第120話 別れ

 少女は、もはや自分には何もできないと悟ってか、力をなくしてへたり込む。

 ミヤが彼女の頭を撫でた。

 漠然と垂れ流されていた魔力の渦が、徐々に統率されていく。

 術式の構築が進んでいるのだ。

 命を代償に捧げると言っているが、魔術の発動だけでも相当な体力を使うのだろう。

 老人の額には汗が滲み、息が荒くなっている。


「今のうちに、今後の説明をしておきます。まず、これからみなさんを過去の世界へと繋がる精神世界へと送ります。その時、みなさんの意思が一つになっていなければ、異なる時間へと迷い込んでしまうでしょう」

「意思が一つに?」

「この場合だと、百年前の祭りの前、その時間に戻りたいという意思が必要です」

「なんだ、それなら俺たちは大丈夫だよな! なぁ河童!」

「はいぃ! あっしも外の世界がこれじゃあ恐ろしくて夜も眠れないので……」


 小屋への攻撃が激しくなるが、聞きたいことは尽きない。


「こ、この世界はどうなるんですか?」

「仮にジオさんたちが天降石を食い止められた場合……私たちの未来が変わり、それが一本化されるでしょう。みなさんの記憶を保持していられるかは不明ですが、少なくとも私は――」

「あの子は助かるんですね?」

「……はい。ご配慮いただき、ありがとうございます。あなたは本当にお優しい方だ」


 完璧に仕組みを理解しているわけではないが、それでも大まかには予想できる。

 俺たちが過去に戻ることで、今ここに存在する「天降石が落ちた」時間軸と、「それ以外」のもう一つの時間軸が生まれることになる。

 二つの時間軸は互いに干渉せずに存在するのではなく、一つに混ざり合い、より強い方へと統合されるのだろう。

 そうすれば、少女は友達のいる、荒廃していない世界で生きることができる。

 だが、起点となる人物、人の記憶を過去に送るという大魔術を行使した老人だけは、その限りではない。

 たとえ平和な世界へと時間軸が移ったとしても、老人が命を落としたと言う事実は変わらず、奇跡でも起こらない限り、なんらかの事故によって死という結末を迎えてしまう。

 それを少女に悟らせないように俺は会話を遮った。

 彼女にとって老人との別れは辛いものだが、大人のエゴというか、やはり未来のある若者にこそ生きていてもらいたい。


 ・


 ジオは悔しそうに眉間に皺を寄せたが、すぐに老人が魔力の流れをコントロールできるように力を貸すことにした。

 ミヤから一枚の紙札を受け取り、そこに術式を構築し、少女に持たせてやる。

 周囲の魔物は召喚された英傑が蹴散らしてはいるが、圧倒的な物量に押されて守りが決壊するのは時間の問題。


「もう少し、もう少しの辛抱です!」


 小屋の空気が徐々に澄んできていることに、魔術の素養のないハナオカでさえも気づく。

 長い年月をかけて丁寧に練り込まれた魔力は、もはや戦うための道具ではなく、神が世界を形作る時に用いた力のような神秘的な空気を放っていた。

 当然のように、魔力の奔流の中心にいる老人はその影響を直に受けていて、一秒、一分、一時間と、砂時計が流れていくように命を削っている。

 しかし、どちらにせよ孫を救うために投げ捨てた命。

 覚悟を決めている老人には焦りも迷いもなく、何度も何度も、叶わないと諦めかけながらも覚えた手順をこなしていった。


「準備ができました! みなさん、よろしいですね!?」


 溢れ出した魔物によって小屋の扉が開かれた時、ついに術式の構築が完了した。

 誰もがあと一言残したいと思っていたが、もはやそのような余裕は残されていなかった。

 次の瞬間、過去の世界からやってきた面々はその肉体を粒子に変え、霧散する。


「……お願いします」


 老人は倒れ込みそうになったが、床に手をついて止まると、今にも襲い掛かろうとしている魔物を睨みつける。

 そして、少女に覆い被さるようにして庇いながら、その生命を終えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る