第15話 プロムの夜
次に目が覚めたのは魔法学校の医務室だった。
大きな窓の外は暗くて、シンと静かな部屋の中でヘレンは身を起こした。
(……あれ?)
眠る前の記憶がひどく曖昧だ。確かさっきもこんな時間に起きたような気がするが、今日が何日なのか、なぜここにいるのかも分からずぼんやりとしていると。
「大丈夫?」
白衣を着た医務室の先生が顔を出した。
迫力のある大柄な身体と化粧をした綺麗な顔。
恋愛相談に定評のある、身体は男だが心は女性のオネエさんである。
彼――彼女はちゃきちゃきとヘレンの様子を確認した。
「打撲は大したことなさそう。寝不足による過労ねぇ」
「過労……」
「昨日何食べて何時に寝たの?」
「……休憩時間にスープ……睡眠は……一時間くらい……です」
「若いからって無茶しちゃ駄目よ」
ヘレンをベッドに寝かせ直すと、彼女はコップに湯気の立つ薬湯を注いだ。
その様子をベッドから見上げてヘレンは首を傾げた。
「……先生、どうしてドレスを着ているんですか?」
彼女は、白衣の下に黒いドレスを着ていた。
「プロムだからに決まってるでしょお。でも可愛い患者さんを置いていくわけにはいかないから、雰囲気くらいはね」
「それは……すみませ」
そこまで言って、時計を見たヘレンは顔面蒼白になった。
眩いばかりの照明。時折、流れ星のような光が天井を流れる。
着飾った生徒たちが手に飲み物を持って歓談している。その間を給仕役が動き回り、端にいる楽団は明るいワルツを響かせていた。
(始まってる、ちゃんと)
先生を振り切って会場に来てみたら、プロムはつつがなく始まり、何事もなく進行していた。
(でも、細かい調整とかは……)
「それはあっちに」
「うん、じゃあそろそろダンスの曲を変えて」
「照明落として」
会場で、皆に指示を出している人がいた。
きっちりと正装を着こなし、整った顔を惜しみなくさらした彼の話を、みな真剣に聞いて動いている。
ふっと照明が落ちて、音が変わる。天井のきらめきが増してまるで星の海にいるような室内で、ローテンポのダンス曲になった。
端で休んでいた子も、話をしていた人も、一斉に中央で踊り始めた。
「デリック、踊ってくれない?」
「私とよ!」
実行委員に指示を出していたデリックに、可愛く着飾った女の子が殺到する。
「駄目よぉ、ヘレンちゃん、戻らないと」
そこで医務室の先生に腕を引かれた。
「……はい」
病人用の寝間着にカーディガンを羽織ったヘレンは、促されてその場を離れた。
「ここにヘレンちゃんを連れて来た彼を見せたかったわぁ。おろおろして卒倒しちゃいそうだったのよ」
医務室の先生に差し出された薬湯はひどく苦かった。
一度には飲み干せず、ゆっくり口にするヘレンに彼女が経緯を話してくれる。
痛みで意識が遠のく瞬間、ふっと吹いた風に支えられて浮く感覚があった。デリックが助けてくれたのだろう。
「プロムの開始の時間も迫ってて、でもヘレンちゃんに皆が任せてたでしょ。失敗できないし進行に自信ないって全員でパニックになっていたら、自分がやるってぇ」
「そうだったんですか……」
先ほど見たのは、ヘレンの想像通り――いやそれ以上のものだった。
(……できるじゃない)
会場で冷静に指示を出していたデリックを思い出す。
できないのではない。あの男は、したくないからできないふりをしているだけなのだ。
(駄目だ、私)
思考が黒く染まる。
肝心なところで役に立たないヘレンが悪いだけなのに。突き飛ばした子ではなく、どうやっても勝てない
「……ちょっと、一人にしてもらえませんか」
「そうね、頑張りすぎだったしゆっくり休んで……」
リンゴを剥いていた先生がそう言ったところで、ガガッ、と大きな雑音が医務室に響いた。
『……えー……と』
デリックの声だ。今一番、聞きたくない声。
「放送切って下さい」
「いいじゃない、私、あの子の低い声結構好きなのよぅ」
息を吐いて目を閉じた。
ひとまず終わったのだろう。プロム自体はまだ続くけれど、区切りの挨拶だ。
しかし、校内放送する予定だっただろうか。
『今日はありがとうございました……』
ぼそぼそと声が聞こえてくる。ヘレンの書いていた締めの挨拶を彼はそのままスピーチした。
この国を担う先輩の前途と、この学校の栄光を祝して。けれど放送越しに、たどたどしい挨拶を揶揄するように笑う声も入ってくる。
耳障りだ。寝返りを打って毛布をかぶった。
(……もうなんでもいいや)
そんな空気の中で挨拶の口上が終わる。そして。
『最後に、ヘレンを突き落とした誰か』
先ほどまでと違い、力のこもった低い声がスピーカーから聞こえた。不思議と先ほどまでのヤジが消えた。
(ん?)
それを確認するように数秒間が空いて、言葉の続きが発せられた。
『……今夜中に自分から名乗り出てください。もし、このまま黙っているつもりなら、どんな手を使っても探し出して――――殺すので』
わずかなハウリング音があって、放送が切れる。
ごん、と先生が持っていたリンゴが床に落ちた。
「な、なな何、今の……」
彼女がつぶやいたところで、バタバタバタと走ってくる音が近づいてきて、扉が開いた。
「ヘレン!」
今しがた、学校中を恐怖のどん底に陥れた青年が入ってくる。先ほど見た正装姿だ。
言葉も出ないまま抱きしめられて、頬を両手が包む。
「大丈夫!? ケガは」
「そ、そんなことよりいまの放送……っ」
「……生きた心地がしなかった……」
はぁ、と息を吐いてデリックがベッドに崩れ落ちた。
医務室の先生がほほえましげな笑顔を浮かべながら部屋から出ていく。
ぱたん、と音がしてからヘレンは口を開いた。
「ありがとう、すごく……いいパーティだった」
デリックが顔を上げた。
「アンリエッタに、ヘレンの書いた進行メモを探してもらって……その通りにしただけで……」
作業は昨日で終わってたから、と続けた。
「……デリックは勘違いしてるよ」
「ん?」
ヘレンは微笑んだ。震える手を握る。
「私は、私のために仕事してるの。……みんなのためなんて、いい理由じゃなくて……」
「……」
彼がヘレンの頬に手を滑らせる。
親指が唇に触れた。そっと、顔を上げるとデリックの顔が近づいて――――触れ合う瞬間、ドンドンドンと医務室の扉がたたかれた。
文字通り数センチ飛び上がって、ヘレンはデリックをはねのけた。
「ヘレン~~~!」
「ヘレンごめんね、わ、私たち……っ」
ノーマや委員のみんなが泣きながら周りを囲む。
「……ごめんなさい、私も一番大事な時に」
「そんなことないですよ、頼りっぱなしですみませんでした~!」
「……チッ」
ベッド脇でデリックが舌打ちする。
そちらを、全員がぞっとした目で見た。
そして。
「す、すすすすみませんでした!!」
大号泣しながら何人かが飛び込んでくる。
「私、っ、ぶつかって……焦ってたからカークランドさんと気づかなくて、でも落とすつもりは……っごめんなさい~なんでもするので殺さないでください〜‼︎‼︎」
「い、いえ、私もごめんなさい。よろけて」
他にも嫌がらせを懺悔される。床に跪いて泣く彼女たちを前に、ヘレンはデリックを見た。
「ほらちゃんと名乗り出てくれたから。何もしちゃダメよ」
「……」
「返事は」
「……」
しぶしぶ、というのが丸わかりの顔でデリックがうなずく。
彼は紫の目を細めて床でぶるぶる震える少女達を眺めた。
顔を覚えている、と気づいた実行委員メンバーは身を寄せ合って震えた。
その日以来、デリックの取り巻きは激減する。
かわりに手綱を握っているヘレンの名声がさらに高まった。
ヘレンの婚約者はやはり、天才で変人だ。
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