第18話 学長マーガレット
女子寮からの依頼をデリックに頼んだら、もうすることがなくなってしまった。
手伝う、と言ったのだが研究所で作業するから大丈夫と拒否されたのだ。
放課後、廊下を一人歩きながらヘレンは両手を突き上げて天井を振り仰いだ。
「することがない……!」
「あら、カークランドさんの手が空いているのは珍しいわね」
「!」
声がして振り返る。いつの間にか、背後ににこにこ笑う学長がいた。白髪の彼女が足取り軽く近づいてくる。
「よかったら、ちょっと手伝ってもらえないかしら」
学長室は城の最上階にあった。
温室のようにぽかぽかで、上がドームになって陽の光が入っている。あちこちに植物ポットがあって、宙に浮いていた。
中央には大きくて重厚な机が置かれ、その上に大量の書類が積み上げられていた。優にヘレンの背を超える高さだ。
「こ、これは」
「一応言うと、処理の終わった書類なのだけど……どうにも上に載せる癖があっていつもこうなってしまうの」
頬に手を置いてため息をつく学長に、ヘレンは目を輝かせた。
「整理すればいいですか⁉︎ おやすい御用です」
「ありがとう、紅茶とお菓子も用意してるから」
別件の仕事をする学長のそばで、バラバラになったメモや書類を日付別、用途別にまとめていく。
中には、入試で使う推薦書もあった。
数年前のものからごちゃ混ぜになったそれを手際よく並べていって――ふと、ヘレンの手が止まった。
デリックの名前が数枚下にのぞいていた。彼の推薦書だ。
ちらりと学長のほうをうかがうと、彼女は書類の層の裏で頭を抱えて書き物をしている。
他の人のものも見ているし、そもそも手伝って欲しいと言われたのだから読んでも大丈夫だろうか。そう思って、そろりと上の書類をめくったヘレンは目を見開いた。
(……なに、これ)
出身地も両親の名も経歴も白紙。それは他の人のものが最終行までびっちり文字で埋まっているのと比較すると、明らかに異質だった。
(これで試験に通ったの?)
次いで推薦人のサインが眼を引く。
マーガレット・シルビア――学長先生の名前だ。
つまり今、後ろにいる彼女がデリックの保証人ということ。これほどの推薦人はいないと同時に、何か得体の知れない気味悪さを感じた。
「あ、……」
学長に声を掛けかけて、言葉を飲み込む。
何を聞きたいのだろう。
デリックの出身国? 今までの遍歴? だがそれを聞いたところで何になる。余計な情報は心を惑わせるだけだ。
ヘレンは、卒業したらこの国を出るという決意を変えられない。
学長の推薦とはいえ、こんな書類状態で入学したのなら他の教授を黙らせられるほどの人物……例えば、国王陛下レベルの口添えが必要なはずだ。
そして、そんな上層部が容易に天才を国外へ手放すとは思えなかった。
「カークランドさんは、私の本を読んでくれていたとか」
「っはい、そうです」
声をかけられて、慌てて推薦書を他のと混ぜた。
「どこか好きな国はある?」
聞かれて考える。
今まで何百回と読んだかわからない彼女の冒険記のシーンを思い浮かべた。そこには色んな国があって、いろんな文化があって、様々な人がいた。
「氷の国デンゼルで氷竜と戦う話とか」
「あれは死ぬかと思ったわね」
「花と水の都ライヒシュタインとか」
「あそこは一年中花が咲いて綺麗なところよ」
「――あと、やっぱり魔法体系発祥の神聖アベル王国でしょうか。国の中の様子はすごく興味深かったです」
そこは、今ある全ての魔法の考え方が生まれた国だ。
古来、自然的に人々が使っていた魔法を世界で初めて体系化した人物が、神として崇められている。
そこから世界中に広まった魔法体系……考え方、使い方、扱い方は長い時間をかけて各国で発展していった。始祖と呼ばれるその人物の生誕地は、世界中の魔法研究者たちの聖地として知られている。
だが、かの国では長いこと鎖国政策をとっていた。
理由は、始祖が残した魔法体系以外は魔法として認めないという国の方針だ。
彼が書き記した教え以外は全て邪道であり、自国以外のいかなる本も禁書で流通することはない。
進歩は罪で、変化は悪。変わらないことが良しとされ、昔ながらの純朴な生活が営まれているという。
外国との関わりはほんのわずかで、内情はほとんどが謎に包まれている。
「ああ、あそこはねぇ。魔法使いとしては一度は訪れたいところよね」
うんうんと学長がうなずく。
「学長先生は、入国を許されている稀な方ですよね」
「まぁ私も事情があってもう出入り禁止なんだけど」
「そうなのですか」
勿体ない、と思いつつむしろ今まで行き来できたことが凄いのだが。
「でも出入り禁止なんて……」
「鳥をね、逃がしてしまったから」
「鳥」
そんなことで、出入国禁止になるなんてやはり厳しいところなのだろう。
噂では、無断で入ればそのまま処刑されることもあるとか。
「カークランドさんもその内行くことになるかもしれないから、覚悟しておいてね」
「憧れはありますけど……行ける気が……」
「ふふ」
頬杖をついた学長は、ヘレンを見て嬉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
――ここから、出してください……!
そう彼女に叫んだ少年の姿を思い出す。
消し炭になった本、ぐちゃぐちゃに塗りつぶされた大量のメモを前に彼は髪を掻き毟った。
――やめようとしてるんです、でも、……っ無理なんだ、思考が止められない。このままこんな国にいたら……俺は、狂ってしまう……!
持っているもの全てを捨てることになる、とマーガレットが告げても彼の決意は変わらなかった。
だから、己の使える全てで彼を外に逃した。
それは訪れる度に目をキラキラさせてねだる聡明な彼に、いけないと思いつつ書物を渡していた彼女の、せめてもの罪滅ぼしで。
(あの子、似た状況を見過ごせなかったのよねぇ)
手早く書類を整理してくれているヘレンを見る。
三つ編みにした金の髪を揺らして、楽しそうに作業している姿は何とも愛らしく微笑ましい。
(……でも、何も言わずにオトすには、カークランドさんは手強いと思うけど)
不器用な弟子の初恋ほどハラハラするものはない。
そして、面白いものもない。
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