第5話 語り:衣笠団十郎

「さて、先ほどの演説、いかがだったでしょうか。皆さんにも目指すべきワイルドの形が見えてきたのではないかと思っております。徳川殿は若くしてこのような偉業を成し遂げられました。我々としても非常に誇らしいことで御座います。しかし、彼も言っていた通り、理解の足りぬ警察の手によって彼の活動は取り押さえられてしまいました。大変嘆かわしいことで御座います。ですから、皆さんには是非とも永久的なワイルドの活動を発案し、行っていただきたいものです。


 さぁ、次は我らの中でもベテラン中のベテラン。『鴨川の河童』こと衣笠団十郎さんです!どうぞ!」



 カッと舞台袖にスポットライトがあたり、一升の酒瓶を抱えたおじいさんが頬を赤くしながら、えっちらおっちらと舞台に進み出た。変なおじいさん、いや正確には髪形が変なおじいさんなのである。さっきの徳川という男も珍妙な髪形をしていたが、このおじいさんはまるで白髪をわざと平坦に伸ばしたような、まるで河童のような髪形をしていた。それでいて、頭のてっぺんは髪の毛一つない、つるっぱげである。


 いつの間にか、舞台の中央には紫色の高級感のある座布団がひかれていた。おじいさんはその上によいしょと座り込み、酒瓶をどすんと置いた。


 歌舞伎の会場はまた妙な静けさに包まれた。みな直立不動の構えである。そんな中、また前触れもなくおじいさんは語りだしたのである。


「儂は衣笠団十郎っつうもんや。若いころは素潜りの漁師を舞鶴の方でやっとったんだがな。まぁ、もうそんなやる気ものうてこっちに引っ越してきたんですわ。どうせ独り身やったでな。家族も『もう好きにさしたり』みたいな態度で、何も言われんとこっちにほいほいやってきたわけですわ。しかし、ここに来ても、まぁおもろいことなんてなぁんもあらへん。毎日年金で細々と暮らしてくだけや。しょうもないなぁと思ってな。残りの人生も少ないから自分でおもしろいことしたろって思ったんですわ。


 それで始めたのが鴨川のカップルをからかうことやったんですわ。川に潜って、こう待ち伏せをするんですな。幸い泳ぎは得意なもんやから、大雨で流れが速いようなとき以外はゆっくりできるんですわ。そして、たまたま目の前に座った男の足を掴んでやるんですな。すると、大慌てで逃げていくんですわ。


 それからは『鴨川の河童』と呼ばれ始めましてな。えぇ、それからまぁ長い事やってますからな。この界隈で儂の異名を知らん奴なんぞおらへんぐらいになりましたわ。今までどれほどのカップルをあの鴨川に引きずりこんだかわかりゃあせんが、それでもようさん川に落としてきましたわ。あの阿呆どもはな、わざわざ川べりに座りよるんや。そんなもん足なんか掴み放題でな。ほいきたほいきたと座ってるやつの足を引っ張るんですわ。そしたら、最近の男共は貧弱なもんでな、あれよあれよという間に川にぼちゃんぼちゃんと落っていきよる。ほんま滑稽なもんでな。あれがおもしろぉてやめれんくなるんや。そうなってくると、川に落とすだけじゃ満足できんくなってな。靴を脱がせるようになってな。そしたら靴だけじゃ物足りんくなってきてな。ズボン脱がせて最後にはパンツも脱がせてから陸に返すようになったんや。そしたら、まぁおもしろいのなんの。男は慌てとるし、女は目を背けるし、警察は飛んでくるしと大騒ぎ。


 それからは毎日が楽しいて楽しいて、長生きしとる甲斐があったってもんですわ。それからもどんどんやることが派手になりましてな。身に着けてる時計やらネックレスやら、まぁ変なもんまで取り外させるようになりましたわ。

 そんでも、もう何かを脱がせるってことにも、どうも退屈してくるんですな。まぁ、飽きるんですわ。ほんで、どないしようと思いましたらな。儂は河童やないかと思ったんですわ。


 これはおもろいと思いましてな、胡瓜を買ってきたんですわ。そんで胡瓜を持ってな、カップルを待ち伏せするんですわ。そんで、男を引きずり込んでな、下着脱がせてな、その尻に胡瓜をブチ刺してやるんですわ。そしたら、男はものすごい声上げて悶絶するんですわな。そして、胡瓜が尻から抜ける前に陸に返してやるんですわ。そしたら、女の方の目がまぁなんとも言えん目をしとるもんでな。ありゃ、酷い事したわと思うたけど、一度やったら、やめられへんのですわ。


それが――


『浣腸・胡瓜・刻一閃』っつうんですわ。


 あんな恥ずかしいことされたら、男の方は堪ったもんじゃあらへんのでしょうな。警察に話が伝わることもそれほどありませんでしたわ。なんなら、下着まで脱がされた男の方が警察に追いかけまわされるような始末でしてな。酷いもんは胡瓜を引っこ抜こうとしたら途中で折れて、尻から胡瓜が抜けんようなもんもおりましたわ。かわいそうやなぁとも思うんやけどな、おもろいんですわ。ほんまに、おもろいんですわ」


 ◇


 話が終った時、会場にいた男たちは歓声を上げつつも、全員が尻の穴を押さえていた。私も例外ではなかった。そして、あの痛みを私はまた再び思い出していたのである。


 忘れるわけがない。あの痛み、あの屈辱、あの悲劇。あぁ、今すぐにでも忘れたいと願わずにはいられない。あの日、私は「エアギター部」の先輩である真鍋遥先輩を追いかけて鴨川にいたのだ。


 真鍋先輩は「エアギター部」の一員ではあったが、部室にはほとんど顔を出さないし、名前だけが在籍しているような、幻のような存在であった。我らが異端のものが集まるエアギター部の唯一の女性部員ということを可児先輩から聞いたが、「もはや、退部を伝えるのも面倒になって幽霊部員と化しているのではないか」という意見が数少ない部員の大半を占めていた。そして、「こんなサークルに所属しているのは、どんな女性だったのだろう」とみな期待を膨らませていた。あるものは絶世の美女だと信じ、あるものは我等と同種であると固くなに信じ、あるものは暴虐無尽の女性であると想像してた。


 私はそんな彼らの妄想を聞きながら、「馬鹿め」と思っていた。女性を見極める時は、やはり実際に見なければならない。そして、関わらなければ相手がどのような人であるかはわからないのだ。そんな妄想ばかりしていても役にも立ちはしない。実際に会い、話すことでその真の人となりを掴むことができるのだ。


 しかし、どうしたことか。一か月、二か月と経っても私と彼女の関係は一切縮まないどころか、彼女との接点すら見えないような有り様に陥っていた。彼女は本当に幽霊部員なのであろう。全く部室に顔を見せることはないため、話しかける機会など微塵もなく、彼女と顔を合わせることもままならないような状態である。これは決して、彼女に会いに行こうという度胸が私になかったからということはない。決して。


 そんな私に神が振り向いた。


「あら、見たことない顔ね」


 私が部室にいた時、唐突に真鍋先輩が部室に訪れてきたのだ。その姿はもはや筆舌に尽くしがたい美しさ。もし大学でミスコンが開催されようものなら一位を搔っ攫っていくこと間違いなし。歩けば、老若男女問わず振り向くであろう。それほどの美貌である。


 追い打ちをかけるように見事なまでのスタイル。出過ぎずへこみ過ぎず、スタイリッシュでバランスの取れた体型。しかし、身に纏うはフラットな服装。それでいてなお、その魅力は衰えることはないであろう。


「は、私は新入部員でして……」


 しどろもどろに答えると、


「ふぅん」


 と私を一瞥し、真鍋先輩はさっさと部室を去って行ってしまった。暫くして、私は真鍋先輩の後を追いかけた。部室棟を出たあたりで彼女の姿を捉え、私は物陰に隠れた。そこから私は彼女の後を追って歩き出した。彼女はわら天神から上七軒を抜け、千本今出川から堀川今出川を抜け、鴨川まで一直線。某大学の前あたりでは物陰などあるはずがなく、前を歩く人を盾にして私は追跡を続けた。女神が与えた一瞬のチャンス。逃すわけにはいかない。私は彼女を追跡した。彼女は振り返らない。それもそうだ、私の追跡スキルは高校生の頃、好きな子を追いかけて身についたものだ。そう簡単にばれるようなものではない。


 真鍋先輩は鴨川デルタに行きついた。その場には複数人の男の姿。彼らが彼女と話し合っているのを私はぎりぎりと歯ぎしりをしながら見ていた。ええい、憎い! 憎い! 何故あのような金髪ピアスが私より女性に馴れ馴れしくしておるのだ。私のような文学少年こそ本来評価されるべき優秀な男であるというのに。私はコンクリートの上で地団太を踏んだ。


「君、ここで何をしてるのだね?」


 職質された。


 私は重い足取りで鴨川沿いを歩いていた。私が職質を受けている間、彼女は私の前から姿をくらまし、夕焼けの差す京都の街の中に消えていた。彼女がいるのは恐らく四条の方なのではないか。漠然とそう思い足を運んだ。女神はとうに私の前を過ぎ去ったと思われた。


 しかし、女神は私を見捨てなかった! 彼女が私の目の中に飛び込んできたのだ。距離は五百メートル。走れば追い付くことができるかもしれない。私は走り出した。途中で足がもつれそうになるが、踏ん張って陸を蹴る。あぁ、彼女の姿が近づいてくる。あと一歩、あと一歩と踏み出していく。彼女のいる場所へ、私は駆けていくのだ。あぁ、素晴らしい。体が踊るようである。彼女が振り返る。あぁ、彼女が私を見ている。行け。ひるむな。行くのだ、我が体。行くのだ、我が心。河原を蹴る。


 そして、浮き上がった足首が鴨川から出た手に捕まれた。


 ぼちゃん!


 私は川に落ちた。何もわからぬまま川の中に落とされたのだ。それだけでは飽き足りず、靴を脱がされ、ズボンを脱がされ、パンツも脱がされた。そして、尻に予期せぬ激痛が走った。私はガボガボと水の中で悲鳴を上げ、その勢いのまま川から飛び出した。その先に、真鍋先輩がいた。


「あんた、何してんの?」

「は、え、さ、散歩を……」

「ふぅん」


 彼女はニタニタと笑っていた。


「ケツにいれるなら、せめてネギにしなよ」


 私は自身の一物と尻から生える緑の一物をさらしながら、鴨川に打ち上げられたのである。あぁ、せめてこの緑色の一物がネギであってくれたなら。そう思わずにはいられなかった。

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