第三回

 キキーッとブレーキを強くかけてピンクのスクーターが止まった。

「す、すみません! 大丈夫ですか」

 バイクと同じ色の、薄いラメ入りのピンクの半帽ヘルメットを被った女性が言った。

 私は道に座り込んで頭をさすりながら、

「バ、バッキャロー、道路には突然、背面跳びで飛び出してくる奴が居るかも知れないって、教習所で教わらなかったか!」

「ご、ごめんなさい!」

 見ると、女は大変可愛らしい可憐かれんな女性であった。そして可憐どころか、それは私の学生時代の片思いの人、花井さんその人であった。

「あわわ、は、花井さん」

 私が驚いていると、

「……き、木原くん? ひょっとして木原君!?」

 花井さんも大変驚いている様子であった。

 花井さんは学生の時から変わらぬロングヘアーの黒髪に、ぱっちりとした大粒のアーモンドの様な黒い瞳で私を見ている。長いまつ毛が美しい。花井さんと会うのは高校を卒業して以来だ。

 私はさっと立ち上がると、ホコリをぱっぱと払って、バイクの側に行った。

「い、いやあ久しぶりだなあ。花井さん。本日は天気も良く、素晴らしい日ですね」

 花井さんは驚いた表情で、

「そ、そんなことより大丈夫? 私思いっきりスクーターで跳ねちゃったけど。そ、そうだ救急車呼ばなきゃ」

「いえ、それには及びません。花井さん。というか、私は跳ねられていません。自分で転んだのです」

「い、いや、それは……」

 ああ、花井さんはなんと可憐なのだろう。花井さんの瞳の中には昔と変わらぬ純真な輝きがある。それなのに、その瞳の奥には女性らしいうれいを含んだ不思議な色がある。学生の頃、私が見る度に吸い込まれるような気になった、あの好きだった目だ。

 花井さんはボリュームのある長く美しい黒髪をしている。頭から毛先に向かうに従って、そのしっとりとした艶のある髪には自然なうねりが出て、方々に向いたふくらみやはねに、日の光が幾つもの白いすじとなって反射している。

 花井さんは眉を八の字に寄せて、心配そうな顔で上目遣いに私を見ている。

 花井さんの周りには少女漫画の様に白くてふわふわした光の様なものが飛んでいるのが見える。私は眩しそうに目を細めて見た。さっきちょっと頭を打ったからかも知れない。いや、そんなことはない。学生時代から、私が見る度に、花井さんはよくこの清廉せいれんな光を放っていた。それは私にとっては神々しいとさえ言える輝きだった。

 花井さんは私を見ながら手をぶんぶん振って「木原くん! 警察を」「救急車をー!」と一生懸命言っている。でも私には花井さんが何を言っているか分からない。声が可憐だということだけが分かる。

 そうだ、今度花井さんをお茶にでも誘おうか。こんな晴れた日に、もし花井さんと一緒にどこかの素敵な喫茶店でお茶でも飲めたら、それはこの上ない幸せなことだろう。

 生憎あいにくその素敵な喫茶店の場所を私は知らないのだが、そんなことは言ってられない。どこかに有ってくれなくては困る。これから素敵な恋愛が始まろうという二人には、是非とも美味しいお茶を出す素敵な喫茶店が必要である。後で場所を調べよう。なにきっと何処かに有るだろう。なきゃ困る。そしてもし有っても遠くちゃ困る。できればこの町に有ることを所望する。

「……木原くん!」

 花井さんに強く言われて、私ははっとした。

「ああ、はい」

 私は花井さんを見た。

「本当に大丈夫なの? なんか、にこにこしてたけど、頭を強く打ったの?」

「ええ。大丈夫です。背面跳びに失敗して、転んだだけですから」

「そんな」

「そうだ、元はと言えばこいつが……」

 私は足下を見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る