16話 As Good as It Gets


 『オルターエゴ』の衝撃は著しく、次から次へと仕事が降ってくる。

 その日、山積みのタスクをいくらか片付けて会社を出ると、見慣れた顔があった。


 さゆるちゃんだった。今日は学校帰りなのか、楚々としたセーラー服姿である。


「ぼうふら! 一体霧島先生をどこに誘拐したんですか!」

 誘拐……先生が?


「先生の家の集合ポストの表札が変わってました! 信じられません!」

 どうやら強引にエントランスに入ったらしい。


 さゆるちゃん……しばらく見ない内にまたこじらせてるな。

 あれほど来るなと言ったのに、『オルターエゴ』に中てられて、またおかしくなってしまったらしい。


「これが噂の缶詰ってやつですか!? ひどいです! 非人道的です!」

 わざわざ家まで退去させる誘拐や缶詰が存在するのだろうか。


「さゆるちゃん、先生のことは諦めるんだ。もう親御さんを悲しませるなよ。こないだ君の家に行ったとき、お母さん泣いてたぞ」

「お、親のことは関係ないじゃないですか!」

 関係大ありだ。


「それより、先生はどこに行ったんですか! 教えてください!」


 無論知らないはずないのだが――どうせ今頃も家でごろごろしてるだろう――教えると今度は俺がストーカー被害に悩まされてしまう。


 それに、さゆるちゃんの健全な成長のためには、先生とあまり関わらせてはいけないと思う。

 ここはこう答えておくべきだ。


「先生はブラジルに移住したんだよ」

「え! あの先生が!?」

「作家たるもの広い視野は肝要だからね」

「そんな……信じられません」


 これくらい盛っておけば、彼女も追わないだろう。

 しかし、さゆるちゃんは俺につかみかかってくる。


「あたしはこれからどうすれば良いんですか! 先生を! 先生を返してください!」

 そんなこと言われても……。元から先生は、さゆるちゃんのものではないだろう。


「どこですか?」

「え?」

「先生はブラジルのどこにいるんですか!」

 彼女は俺の目をじっと見つめて来る。


 この子、本気だ……本気でブラジルまで追いかけるつもりだ。


 ここまで極まっていると、感服する気持ちすら湧いて来る。

 俺は降参して、ブラジルというのは嘘で、先生は現在根を詰めて執筆しているため会えないというようなことを話した。これも結局嘘なんだが。


「どうして嘘なんか吐いたんですか!」

「いや……諸事情で」


 にしても、こういった粘着質なファンは心底恐ろしいな。家まで何度も押しかけるなんて、到底理解できない。

 どうしてそこまでして先生に会いたいのだろう?


「だって、『オルターエゴ』あんなに素晴らしかったんですよ!?」

 感想を言うつもりなのか……。

 そのために、わざわざブラジルに?


「『オルターエゴ』は本当に傑作ですね。読んでから、私もう先生のことしか考えられなくなって……」


 『オルターエゴ』。現在絶賛大ヒット中の、先生の最高傑作。読んだ者を、必ず虜にする小説。

 やはり傑作過ぎるのも問題だな……。


「あたし、『オルターエゴ』を読んで気付いたんです。自分の気持ちに……」

「え?」


「これが真実の愛なんです! だからこの想い、先生に伝えないわけにはいきません! そして、ふたり仲良く暮らすんです!」

 まずい。この子は先生に会わせちゃいけない。


「先生だけは本当にやめておいた方がいいって! 悪いことは言わないから!」

「なんですか! 先生を侮辱するつもりですか!」

 さゆるちゃんのためを思っての言葉だが。


「というか、そろそろ先生と別れました?」

「……いきなり何の話だ?」


「先生と別れてくださいよ! あなたみたいなぼうふら野郎がいるから私と先生は結ばれないんです!」


「別に大したもんじゃないよ、付き合っても」

「ぐ……うるさい!」

 彼女は一喝する。


「おのれ……貴様のような悪鬼羅刹魑魅魍魎の類が涅槃を遠ざけ現世に不和の種を齎しているのだ。今ここで責罰を課さねば憤懣やるかたない」

 最早何を言っているのか分からなかった。


「仮に別れたところで、先生と付き合える確証はあるのか?」

「ある」

「え」


「ふふ、先生ほどの洞察力があればすぐあたしの魅力に気付くはずです!」

 さゆるちゃんはなかなか幸せそうな精神をしている。見習いたいとは思わないが羨ましい。


「なんでそこまで先生のことが好きなんだ?」

 それは素朴な疑問だった。


「当たり前のことを訊かないでください! 先生は綺麗で優しくて聡明で、才走っていて……今まで見たこともないくらい完璧な人です! これ以上尊敬に値する人はいません! あたしもあんな人になりたいです!」


「はぁ……」

 俺は記憶の中の先生の姿を浮かべる。


 ぐうたらでわがままで手に負えない……そんな先生。優しいという言葉も完璧という言葉も似つかわしくない。


 その才能に惹かれるのは無理からぬことだと思うが、見習う相手は変えた方が賢明だと思う。


 オブラートに包んでそのことを伝えると、彼女は眉を吊り上げた。

「あなたに先生の何が分かるんですか!」

 確かに全然分からないが……。


「でも君、先生のファンになったのは最近らしいじゃないか」

「ぐ……まぁ、事実ではありますね」

 痛いところを突かれたのか、さゆるちゃんはたじろぐ。


「先生の小説は以前にも何冊か読んでたんですけど、全然ぐっと来なかったんです」

 なんて見る目がないのだろう。


「でも、一年くらい前に何の気なしに手に取った『シンドローム』が最高だったんです。これまでの作品とは違って、いきいきとしてて。一度ハマったら、他の著作にも一気に惹き込まれました」


「へえ、そうだったんだ」

 奇しくも『シンドローム』は、俺が先生の担当編集者になってから初めて出版された作品だった。


「そういうわけで、先生とあたしは運命で結ばれているんです」

 さゆるちゃんは、なおもうっとりと話す。


「ちなみに先生は私の母校のOGなんですよ。運命的でしょう?」

 つまりは先生も、現役当時はこのセーラー服を着ていたのか。想像できないが。


「これ、証拠です」

 さゆるちゃんは見せびらかすように、一枚の写真を取り出す。


 確かにそこには可憐なセーラー服姿の先生が写っている。場所は校門前のようで、横に卒業証書授与式と書かれた看板があった。中学卒業時の写真だろう。


挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16817330657456187917


 当然だが今より幼く見える。髪の長さが肩甲骨の辺りまであって、カメラからは視線を外している。なんともつまらなさそうな表情だ。


 白磁の肌と濃紺の制服のコントラストがお互いを際立たせていた。


 先生はスカートなんてものは滅多に履かないので貴重な資料だ。膝丈のスカートから、脚がしなやかに伸びていて美しい。


「一体どこから手に入れたんだ? この写真」

「あたしを疑ってるんですか!?」

 先生の写真を手に入れるためなら泥棒くらいはしそうだ。


「家にあったんです! ふふん、先生は一時期我が家で暮らしていたんですよ。そのとき撮ったんです。もっとも現像する前に家を出て行ったらしいんですが」

 中学卒業となると……十年前か。


「じゃあ、俺が預かっておくよ」

「え」

「現像したもの、先生は持ってないんだろ? 機を見て渡しておくから。あと、もう先生のことは諦めるんだぞ。別れる気はないから」

 ぴっと写真を掠め取って、俺は足早に立ち去る。


「に、憎っくきぼうふら! 許すまじ!」

 後ろからそんな声が聞こえてきた。




 * *




「……ただいま」

「おかえり」


 念のため尾行を撒く道順を辿ってから家に帰ると、先生はソファに寝転がってアイスをかじりながらテレビを見ていた。無論アイスは、俺が買ってきて冷凍庫に入れていたものを拝借したのだろう。本当にいいご身分である。


「先生、いいものを手に入れたんですよ」

「……どうしたんだ、おかめみたいな目をして」


 俺は先ほど得た戦利品を先生に見せる。

 中学生のときの写真。


「なっ……」

 彼女は酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせる。


「どこで手に入れたんだ!」

 そしてぽかぽか殴ってくる。最近体力をつけてきてるせいでパンチの一撃が重い。


「さっきさゆるちゃんに会いましてね。彼女が持ってましたよ」

「な、なんてことだ……」


「こうして見ると先生もなかなかかわいいところがありますね」

「か、返すんだ!」

 先生がしがみついてくる。


 無理やり奪われてしまったが、こんなこともあろうかと事前にコンビニでコピーを取ってすり替えておいたから問題はない。オリジナルは俺が大事に保管しておこう。

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