第4話 語り:徳川ヒカル

「某、徳川ヒカルと申す。徳川が世を治めてから幾年か。小学校卒の某には分からんことで御座るが、この逸話を語る日が来たこと、誠にめでたいことで御座る。某は生粋のオタクであるが、他のオタクどもとはわけが違うで御座る。


 日々、某が見つめるのは『ビックバンから始まる恋の相手は美少女ですか?』のメインヒロインである『ビックバン・ホホエミ』ちゃんだけで御座る。『ビックバン・ホホエミ』ちゃんのビックバンな胸、尻、太もも。豊かに揺れるピンク色のビックバンツインテール。


 最高に御座る。


 某は、毎クールごとに嫁の変わるふしだらなオタクでは御座らん。ただ、『ビックバン・ホホエミ』ちゃんが某の嫁、いや太陽で御座る。『ビックバン・ホホエミ』ちゃんと某を比べようものなら、某は猫、につく蚤のようなもので御座る。

『ビックバン・ホホエミ』ちゃんの素晴らしさは、これでみなも知る所となったで御座ろう。では、本題に入らせていただくで御座る。


 かつての某は日々早朝のランニングが日課で御座った。それは『ビックバン・ホホエミ』ちゃんのライブに蔓延る不純な肉体をもつ者と一緒にされたくなかったからで御座る。某は、日々鍛錬をこなし、理想の肉体へと近づいていたで御座る。しかし、どんな時もトラブルというものはついて来るもので御座る。


 ある日、鴨川沿いを走っていた時のことで御座る。あの鴨川という場所は早朝からもカップルが等間隔で並んでおる時があるのは、みなも御存知の通りで御座ろう。某は、今まであのカップルの列に何の憎悪も抱くようなことは一度ものう御座った。毎日通る道で御座ったが、別段羨ましいとも思うことはなかったで御座る。なぜならば、某には『ビックバン・ホホエミ』ちゃんがいたからで御座る。この純粋に鍛え上げられた愛情に勝るものなど御座らん。そう固く信じておったからで御座る。


 そして、彼らを軽蔑するようなことものう御座った。彼らは不純なオタクどもとは違い、純粋に一人の女性を信じてやまぬ漢だと思っていたからで御座る。しかしある日、某は見てしまったので御座る。昨日一緒にいた女性とは異なる女性を隣に置いて座っている不純な男を……! 一度だけならよう御座った。一人だけならよう御座った。しかし、毎日走るたびあの鴨川には不純、不純、不純!


 某には、もう耐えられのう御座った。そして、この世の中の不浄を清めねばなるまいと心に決めたので御座る。そして、某はここの師に教えを請い、独自に不浄を清める方法を立案したので御座る。


 それが、『グッドモーニング・ビックバン・チキン・アタック』で御座る。

早朝から某は大型スピーカーを担いで走るようになったで御座る。あれは非常によい鍛錬で御座った。某はカップルを見つけるたびに鶏の声を録音した音声を超大音量で流すことによりカップルを撃退せしめんとしたで御座る。結果は上々で御座った。某は耳栓をして御座ったが、それも耳をつんざくような鶏の絶叫ともいえる早朝のお告げは、名だたるカップルを次々となぎ倒してきたで御座る。時に肩を寄せ合い眠るカップルの背後に忍び寄り、『グッドモーニング・ビックバン・チキン・アタック』を解き放った時は、カップルがはじかれるように立ち上がり、バランスを崩してそのまま川に落ちていったで御座る。まったくあれは見もので御座った。


 しかし、某の偉大な活躍も長くは続かなかったで御座る。世の中には粛清すべき対象の見わけもつかぬ阿呆な警官ばかりが蔓延っているで御座る。某は鍛え上げた俊足で逃げ切ることができたで御座るが、もう二度はあの輝かしい偉業を成すことは出来ぬで御座ろう。であるから次は、みな、諸君らの番で御座る。野獣の気を御せしものが新たなる偉業を成し遂げなければならんので御座る。これにて某の語りは終わりで御座る。みなの成果を期待しているで御座るよ!」


 大喝采が巻き起こった。今まで直立していた観客が堰を切ったようにあれよあれよと称賛の言葉を絶叫し、それを受けてドドンと太鼓を打ち鳴らす。徳川は立ち上がり、再びペンライトを振りかざし、オタ芸を開始した。歌舞伎の会場にはふさわしくないコールが客層から湧き上がる。会場の熱気が今日の最高潮にさしかかっていたと言っても過言ではないだろう。


 しかしそんな中、私は怒りの感情が湧き上がっていた。徳川という男、あの男のせいで私の恋は見事に邪魔をされていたのである!


 あれは大学一回生の頃、まだ入学して間もないころである。大学生活を送るのであれば、早い段階で彼女をつくり、彼女と共に青春を謳歌せんとしていた私は、日々クラスのマドンナであった夢乃宮霞さんにアタックをしかけていた。いや、正確には男らしく正々堂々とした確実に彼女の心を射ぬくことが出来たであろうアタックをしかけようとしていたのだ。


 霞さんは素晴らしい体つき――決して不純な意味ではない――と誰もが振り向く美しい美貌を兼ね備えていた。同じクラスで彼女とお近づきになりたいと思わなかった男など誰一人としていなかったであろう。私もその例外なきうちの一人である。しかし、彼女はまさに不落の要塞、高嶺の花。並みいる男共のアプローチを悉く弾き飛ばしてしまい、噂を聞きつけた先輩――悔しいがとてもイケメン――ですら、彼女の強固な城門を打ち破ることは叶わなかった。


 私はそんな彼らを横目で見ながら、「馬鹿め」と静かに口角を歪めていた。なぜ彼らはすぐに「彼氏」という席に座りたがるのであろうか。馬鹿だからである。大学生というチンパンジーであるからである。


 そんな性急にならずとも、ゆっくりと距離を縮めていけばいいのだ。そして、私は彼女の友人として虎視眈々と「彼氏」の席を狙うつもりであった。しかし、どうしたことか。一か月、二か月と経っても私と彼女の関係は一切縮まないどころか、彼女との接点すら見えないような有様に陥っていた。彼女はいつも女性の友人に取り囲まれており、話しかける隙など微塵もなく、彼女と話す事すらままならないような状態である。これは決して、彼女に話しかける度胸が私になかったからということはない。決して。


 だから私は諦めなかった。彼女たちの会話に耳をそばだて、彼女の好み、日常的なルーティン、友人関係も可能な限り把握した。その中に一つ、彼女へのアプローチの道筋があることを私は見逃さなかった。


 それが、早朝ランニングである。彼女のまるで理想のようなスタイルは毎日の質の高い生活によって成り立っていた。そのうちの一つが鴨川での早朝ランニングだったのである。彼女は早朝から、一人で鴨川を走っているという情報を得た私は、まさにそれが私のためにあるような一筋の光だと感じられた。これを逃すような馬鹿ではあるまい、と自らを鼓舞し、私は早朝から鴨川へと足を向けることを決心した。


 しかし、それは容易いことではなかった。私は常に昼夜逆転のような生活を送っていた。一限の語学を寝過ごしたと思えば、知らぬ間に三限が始まっていた。どうせ間に合わないからと布団に潜りなおせば、次に起きた時は夜十時であった。そこから私はコンビニへと足を向け、たいして美味しくもないコンビニ弁当をほおばり、朝方までオンラインゲームに興じる生活であった。そのまま学校に行こうと思っているのだが、朝日を見ると急に「もうこんな時間か!」と思い、早く寝なければという思いに駆られるのである。目覚ましをセットし、「これで一限には間に合う」と信じて寝るのであるが、起きた時には三限が始まっている。これの繰り返しである。


 そんな私が早朝に鴨川に行くなど到底無理な話である。どこにそんな活力が私にあるのだろう。最近は髭を剃る元気すらない。彼女と出会ってから勢いで買った髭剃りは箱に入ったまま新品同然で部屋のどこかに埋もれている。


 しかし、私は奮起した。この筋肉も何もないような細々とした体に鞭を打ち、自らを鼓舞しながら、部屋の奥底に埋もれていた髭剃りを見つけ出した。そして、髭を剃り、シャワーでボサボサに生え散らかした髪を整えた。首もとが伸びてよれよれになったTシャツに半ズボンのジャージを身にまとい、高校時代の体育祭ぐらいしか履いていない運動靴を履いて外に出た。時間はまだ四時。日の出までは時間がある。つまり私の活動時間内である。


 鴨川への距離は大したことはない。鴨川デルタまでは十分もかからずについてしまうだろう。私は人気のない夜道を歩いた。深夜にコンビニに出かけるような気怠さは不思議となく、むしろ爽やかな清潔さのような空気が私を包んでいるように思えた。自然と足が早まり、私は走り出す。体育祭でしかその役目を受けなかった運動靴が私の足を軽快に前へと運ばせた。


 早朝ランニングとは素晴らしいものではないか! 私は感動した。そして、やはりこの素晴らしさを彼女も実感しているのだろうと思うと、私と彼女は確かに通じ合っているのではないかと思わずにはいられなかった。いや、私はそう確信していたのである。私は早く彼女に会い、この感動を分かち合いたいと思った。


 私は鴨川沿いを走った。それだけで自分が輝いているように思えた。京都の鴨川を早朝から走る。なんだかいい響きではないか。私は自分がいよいよ誇らしくなり、ほれほれと自らを急き立てるように走った。もちろん、彼女の姿を見逃さぬように常に目を光らせながら。


 スマホの時計を見ると四時半であった。私は今までの快調な走りが嘘のように、鈍重な足運びになっていた。部屋にこもりっきりの大学生はスタミナがかけらもないのである。「もうだめだ」、「つかれた」、「ひぃひぃ」と苦し気な言葉が知らぬ間に口から洩れた。彼女の存在に目を光らせている余裕など、もはや私にはなかった。


 さらに私を苦しめていたのは鴨川に鎮座するカップルの群れである。鴨川を下るにつれその数は増え続け、私の中に憎悪を募らせた。「あぁ、許せん!」という感情を内に秘めながら走っていたが、スタミナが尽き、私は彼らと距離が空いている所で腰を下ろした。彼女の姿はまだ見当たらない。周りに座るのはカップルばかり。私は一体何をしているのだろうと思い始めた。そして、酷く虚しい気持ちになった。


 私は馬鹿らしくなってさっさと帰ろうと思った。そして、立ち上がったとき、私の視線に彼女の姿が飛び込んできたのである。あぁ、神よ! そう叫びたい気持ちに駆られた。私の努力は今こうして結ばれようとしているのだ。私は確信した。


 彼女は対岸を走っていた。早く追い付かねばならない。私は重い足を叱咤し、走り出した。


まさにその瞬間――


『コ ケ コ ッ コ ー !』


 私の顔を横殴りするかのような爆音が私の鼓膜を貫通した。まるでボクサーの右フックをもろに食らったような振動が頭の中を揺さぶり、私は当然のように揺らめいた。


 ぼちゃん!


 私は川に落ちた。鶏の声によって、私は川に落とされたのだ! こんな屈辱が果たしてあるだろうか。当時の私には何が起こったのかわけがわからなかった。

私が川から対岸を見た時には、彼女の姿はもう見えなくなっていた。そのことだけが、当時の私に唯一理解できたことであった。

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