第12話 試験

 プロムの準備をしながらも、容赦なくやってくるのが学年最後の試験だった。


 この時期はみんな勉強に必死だ。

 学費その他すべてが公費でまかなわれている以上、留年という概念は存在しない。試験の結果が悪ければ学校から退学を言い渡される。


 なので、しばらくは委員も中断して勉強にはげむことになる。こんなスケジュールだから、皆やりたがらないのも納得だった。




「ヘレンお願い! 薬草学のノート貸して!」

「ええ、どうぞ」

 頼まれれば、ヘレンはまとめたそれを惜しまず渡していた。解説をお願いされれば時間をとる。


 別に慈善活動ではない。

 彼女が学校行事の裏方に積極的に関わっていることを教授達は知っている。その上で、クラスや同級生の落第者がゼロになるよう働きかければ、それも間接的にヘレンの手柄になると思ってのこと。

 もちろん、自分の成績は維持しながらだ。


 彼女に聞きたくないという人には、仲良しの子から要点をさりげなく伝えてもらっている。


 ……のだが。


(なんか、全部無駄な気がしてきた)

 希望してきた同級生に放課後の補習をしながら、言い知れぬ空しさを感じる。


 原因は、教室の隅で本を読んでいるデリックだ。


 何だかんだと最近一緒に行動しているのだが、彼が試験勉強をしているところを見たことがない。そもそも授業中にノートはとっていないという。

 その場で暗記してるのだ……頭の出来が違いすぎる。


 こうしてヘレンが人の勉強に力を入れているのは、約一年をこの学校で過ごしてきてデリックには点数で勝てないのを悟った結果だ。

 ちなみに彼は教授より複雑な解説をするので教師には向いていない。


(歓迎パーティで『負けない』なんて啖呵をきったのに情けない……)


 彼を見ていると、羨ましいと思う。

 打算も外聞も、トクも無難もなく、そこまで一心に何かに夢中になれること。それをこれからも続けられることに。




「ありがとうー! また聞いてもいい?」

「ありがとうございました! これでなんとか進級できます‼︎」

「うん、またいつでも聞いてね」


 補習生徒が教室から出るのを見送る。

 数人がちらりと、静かに本を読んでいるデリックを見て黄色い悲鳴を上げて去って行った。


「ごめんね、終わったわ」

 教科書やノートを持ってデリックに近づくと、彼はヘレンに手を差し出した。

 大きな手のひらを前に少しためらって、それに手をのせる。

「っ」

 ぐっと引かれて抗いきれずに、よろめく。デリックが耳元でそっと言った。


「ヘレン、……最近、ちゃんと、寝てる?」

「もちろん」 


 嘘だ。自分の勉強に加えて、プロムの準備もできるだけ進めていた。一年生ではあるけれど当日の司会をお願いされて、過去の進行をチェックしている。


「……」

 小さくデリックが息を吐いた。手を握ったまま見上げられてたじろぐ。しかも目があった瞬間、心臓が妙に波打った。

「ま、魔眼を使うのは」

 そこで腕を引かれてバランスを崩し、そのまま彼の膝の上に乗った。


「!」


 横抱きにされたままぎくりと身を震わせたヘレンの頭に、デリックは制服のフードを被せた。


「……夕食まで時間があるから、寝て」

 抱き寄せられて、背中をゆっくり撫でられた。


(こ、これは婚約者としての振るまいをするべきよね……っ)


 自分の心臓がどきどきしてうるさい。初めはびっくりしたが、ほのかな石鹸と、お日様の匂い――最近は身体を清潔に保っているらしい――に、撫でる手と温かい体温にまぶたが重くなってくる。

 婚約した当初はあれだけわたわたしていたのに、やけに余裕が感じられた。


 だが、パラ、と静かにページをめくる音が聞こえて閉じかけた目を開ける。ヘレンを膝に乗せながらデリックが本を読んでいた。


「……私も、勉強……しないと」

「だめ」

 今度は本を机に置いて両手で抱えられた。


(ちがう)

 ヘレンのためにやめて欲しいわけではない。


 追いつけないのはわかっている。だからといって、こちらに落ちてきて欲しいわけではなかった。

 ただ、置いてきぼりにされる焦燥感。もっとがんばらないと、横にいられない。


「……――……」

 少し身体を揺らしながら、デリックは低い声で子守歌を歌った。


 夢うつつに聞くのは、知らないメロディーと歌詞。

 ルクオール国で一般的に使われている言語ではないのだけは、わかる。


 そして心地よい声と抱きしめられる温かさに、いつのまにか眠ってしまった。




◇ ◇


 フードを被って眠るヘレンを見ていたデリックは、その三つ編みを指で弄った。

 カタン、と音がして顔をあげると、廊下を誰かが走っていくところ。


「あれ? こんなところに……」

 それと入れ違いで、アンリエッタが教室に入って来る。


 彼女はデリックの腕の中で寝ているヘレンを見て、声をひそめた。


「何でも頑張り過ぎなのよねぇ」

 しゃがんだ彼女が指先でヘレンの頬を突く。

「夜中まで当日スケジュールとかまだ練ってるから、私がベッドに押しこんでんのよ」

「アンリエッタも、実行委員になれば……」

「嫌よ。それじゃ商売できないじゃない」

 彼女はバツが悪そうに視線を逸らした。


「私は私のためにしか動けないのに、ヘレンは全部抱えちゃうから」

「……うん」

「それを分かっててヘレンも誘わないし」


 それくらいが、いい関係かもしれない。

 少し笑って、デリックがヘレンに頬を寄せる。それを見ていたアンリエッタは口を開いた。


「あんた、自分の顔の良さ、知ってたでしょ」

「うん」

「……」


 悪びれなく言うデリックに、アンリエッタは顔を引きつらせた。


「まぁ……自分で切る気は……なかったけど。少しはヘレンの役に立つかなって、……でもうまくいかない」

 むしろ負担を増やしている気がした。


 せめて勉強のほうを手伝おうとしたら、解説が難しいと逃げられた。デリックとしては普通に話をしているだけなので、改善点が分からない。


 もっとも、それは今に始まったことではない。生まれながらの魔力と知能で周りの嫉妬や怨を買うことが多かった。

 初めはどうにかしようとした。けれどそのうち諦めた。彼のしたいことをすれば人は勝手に離れていく、それでいいと思った。


 けれどヘレンだけはまっすぐにデリックを見た。


 ――次は勝つからね。


 デリックの人生の中で、こんなに真っ直ぐに彼に向かってきたのはヘレンだけだった。そして宣言の通りに彼に挑んでいる。他の者を助けながら。

 羨むでも嫉妬するでもない、ただただ誠実な言葉は、春の風のように吹き抜けていつまでも残った。


 ――俺より目立つんじゃねぇよ。

 ――生意気。

 ――そんなに頭がいいのをひけらかしたいの?

 ――インチキじゃないか?


 今まで浴びせられてきた言葉たちがなんら意味をなさなくなる。誰かの一言で、こんなに世界が変わると教えてくれた彼女には感謝してもしきれない。


「すごいな……どうしたら、俺もヘレンみたいに……」

 それからずっと、きらきらと眩しい彼女だけを見てきた。

 それは同時にいつ誰かと付き合うことになるのか、考えるだけで気が狂いそうな日々だった。

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