第119話 終わり

「過去の自分に……重ねる?」


 俺たち現代の人間・妖怪は、誰1人として老人の言葉の意味が飲み込めていない。


「ジオさんのいう通り、同じ人間が同一時間上に2人存在しているという状況は危険です」


 一拍おいて口を開く。


「私が発見した方法は、記憶を過去へ飛ばして対象の人物のものと同期させるという方法……つまり、一種の未来予知を授けるようなものなのです」

「も、もしかして人間の皆さんは、あっしの知らない言語を使っている……?」


 河童が混乱しているが無理はない。

 精神のみを過去の世界に送ることが可能なのか、そもそもそのような方法は考えたこともなかった。

 しかし、納得することはできる。

 先ほど、過去に戻りたいのなら、当時の人々にとっての未来人が行うべきだと思っていたが、むしろそれが壁になっていたのだ。

 精神を昔の自分と重ね合わせるのなら、過去と未来、どちらにも存在している必要がある。

 老人の精神を過去に送ろうとしても、受け取ることのできる人物がいないのだ。

 ここまで考えて、ようやく老人の煮えきれない表情の裏が理解できた。

 そもそも、一般的に二つの時間に生きている人間などいない。

 老人は安全に過去の世界に干渉する方法を見つけたが、自分や娘は過去に存在しないため、アプローチはできない。

 そんな時、俺たちが過去の世界からやってきた。

 彼からすると千載一遇のチャンスである。

 しかし、俺たちを過去へ送ったところで、伝説の魔術師として伝えられているルーエでさえ救えなかった天降石を止めることはできないのではないかと、そう思ったのだ。


「私たちが戦う様子を見て、あなたは可能性を感じてくれたんですね?」


 肯定の頷きが返ってくる。

 確かに俺一人では不可能だが、ルーエやミヤと力を合わせれば天降石を止められるかもしれない。


「でも、その魔術を行使するのには代償が必要なはずです」


 ミヤの鋭い指摘に、老人の頬に汗が伝う。

 彼はしばし俯いていたが、やがて顔を上げた。

 その目には決意が宿っていた。


「――私の命が代償です」


 それはだめだと、そう言おうした時、小屋の外から再び魔物の雄叫びが聞こえた。

 見ずともわかる。

 先ほどとは比べ物にならないほどの数だ。


「――なっ、なんだこれ……おい!」


 いち早く外の様子を確認したハナオカが、絶望を顔に滲ませる。

 続いて俺も立ち上がり、扉の隙間から探りを入れる。

 ハナオカが驚くのも当然だった。

 10や20というものではない、地平線までの至る所にモンスターがひしめき合っているのだ。

 とてつもない光景に言葉を失っていると、小屋の裏の魔物が壁を叩く。

 目を覚ます少女、怯えて頭を抱える河童、歯を食いしばって剣を手に取るハナオカ。

 ミヤは平静を装ってはいるものの、内心では俺たちの「終わり」を予知しているはずだ。

 今回を凌げたとしても、次はもっと数が増えるのか、なんにせよ精神の磨耗は防げない。

 ただ一人、老人だけはすくっと立ち上がると、ハナオカの剣を奪い取って迷いなく小屋の床を突き砕いた。


「き、気でも狂っちまったのか!?」


 そうではない。

 老人は床の下に何かを隠していた。

 手のひらに乗っているのは、緑色に輝く宝石。

 渦巻くような模様の入った一粒の宝石。


「……この宝石は、私が何十年も魔力を込め続けて生み出したものです。数十年分の魔力と私の命で術式を構築し、皆さんを過去へと、どうか、お願いします」


 老人の足元に緑色の魔法陣が出現し、一瞬、世界が歪むような感覚に襲われる。

 おそらく、莫大な魔力に当てられたのだ。

 半世紀以上も、今日のために魔力を込め続けたのだろう。


「……おじいちゃん?」


 その魔力は、先ほどの説明を理解できなかった少女に、ただ一人の肉親との別れを告げるには充分だった。


「お、おじいちゃん! なにやってるの!?」


 少女は老人の元へ駆け寄ろうとするが、可視化できる次元に到達した魔力に押し戻されてしまう。


「……すまんなぁ、私は、お前が平和に暮らせる世界を実現させたいんだよ」


 慈愛に満ちた笑みだった。

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