無名神話

吉田 独歩

第一章 運命の邂逅

第1話 運命の邂逅

闇の中、僕は一人そこにいた。

雨音が響く屋敷、立花邸の中で僕は耐えていた。

雨音以外にあったのは闇と埃だけであった。闇に慣れた目はどうにか通路の形を視認する。その中を僕は必死で逃げ延びていた。なぜならば僕は得体の知れない存在を見て理性が飛ぶような混乱を自分の脳裏に感じたからだ。

それは恐怖だ。

目が、耳が、あるいは全身が目の前にいた生物の存在を否定した。

闇に蠢いていたその生物は明らかにこの世の理から外れた忌々しい存在であると僕は理解していた。

「はぁ……はぁ……」

僕は息を切らせながら周囲を幾度も目を配らせる。

外にいた獣の化け物から僕は逃げ延びる以外の方法を知らなかった。

その場には僕以外にも友達はいた。彼らのことは心配だった。だが、僕は恐怖と心拍数の高まりのまま、そこから逃げ出した。行動は正解だろう。死につながるからだ。

音をなるべく殺しながら闇の中を進む。

曇天と雨、闇だけが僕の味方だった。

「……なんだったんだ」

そう呟くが答えは返らない。

友の安否は心配だった。それ以上に怪物は僕の方を狙っていたことが恐怖だった。僕は友達に言われるがまま必死に逃げた。二人は「狙いはお前だ、逃げろ」とだけ言っていた。その意味と怪物の正体を図りかねたまま僕は古びた立花邸の通路を進んでゆく。

ところどころ床の状態は悪かったが一階であるためか安全に進める余地があった。首にあるペンダントを握りしめつつ 僕は周囲に目を配った。

「……ん?」

ある程度通路の奥を進んでいると屋敷の古風でどこか上品な雰囲気に似合わない鉄製の扉を見つける。僕はそれを慎重に開くとそれは地下へと繋がっていた。扉の向こう側には階段と洞窟のような更なる闇があった。

僕は……進んだ。

悩んだ末に進むことを決断した。

階段を降りる前に扉を閉める。化け物に侵入されるリスクを潰すことを考えての行動だった。

そしてぼくは扉を降りる。

一段。

一段。

また一段。

僕は慎重に闇の中を進んでゆく。

孤独感と恐怖の中で僕はこの荒廃した屋敷に来たことを心底後悔していた。

来なければよかった。帰りたい。死にたくない。そんなことを考えながら闇の中を進む。それは直感に等しい行動であった。

地下に降りると通路がある。通路の奥にはどう言うわけか燭台に蝋燭があり、火が灯っていた。

「蝋燭……?火がついてる」

人がいる。僕はそう感じた。

通路の奥に目をやると扉が見えた。重苦しそうな鉄の扉であった。

「……開いている。人がいるのか」

藁にもすがる気分で奥の部屋へと僕は足を進めた。

本能的に嫌なものを感じたが、それでも人と出会えると言うのが僕の微かな希望であった。

扉のノブに僕は手をかける。祈るように取ってを持つ手に力がこもる。鉄製の扉が軋む音が周囲に響いた。


…………ギィ……。


扉に鍵は掛かっておらず中へと進めるようだった。

「……だ、……誰かいますか?」

上手く回らない舌を動かすようにして僕は部屋の中を覗くように声をかける。

「……すみませぇん!」

僕は部屋の中に呼びかける。

薄暗い。そう感じながらも僕は周囲に慎重に目を凝らす。

「……え?」

周囲には血生臭さと肉の腐ったような匂いが混じっていた。

目が薄暗い部屋に慣れると異様な室内の様子に全身が粟立つ。

四つの燭台とカンテラで照らされた部屋の中央には丸と記号の複雑な集合体があった。

それは明らかに何かの血で描かれたものであり、周囲には動物の肉とミイラ化した生き物の物体、器に注がれた油のようなものや青く光る液体が置かれていた。

科学の知識があればそれが何なのか察することもできるがその正体がなんなのかを僕は本能的に察することを拒んでいた。

魔法陣。なんとなく僕の脳裏に浮かんだのがその言葉であった。周囲に置かれているのは供物や生贄で、周囲には得体の知れない儀式の痕跡だけが存在していた。

「う……うっぷ……」

片手で吐き気を抑えつつ僕はポケットの中を探る。ペンライト、僕はそれを出して辺りを見渡した。

「……なんだよ……これ」

ペンライトに照らされた光景を僕は悪夢か何かだと信じたかったが、残念なことに現実だった。よく見渡すと部屋の奥にはまた扉のようなものが存在していた。

奥に進み、僕は扉にノックする。

「すみません!」

沈黙だった。

「……行くしかない」

扉のノブに僕は手をかけた。


逃ゲ出シタイ!


僕の背筋に何か寒さに似た感覚があった。実際に背中に氷か何かを入れられたわけではないが、それに似た瞬間的感覚が不意に僕の背筋を刺激した。

「……」

直感が何かを告げる。

それは本当にぼんやりとした危険な感覚ではあるが、どこか明瞭なものを内包した危険な感覚であった。

だが、進まないわけにはいかなかった。状況を理性で考えるならば後退は死に繋がる。化け物が徘徊している。あるいはこちらを狙って向かってくる可能性があった。

そうなれば今度こそ手詰まりとなる。僕は前進すること選ぶ他なかった。

僕は扉をゆっくりと開く。

扉の奥に研究室や保健室に酷似した空間が広がっていた。

本棚、ランプの置かれたデスク。小さな三つのベッド、薬品の棚、斧や工具などが入った蓋付き道具入れなどが置かれていた。

特に目を引いたのは手術台と思われる人間大の台が存在していたことだ。それと、薬品の棚の隣にホルマリンに漬けられた生物がおいてあった。

「……いる」

不意に僕は奥の方から人の気配を感じた。

「……あら、いらっしゃい」

部屋の奥から若い女の声がする。真っ黒な着物を着た女は能面を被っていた。こういうのを『若女』の能面というのだろうか、そんなことを僕は思い出していた。

僕は思わず後ずさった。声の主は暗がりの方からゆっくりと歩み寄る。

彼女は美しい声をした女性だった。漆黒のように長い髪、黒を基調とした鮮血のように赤い牡丹の描かれた着物の女だった。背は僕と同じくらいだが、大人の雰囲気を宿した蠱惑的な女が闇の中にいたのだった。

「う、誰……?」

「名前を聞かせて」

「……僕は来栖ソウジと言います。僕たちを助けてください」

直感が何かを告げる。それでも助けを乞わずにいられなかった。

「あら、どうしたの?」

「怪物に襲われたんです。警察か誰か大人を……」

落ち着きを装いながら助けを求める。口下手な僕にしては上出来だった。

「へえ……面白い子ね」

和服の女は僕を興味深げに観察しながらこう言った。

タールのような感覚だった。僕は直感で何かを明瞭に感じていた。

言葉の中身も目の前の女性も異様だと強く感じていた。

「ねえ、どう思う?」

背後から気配がする。異質な気配だ。

次の瞬間、僕は粘液の塊に意識を絡め取られていた。







気がつくと僕は手術台に縛り付けられていた。

僕は目を覚ます。起きようと体を動かすが、両手両足が固く縛り付けられていて身動きが取れなかった。

すると少女のような高く意味不明な言語が響く、それは到底外国語にすら聞こえないものだった。年下か僕と同じぐらいに見える女の子が僕のそばに立っていた。彼女はポップなキャラクターのお面をしていた。

少女は明るい雰囲気をした黒い短髪の美少女だ。僕が縛られた状態でもがいているのを見てケラケラと笑っている。彼女は下半身が粘液のような状態だった。

そして、彼女の発する言葉は異様な音が発せられていた。

彼女は子供のように明るく笑いながら得体の知れない言語で誰かを呼ぶ。すると二人の女性が現れる。

一人はさっきの和服の女性だった。

もう一人は暗がりと南国を思わせる木の仮面で顔が見えないが妖艶な女性だった。豊満で肉感的な魅力に満ちた肉体をしていた。だがそれ以上に目を引いたのはぬるりとした粘液を纏った触手とタコの頭部を思わせるような背中の器官であった。

和服の方も気味が悪いほど悪辣な笑みを浮かべながら台に縛られた僕を見ている。

蛸のような存在が和服へと音を発する。

「ね?興味深いでしょう?哀れなヒトのままにしとくのは惜しいと思うの」

すると今度は粘液の少女がカラカラと笑いながら音を発する。

不気味だった。可愛い女の子と美人にいいようにされているのにまるで実験動物を見るような様子すら感じる。それに『哀れなヒト』と言う言葉によって僕は嫌な感覚に陥らせられた。全身の感覚が粟立つのを感じる。

「ぼ、僕を縛ってどうするんだ……!」

たまらず、僕は叫んだ。嫌な感覚が背筋を逆撫でしていた。その感覚のまま僕は叫んだ。


「……クスクス」


甲高い笑い声に抵抗して体を動かすと蛸のような存在が高音で何かを発する。

「来栖君だったかしら。私たちは贈り物をあげるわ」

「そのために縛ってか!?」

「そうね。暴れたら君が死ぬだけだからね。……もっとも断ったら死ぬだけだし受け入れた方が生き残れるわよ?」

平然と和服女は僕にそう告げた。

「お、贈り物……?」

僕はそう質問を投げかける。

三人の女。否、和服女と二体の異形女は何かを体から取り出してこちらに近寄ってくる。

和服は蜘蛛に似て非なる虫を手に持っていた。

蛸女は、触腕を持つ極小の蛸のようなものだった。

粘液少女は、僕の口元に手を差し出す。すると、手から粘液のようなものを流し込んできた。

「がは!?」

咽せる僕に無理やり液体が流し込まれる。蛸女の発する声は甲高く恐怖を煽る。

僕は少女に無理やり粘液を飲まされた。

「ソウジ君だったかしら。君、生きている方が都合が良いの。だから、眷属に迎えるわね。……大丈夫、痛いのは一瞬よ」

そう言って和服からも虫を口から、美女からは極小の触腕生物をまた口から入れられた。

少女が甲高い声で笑い得体の知れない言葉を発する。

少女は僕の左耳に今度はゼリー状の何かを耳に流し込む。両耳に蠢く感覚があった。

僕の体は何かに侵食された。その感覚が僕の体を苛む。

目が血走り、体が熱くなる感覚がはっきりとあった。

「う……あ……ガァ……」

虫と触手とゼリー状のものを受け入れた僕の体が激しく、しかし心地良く痙攣する。

体が激しく揺さぶられるように、あるいは熱湯を無理やり流し込まれたように身体中を侵略されていた。

寄生生物たちは僕の中の全てを作り替えていた。痛みと快楽と熱感に苛まれながら僕は明瞭に実感していた。

細胞が、肉が、骨が、消化器官が、呼吸器が、神経系が、そして脳が侵食されているのを僕は感じていた。腹部と頭部に何かが蠢くのを感じながら僕の意識は朦朧としたものとなった。

蛸女が嬉しそうに微笑むと粘液少女も甲高く笑った。

少女は何かを喜ぶようなそぶりを見せていた。

笑う粘液少女と頭を撫でた蛸女がその場を去ってゆく。

「はぁ……はぁ……」

「来栖君だったわね?しばらく寝ていきなさい。君はこれで哀れで脆弱な『人』から『現人魔』となったわ。……だからがっかりさせないで。私たちは見ているから」

和服は僕にまた何かを飲ませた。薬の類だった。僕の意識が穏やかに暗闇へと沈んでゆく。

「おやすみなさい」

和服は慈母のような声色で僕にそう言った。甘美なキスを額にされる。

そして僕は微睡みの中に意識を手放した。

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