第2話 日常、その1

僕の日常はいつも朝食を作ることから始まる。

ベーコンエッグを焼き、味噌汁を作り、ご飯を炊く。

鼻腔に暖かな匂いが満ちる時が何よりの至福だ。僕の日常は早起きと共に始まる。

「お兄!ご飯まだ?」

エリナの声がする。

「ああ!出来てる!」

僕は妹の声に返事を返す。僕のいつもの愛おしい日常であった。

暖かなご飯と味噌汁を頬張り、ベーコンの塩味を楽しんだ後、カバンの中身を確認する。今日の分の教科書とノート、筆記用具に携帯電話。

朝食を済ませた後、僕は桜田高校へと向かう。桜花町の朝はいつもと変わらぬものであった。

「行ってきます」

「行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

父が穏やかに笑みを返す。僕と妹は同じ駅へと向かった。妹は中学生、僕は高校生だが、途中までの電車が一緒だった。妹は三つ先の駅で降りる。僕は五つ目だ。地元住民に散々な言われような程の鈍足の電車なので余裕をもって外へ出る。早く外出するのはそういう理由がある。だがそれ以上に家族と過ごす穏やかな一日が愛おしいからでもあった。そんな電車の中で妹と僕は会話を交わすことになった。

「昨日のドラマはどうだったよ?」

「うーん……ピンと来ないな。お兄の寄越す映画の方が面白いね。俳優はイケメンだけどさ」

「だよな……少し退屈で眠かった」

口癖で少しと言ってしまったが、その作品はこの上なく退屈であった。

「ボソボソ喋ってて内容が入ってこないしね。でもみんなはウケるんだろうな」

「まぁ……お気に入りの俳優?アイドルが出てればな人もいるからね。僕そういうの嫌いだけど」

「やっぱね」

「だってそれならアニメの方が」

「あ。分かる分かる。録画しなきゃね」

「勉強もやるんだぞ」

「げ、勉強関係ないじゃん」

「あるだろう?学生だし」

「もー……そういうことじゃないでしょ?」

「でしょと言われても」

「あ、次だ」

「話を逸らす」

「事実だもの。じゃあね」

「ああ」

そんなやりとりをして妹は駅から降りた。

僕もしばらく電車の景色、街の光景を眺めながら今日の予定に想いを馳せていた。今日は放課後に地元の変わった名所を調査を開始する日であった。新聞部としての計画を練りながら、僕はいろんなことを考えていた。車窓の景色は穏やかに過ぎていった。






授業を終えた後、僕は新聞部へと向かう。

「遅かったな」

そう言って部員の一人が無愛想に出迎える。アキ君こと相良アキラだ。

僕の二人いる親友の内の一人で愛想はないが優しさのある男の子だ。彼は昔から喧嘩が強く曲がったことが嫌いでいじめっ子の中学生を半殺しにしたこともあった。中学三年になってからは警官になる夢もあるのでそういうことは控えてずっと勉強に専念している。だが、周辺ではいまだに偶に都市伝説のように語られることがある。当時ですら小学生とは思えない強さだから納得だ。今だと高校生の不良程度だと返り討ちにしそうだ。武術やっている奴は一味違うな。

「ごめん、アキ君。ホームルームが長引いて」

「その呼び名はやめろ、絶対にだ。……で、今月の一面のネタはどうする?」

「うーん、少し決まってないんだよな」

「少しどころじゃないだろうな。……チッ、黒澤のやつはどうなってんだか」

その瞬間。背後から声がした。

「俺をお探しで?」

「うわわ!?」

僕は思わず叫んだ。

黒澤シンイチ。

僕はいつもイチ君と呼んでいる。

「あっちゃん、相変わらず仏頂面だねぇ」

「……ちゃん付けはやめろ。それより、どうだネタは」

「むふふふ……」

「笑いが少しキモい」

「わりぃ。でもいいネタでな」

それを聞いた僕ら二人は顔を見合わせた。

「マジか」

「ネタあったのぉ!?」

イチ君はにっと笑いながらネタの中身を明かした。

「廃墟。この辺の廃墟に奇妙な噂があってさ」

「どこだよ。俺は廃墟なんて知らねえぞ」

黒ちゃんの発言にアキ君が無愛想に指摘する。それに対してイチ君は飄々とした態度で笑いながら答える。その様子はどこか本音が見えなくていつも僕とアキ君がやきもきするのがいつものことであった。

「立花邸って知っているか?」

アキ君は怪訝な顔を浮かべる。その様子だと彼はあの場所を知らない様子だった。だが僕は知っていた。

「アキ君はともかく、僕は知っているよ。……出るって言われた場所だね」

立花邸。

明治時代に旧華族の立花氏の別荘として作られた奇妙な廃墟だ。

といっても見た目はお洒落な風格のある洋風の別荘で自然の風景とデザインが深く噛み合った大層素晴らしい建物だった。だがこの別荘にはいろんな噂があると評判だ。

曰く、美しい女の幽霊が出る。

曰く、蜘蛛の化け物が出る。

曰く、噂を調べに行った物好きが行方不明になる。

曰く、怪しい儀式が行われている

曰く、新興宗教の隠れ家となっている

こんな感じで怪しい噂ばかりが湧き上がっている。だが一度大人たちが調べに行ったものの怪しいものは何一つないただの廃墟として片付けられただけだった。不自然なくらい大人たちはそれ以降忌避していると僕には感じられた。

そんな使い道もない廃墟だが、桜花町の外れの誰も気にしないような山奥にあることもあり撤去の話は今のところ出ていない。かつて一度撤去の話も出たようだが、お流れになったようだ。僕には興味ないがそれも尾鰭がついて変な噂になっている。担当者が屋敷の亡霊に殺されただの、作業員が神隠しにあっただの言われているが、詳しいことは流石に僕も分からない。

まぁ、そんな噂を除けばただの辺鄙なところにある古ぼけた別荘の跡にすぎなかった。せいぜいオカルト愛好家が立花邸の撮影をするくらいだろうか。それも一時で、大抵は飽きて帰ってゆく。その程度のつまらない一つの廃屋でしかない。

「それで……そのつまらない廃墟にどんなネタがあるって?」

アキ君は心底げんなりした様子でそう返答を促した。一方のイチ君は朗らかな笑みでこう回答する。

「ふふふ……」

「なんだよ?」

一泊置いてイチ君は答えた。

「それはな……あの場所には『漆黒の美女』の住処なんだってさ」

その答えに対して僕とアキ君は互いに顔を見合わせた。あらゆる意味で衝撃的だったからだ。

「漆黒の美女って、昨日言ってた噂の女か?」

アキ君の言う『噂の女』とは『この街でまことしやかに語られるある噂の登場人物』のことであった。

桜花町のような田舎町では人の距離が狭くなる。奇妙なことに噂や民話などのような話題がたびたび取り沙汰される時があるのだ。その話題は大抵興味を向けるほどでもない他愛無い話題や嘘であることが関の山だが、どう言うわけか中には本当に実在した怪談が混じっていることがある。

もちろん僕ら新聞部の目的は地元の話題を通して歴史的知識や文化的価値などを紹介し、学生の日々の学習に役立てる一助になるというのがメインである。怪談や民話はおまけであり学生が学園新聞を読んでもらうための足掛かりに過ぎない。

だが我らが新聞部には『その手の奇怪な話題』に縁がある。

それは僕らの代だけではなく僕らの先輩やOBの代にも似たような話題や事件にすら見舞われるとされる。まあ、大抵は平和に卒業して東京の大学や地元企業でそれぞれの人生を過ごしているのだが……。

「そういえば……なんか変な噂があるみたいだな」

僕はそれどなく噂の詳細に関して説明を求めた。

「マジか。ソウジは知らなかったか」

「そういや……ソウちゃん別件の調査に夢中だったっけか」

二人はやや困惑した様子でこう答える。

「赤木の少しずつフォローしながらだからな。それで……噂って?」

イチ君は助兵衛な笑みと共に口を開く。

「綺麗な女の人がいるんだってな……昔から」

いつものイチくんの口調に僕はがっくしとなった。だが話には続きがあるようだった。

「まぁまぁ、待て。こんな噂なんだ。桜花町や浜長町の近くで黒い服の美人が出没するそうなんだけど、その女は願いを叶える代わりに人間らしい何かを奪ってゆくんだとよ。これ面白い話だろう?」

「黒い服の美人か……」

「色合いがなんか不吉ですね」

イチくんの話す噂にはどことなく不吉さを感じさせるものがあった。

「そういうこと。何かを奪うってところが気になるよな。魂とか?」

「やめろそういうの」

イチ君の冗談は笑えないものだった。僕は多少の冒険は好きだが大冒険や恐怖体験をしたいわけではなかった。あくまで日常からほんの少し逸脱するような不思議なことが起きる程度のイベントを望んでいるのが僕のスタンスであった。平穏の中にほんの少しの冒険があること、それが僕にとっての幸せの黄金比である。

「悪ぃって。でも面白い話だろう?」

イチ君の言葉に関しては僕もアキ君も賛成だった。

「ああ、流行りの話題なら一面には打ってつけた。それに立花邸を所有していた立花家の話題を歴史の話題に絡めれば先生たちも納得するだろう」

先生。当然この新聞部にも顧問の先生はいる。勉強面ではうるさいが、それさえクリアすれば新聞の記事にはある程度の裁量を認めてくれる良き先生がいた。

顧問の『川上マイ』先生、国語の担当の先生でもある。先生の趣味は漢詩などの詩や日本神話の書籍、小説などを読破することである。それがあの人の専らの習慣であった。

「僕もそう思う。地元の話題だし、みんな怪談好きだし」

「だろうな。早速行くか?」

「先生にはなんて言っていく?」

「山の近くを散策すると言っておけ。ネタ探しのために頭を冷やすとな」

「なら何持っていく?暗くなると怖いからペンライトとか」

「カンテラもありだな」

「ならドンタに行くか」

アキ君は全国展開しているディスカウントショップで必要なものを買いに行くことを提案していた。これは僕もイチ君も賛成だった。軽食の菓子と飲み物、光源確保に必要なものを選んだ。

「八時ぐらいまでいるんだっけ?」

「そうだな。九時ぐらいに帰れるようにしないと家族がうるさい」

「アキ君、母と他に三人いたよね」

「そうだ。特に兄貴とお袋がな」

それを聞いたイチ君がくくと笑う。

「家族思いだからな、君」

「からかうな。殴るぞ」

「こっわ」

そんなやりとりをしながら僕は立花邸に向かう前に聴き込みへと向かった。

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