぁ何度か聞いたけどね。でも基本を振り返るのも大事だよな」
「うむ、参考になれば幸いだ」
会話もそこそこに僕らは道を歩く。
立花邸への道は既に農道から傾斜のある山道へと変化していた。立花邸までの道を車で行くことは残念ながら不可能だった。
大きな力で折れたであろう一本の木が道を遮るようにして倒れていた。木は徒歩で跨ぐことはできたが車での移動は途中までしかできなくなっていた。車は便利で時間を短縮してくれるが、不測の地形の変化には弱い、そのことを僕らは自分たちの身体でその意味を味わう羽目になった。
僕らが歩き続けると空が段々と暗くなる。
五時半を過ぎているくらいになるだろうか。五月の空は段々と赤みと暗さを伴った色彩へと変貌を遂げ始めていた。
「何時だっけか?」
「もう六時になるな」
「うっげ、そんな時間!?」
「空見れば一目瞭然だろうが」
「だろうけどさ……」
調査の前に軽く食事を取った僕らはこれからの捜査に支障はないはずだが、僕の方は食べたものを吐き出してしまったので空腹を感じてしまっている。今日はなんだか踏んだり蹴ったりな気分であった。そばにいる教授が不穏で危険な雰囲気を出していることを僕は恨めしく思っていた。そうしている時に僕らは古びた屋敷の前にたどり着く。
山奥の木々と古風さすら感じる洋館に僕らは息を呑んだ。洒落た雰囲気の建造物が自然と調和している様は僕を羨ましい気持ちにさせるには十分だった。立花家の人間がこの屋敷で優雅に暮らすさまを僕はありありと想像していたからだ。
……アォォン……。
また、狼の不吉な鳴き声が響いた。音が大きい。僕はその音量の変化に不吉なものを感じ取っていた。
「手早く調べよう」
僕はそう言った。アキ君もだがイチ君もその言葉に頷いた。
イチ君にも遠吠えが聞こえていた。
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