第十五回
「木原くーん」
花井さんの声がした。
見ると花井さんは遠くの霧の中をマルと一緒に走って来る。
花井さんには遠くても幾らか焦っているような、こちらを心配しているような動きが走りの中に見えている。ところがマルは、たとえ霧の中に居たとしてもその跳ねるような動きから楽しんでいるのが分かる。昔からあいつを飼っていたから分かる。マルは今きっとニパッと笑いながら舌を出して、この小さな花の咲く草原をゴキゲンに跳ねている。
「おおーい。こっちだー」
私は手を振りながら花井さんとマルの方へ声をかけた。マルはすぐに私に気が付くと、一気に私に向かって草を掻き分けながら走り出した。
私は白ヘルメットの方に向き直し、
「まったく、このバカモノめ。金が無いんだか知らないが、ひったくりなんかするな。お婆さんを転ばして死なせでもしたらどうする」
「ご、ごめんよぅ……」
尻もちをついたままの白ヘルメットは案外情けない声を出した。
必死に追っている時は分からなかったが、こうして見るとこいつは上下に黒のライダースジャケットを着ているものの、腹が出ている。小太りのひったくり犯だ。
その時ガサガサと草を鳴らして、マルが私の足元に出て来た。
「お、やっと来たか。マル」
「お手柄ですねえ。ご主人」
マルはヘッヘッと息をしながら、御満悦、といった感じでふくふくとしたその顔を私に向けた。
「きゃっ」
花井さんの声がした。振り向くと、離れた所の地面に花井さんは座り込んでいる。
草に足でも取られたのだろうか、──いや、違う。よく見ると花井さんの座っている所には茶色く錆びた二本のレールが見える。電車のレールだ。草で所々隠れているが、花井さんは長く伸びた線路の上に座わってしまっている。霧でよく見えず足を取られたのかもしれない。
私は青ざめた。耳を澄ますと、かすかに、線路が伸びていった先の霧の向こうから警笛が聞こえる。
この警笛はいつから鳴っていた? ここの近くに踏切は無いはずだ。警笛は鳴り始めてからどれくらい経っている?
「あっ」
と白ヘルメットが指差した。
見ると、花井さんの座り込んだ線路の先から、電車がこちらに向かって来るのが見えた。
「花井さん! そこから離れて! 電車が来ます!」
私は目一杯叫んだ。
「立てないの!」
離れた花井さんは座り込んだままこちらに向かって叫んだ。
私は走り出した。マルも走り出した。
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