どこかの森

「ここは……どこ、だ……?」


 新晴聖は、否、森田修二もりたしゅうじは戸惑っていた。いつの間にか部屋の外居たことも勿論、そこが鬱蒼とした森の中であったからだ。


「なんで森なんかに……?」


 刑は確かに執行されたはずである。視界を奪われていたために周囲の状況こそ分からなかったが、一瞬の浮遊感の後に意識を失ったのである。


「失敗したのか?」


 自身の身体を見回す。

 いつの間に外されたのか目隠しも手錠もない。

 外傷はなく、服装も留置所に居た時の通りの囚人服。いつまで経っても見慣れない手首の細さでさえ、変わりなく以前のままだった。


 絞首刑で死にきれなかった者が釈放される、といった都市伝説がある。実際、明治初期には執行後、蘇生した男が釈放された記録がある。


 だとしても蘇生後に森に放り出すということなどあるものだろうか。仮にその制度が現代にあるとしても、目覚めるべき場所は病院ではないか。


 あるいは、ここが地獄か。


 想像している地獄とは全く違う景色ではあるが、案外こういうものなのだろうか。地獄といえば阿鼻叫喚の図をつい連想してしまうが、考えてみればそれも生きているものの考えた想像図なのだ。必ずしも実情を表しているとは限らない。こここそが地獄なのだと言われれば納得するしかないのだ。


 仮にここが地獄だとして、しかし一体何をすべきなのか。裁判を受けるでもなく、責め苦を受けるでもない、ただ放り出されただけ。


 死後の世界が存在しているのならば、何かしらの罰を受けるべきなのではないのか。


 それもやはり生者の勝手な妄想なのかもしれない。


 森田はしばらく思案していたが、結局結論には至らなかった。


 さて、立ち尽くしてばかりでは仕方がない。


 探偵としての性が森田を動かす。何をするにしても情報は必要である。ここが一体何処で自分がどうすべきなのか、知らなくてはならない。


 森田は取り敢えず周囲を探索してみることにした。


 少し歩いたところに水場を見つける。喉は乾いていなかったが、ここから森を抜けるまでどれくらいかかるか分からない。水分補給は出来るだけしておきたい。


「なんだこりゃ!?」


 水の中を確かめようと覗いた拍子に自分の姿が映し出される。

 予想通り新晴聖の体のようだった。ただ、首元に見慣れない紋様がある。


索条痕さくじょうこん……?」


 森田の首にはくっきりと首吊りの痕が残されていた。となると、やはり刑は執行されたのだ。


「やっぱ地獄? それとも……。いや、今はやめよう。ここから抜け出すことに集中しろ」


 堂々巡りしそうな思考を無理やりかき消し、森田は水を口に含む。幸い綺麗な水だったらしい、変な味も舌が痺れるような感覚もない。


 ある程度喉を潤し、再び歩き始める。本当は持ち歩ければ良いのだが、水筒になりそうなものの持ち合わせがないので諦める。


 しばらくは森が続いた。

 人の入らない森なのだろう。道などあろうはずもなく、そこここに生い茂る蔦を掻き分けながら苦心して進まねばならなかった。


 何度か休憩を挟みながら木々の間を進んでいく。

 すると、ようやく開けた場所が見えてきた。


 そこは、一面の青々とした草原。遮るものなく降り注ぐ陽の光に緑が反射する。目に映る限り何もないその広大な光景に、森田は目眩さえ感じた。


 もしかすれば、世界に一人だけ取り残されてしまったのかもしれないな。


 そんなことを考えながら、森田はひたすらに歩を進める。芝のような毛足の短い草が繁茂しているお陰で、森の中のような大変さはない。それでも人の手の入っていない草原を歩くのには、普段舗装された道路を享受している現代人にとっては慣れない行為には違いなかった。


「ハァ、ハァハァ……」


 息を切らし、額からは玉の汗。呼吸をするたびに鉄の味が口に広がる。日頃の運動不足に加えて、拘束期間も長かったことも災いしている。身一つで放り出されるには、この身体はあまりにも不向きなのだ。


「だはぁっ!! もームリだ!!」


 森田は根を上げた。三時間以上動き続けたのだ、もう限界だった。


 その場に倒れ込んで空気を求め喘ぐ。目の前に無数の星がチカチカと浮いている。酷使した身体のあちこちから悲鳴が聞こえる。当分使い物にはならないだろう。


 それでも頭は冴えていた。


 こんな訳も分からない環境で、丸腰のまま正体を晒している状態が安全なわけがないのだ。だからこそ森田は即行動に移したし、危険信号を発している体に鞭打ってでも動き回っていたのだ。


 幸い、ここならば周囲を見渡すのは容易だし、何か危険が近づいた時もいち早く察知できる。それを迎え打てるかはまた別問題ではあるが。


 一度は失った命だ、今度は大事に使わなければならない。


「生きている、って認識で合っているならば、な」


 異世界転生譚いせかいてんせいたん

 あるいは異世界転移譚。

 流行に疎い森田ですら耳にしたことがある。トラックでねられる、暴漢に襲われる、はたまた突然に、その世界にいざなわれ、やがて英雄となる物語。


 ほとんどの物語において、中世のヨーロッパ的な文化形成の街で繰り広げられるファンタジーもの。当然その中には魔法があり、主人公もまた、魔法の使い手となる。


 森田が知っている知識はこの程度であるが、概ね当たっているだろう。それに当て嵌まらないものも当然あるのだが、そういった文化に触れてこなかった森田には知る由もない。


 地獄、死後の世界、異世界、その他諸々の可能性。一体どれが現状を表しているのだろう。未だに決定的な証拠を見つけることは出来ていない。


 どうにかして確定させたい。それによって自身の身の振り方も大きく変わってくる。


 せめて人間と出会わせてくれ。


 孤独に苛まれる森田は思わず願った。


 その時だった。


「! あ、あれは?」


 だだっ広い草原の向こう、太陽の反対側に一筋の白いモヤが空へと立ち昇っていくのが見える。頼りなく漂うそれは、しかしその頼りなさこそ人間の営みの証に見えた。


「火を焚いている!!」


 匂い立つ文明の香りに森田は歓喜する。それが原始的な暮らしをしているのか、旅人の休憩なのかは判断できないが、確かに人間が存在するのだ。


 森田は限界を迎えた身体を無理やり起こし、急いで火元へと向かい始めた。

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