第七回
……子犬は今花井さんのお婆さんの腕の中で、丸みのある腹を出して満足そうに寝ている。その少し前に、お婆さんが温めた牛乳を浸したパンを子犬にやった。すると子犬は具合悪そうに寝ていたのを、そのパンを一口食べるやいなや、起き上がって一心不乱に食べた。
ひとしきり食べ終わると、具合を悪そうにしていたのが嘘のように子犬は辺りを飛び回って元気に何度も吠えた。そして今は、もうお婆さんの腕の中で眠っている。
初めて会った人間に対して、このまるで警戒心が無いところを見ると、どうやらマルの子供で本当に正しい。
「脱水症状だね……」
お婆さんは子犬を腕に抱えたまま、起こさないように小声でそっと話した。
「まあもう大丈夫だとは思うけれど、念のためこのあとは動物病院に連れてっておやり。ほら向こうの四つ角を右に曲がって、その先をさらに奥へずっと行くと、小さい動物病院があっただろう。昔からあるあそこの動物病院にさ」
「あ、ほんとだ」
花井さんが言った。
「確かにあそこにあるわ。私が子供の頃から。でもずっと忘れてた」
花井さんは椅子に座っていたのを立ち上がると、
「まだ眠っていて起こすのはかわいそうだけど、早くしたほうがいいもんね。私連れて行くわ」
花井さんが子犬を受け取ろうとすると、お婆さんが制止した。
「まあお待ち、この子は見たところもう大丈夫だよ。それよりあんた達、走って来たんだろう? 汗をかいている。まあ一杯飲んでから行きな。ここは喫茶店だし、そうでもなけりゃ、次はあんた達が目を回して倒れちまうよ」
お婆さんにそう言われると、花井さんは一瞬立ち止まったのち、またもとの椅子にストンと腰を下ろした。
「ほら咲もそこのあんたも、そこの風変わりな犬も、向こうのテーブルの席に行きな」
お婆さんが指したのは大きな窓ガラスの前にある席だった。
ガラスは直射日光を避けるためか、半紙のような半透明のさらさらした膜が貼られていて、そのせいで柔らかくなった日光が、白いレースの置かれた木製のテーブルと年季のはいった椅子にぼんやりと当たって、一種の幻想的な雰囲気をそこの席に与えていた。
「おばあちゃん、私はアイスミルクティーを」
花井さんがそう注文した。私も席に着きながら、
「では私はアイスコーヒーで。ガムシロップとミルクはいりません」
私がそう言うと、
「木原くん、ミルクいらないの? うちのはコーヒーフレッシュじゃなくてミルクだよ。銀色の小さいミルクピッチャーに入った」
と花井さんが教えてくれた。
確かに私はアイスコーヒーにガムシロップとコーヒーフレッシュは不要派だが、良い喫茶店のアイスコーヒーに時々付いてくるあのミルクピッチャーに入った牛乳は好きだった。
「ああ、じゃあやっぱりミルクはお願いします」
私はそう注文し直した。花井さんはにこやかに笑っている。
花井さんはどうして私の好みが分かっただろう。気を利かしてくれたのが、偶然私の好みに当たったのだろうか。それでも私は何だか良い心持ちになった。
「ワタシはメロンクリームソーダでお願いします」
私の隣に座るマルが言った。
「なんだマル、贅沢だなあ。メロンソーダにアイスまで付けるとは」
「あいよ」
カウンターに居る花井さんのお婆さんが返事した。
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