第121話 渦

 急激に意識が遠のく感覚があったが、すぐに目の前が明るくなる。

 周囲を見回すと、ミヤやハナオカ、河童の姿を確認することができた。

 見た目という面で言えば、俺を含めて全員が先ほどと同じ格好をしている。

 だが、地に足がついている感覚がなく、空中浮遊しているかのようにふわふわと揺れていて、その上、謎の空間にいる。

 全体的に青っぽい、筒状の入れ物に入っているようで、俺たちはその場に止まってはいるが、淡く輝く粒子が身体を通り抜けて背後へ流れていく。


「なんだか川の中にいるみたいですね」


 河童の言葉に納得する。


「よくわからんが、このまま待ってればいいんだよな? それで過去に戻れるんだよな?」

「そのはずですねぇ。あっしも半信半疑っていうか、これだけでいいんですかね」

「百年前に戻りたいってみんなで思うだけでいいなんて、簡単なことだよな」


 ハナオカの言う通り、全員の意思が一致していれば過去に戻れるというのは、破格の条件と言えるだろう。

 この状況で天降石が落ちる前まで遡りたいと思わない人間などいないはずだ。


「いやぁ、まったくですよね。仮に――」

「どうした?」


 急に言葉を詰まらせたことを心配して、ハナオカが声をかけてくれる。

 

「い、いえ……なんでもないです。ミヤも大丈夫そう?」

「はい。ミヤはお館様と再会できたことこそが人生至上の喜びですので。ですが――」


 ミヤの視線は、お見通しだと告げていた。

 俺が今、この状況で、あり得ざる未来を想像していることを。

 過去の世界に身体ごと戻ってしまえば、もう一人の自分と出会って世界が崩壊してしまう。

 単純に世界が巻き戻ったとしたら、きっと同じ未来を辿る事になるだろう。

 親が死に、迫害され、馬車に乗り込み、見知らぬ山で生活するはずだ。

 そうして時を重ね、山に捨てられている子供達を育てるようになり、今に至る。

 だが、例えば現在の俺の記憶を保持したまま、幼い頃に戻れたらどうだろう。

 どうすれば強くなるのかは知っているし、未来も知っている。

 山へ向かうのではなく、他の道を選んでいたら?

 捨てられる子供たちを受け入れるために施設を作れるかもしれないし、そもそも彼ら、彼女らが悲しい思いをしなくても良いような行動が取れるかもしれない。

 もっと過去に、俺が形成されるよりもずっと前に戻りたいかと問われれば、否定はできないのだ。

 しかし、俺だけが勝手な思いを抱くわけにはいかなかった。

 老人も言っていたが、全員の心が一致していなければ、違う時間に弾き出されるかもしれない。

 親がこんな場面で迷うだなんて、ミヤはさぞ落胆しているだろう。

 失望されても文句は言えない。

 だが、俺を見つめる彼女の顔は、肯定に満ちていた。


「ミヤは、お館様のしたいようにするのが良いと思います」


 他の二人に聞こえないような囁き。


「あのお爺さんと同じように考えていることもわかります。きっと、ミヤも同じ立場ならそう思うでしょう」


 細く冷たい手の感触。


「ただ、一つだけ言わねばならないことがあります。……ミヤだけではありません。お館様に育てられた全員が、自らの人生を不幸だと思っていませんよ」

「ミヤ……」

「だって……あなたがいるんですから」


 言葉と共に送られたのは、普段表情を崩さない彼女の、最高の笑顔だった。

 俺は気負いすぎていたのか、ともすれば余計なおせっかいだったのかもしれない。

 再会した子供たちはみんな懸命に生きていた。

 不幸かどうか決めるのは当人であって、俺じゃないんだ。


「……決まったよ、俺の気持ち」

「なんであろうと、ミヤは受け入れますよ」


 どの時間に戻りたいのか、強くイメージする。

 草の匂いや空気の味、自分がその場所に立っていると、現実と見紛うほど、細部まで深く想像する。

 意識が再び遠くなっていく。

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